ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.10.8-10 まずまずの三連休、ミッションコンプリート

2016-10-10 20:59:31 | 日記
 土曜日。新しく始まった朝の連続テレビ小説をベッドの中で見てからゆるゆる始動。食後は先週さぼった拭き掃除。この時期はお天気が安定してよいはずなのに、残念ながら雨降り。大物の洗濯が出来ずにストレスが溜まる。

 夫は珍しくお友達とランチの約束があり、出かけた。私は先月初めて参加してとてもリラックス出来たHさんの“癒しと再生のヨガ”ワークショップに参加した。クリスタルボールの音が鳴り響き、スタジオはまどろむようにいい感じ。来月もまたいらして頂けるのかと思ったら、なんと会社を卒業されるという。
 いいインストラクターだな、と思うと皆卒業、独立が続いていてちょっと残念。ヨガのスクールもどんどん変わって、かつてに比べてうーん、と思うところは多々あるのだけれど、中にいれば外から見ている以上に色々大変なのだろうとお察しする。

 一度帰宅してから、夫と合流して実家へ移動。郵便物整理や次回の税理士さんとの相談のための資料の準備等を終える。それにしても役所から届く書類は引きも切らず。父が亡くなってすぐに手続きしたものがようやく片付いてきた。
 近所の方が入れ替わり立ち代わりお花を持ってお線香をあげに来てくださるようで、お花を買っていこうかと思ったけれど、それも必要なしとのこと。母のお友達がお庭のコスモスやら秋の花々を沢山持ってきてくださっていて、仏壇の周りはとても華やかだった。

 夜は、先日ランチに行ったフレンチレストランを予約して3人で出かけた。すっかり堪能してお腹いっぱい。満ち足りたいい気分で帰宅。母は先日の検査結果が気になって仕方がないようだけれど、心配したところで仕方ないのだから、結果が出るまではあまり考えないように、と先輩患者としてアドバイス。遅くなったのでタクシーで自宅に戻った。

 日曜日。またしても土砂降りの雨。うーん、こんな日は寝坊したいなと思うが、月に1度お楽しみのリフレクソロジーを予約した日だ。朝食を終えて、サロン最寄り駅へ向かう。いつものようにオーナーが迎えにきてくださる。雨の日の送迎は本当に有難い。

 サロンはハロウィーンの飾りが沢山で嬉しくなってしまう。今日も下半身すっきりコースとハンドリフレをお願いして、凝りと血行を良くするブレンドオイルをチョイス。施術が始まるや否やウトウト。踝のあたりがかなり痛かったが、案の定腰が大分張っていたのと冷えていたとのこと。すっきり流して頂いて、身体が軽くなり靴もゆるゆるになった。

 今月のお楽しみプレゼントは、童心に帰ってハロウィーンお菓子のつかみ取りとのこと。オーナーのKさんが「私は黙っていられなくて」と、当たりのお菓子を教えてくださる。なんと賞品は施術10分延長かハンドリフレのプレゼントだそう。嬉しいプレゼントだ。再び駅まで送って頂いたが、この頃には雨が止んで、長傘が荷物になった。

 駅ナカカフェで軽食を摂り、再びヨガスタジオへ向かった。今月からヨガマット必携になったので、何かと荷物が多く、不便だ。美律ホルモンヨガのレッスン後はいつもとても心穏やかになる。リフレとヨガの相乗効果ですっかり身体が緩んでリラックス出来た感じ。

 夫と合流してお茶をした後、買い物を済ませ自宅に戻った。これで終わらないのが、三連休の良いところ。夕食後は夫の趣味でCIAモノの封切り映画をレイトショーで見てきた。前三部作をろくに見ていなかったので、なかなかストーリーについていけなかったけれど、これでもかのカーチェイスも肉弾戦も凄くて、ちょっとグッタリ。あっという間の2時間だった。

 さて、息子は合唱団のコンクール。結果は去年と同じ金賞とのこと。残念ながら全国大会の切符は手に出来なかったようだけれど、ここ数年連続して受賞していた学生指揮者賞も頂けたとのこと。中心学年でプレッシャーは相当だったようだから、昨年と同等の成績が収められて本当にほっとしたとLINEで連絡がきた。お疲れ様なことである。

 月曜日。三連休最終日。昔から10月10日の体育の日は晴れの特異日だったのに、久々に10月10日が体育の日になったという今日は肌寒い曇天。青空を拝むことは最後まで叶わなかった。

 今日も贅沢に朝の連続テレビ小説を見た後、寝坊助夫を起こして朝食。夕飯の下ごしらえを済ませた後、アンタッチャブルだった押入れの断捨離に着手した。懐かしい息子のベビー布団やら義母が泊まりに来ていた頃使っていた寝具類等やらが出てきたが、これまた心を鬼にして処分。40リットルの大きなゴミ袋が10袋、それ以外に資源ごみの袋が数多く出た。押入れ半間分空にした筈なのに目に見えてスッキリしないのだから、嗚呼、道は遠い・・・。

 簡単に昼食を摂り、気分転換の小休止でヨガスタジオへ。気持ち良く汗を流し、夫と合流してお茶と買い物。

 この三連休、あいにく秋晴れとは程遠かったけれど、実家詣にリフレクソロジー、映画鑑賞にヨガ三昧。さらには断捨離までこなせ、充実して過ごせたので満足だ。やはり三連休の威力は大きい。

 明日からまた新しい1週間が始まる。通院日やら都心横断出張やら予定はギッシリ。あっという間に週末になりそうである。



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2016.10.7 不都合な真実に触れずに済めば・・・

2016-10-07 23:23:40 | 日記
 朝日新聞のネットニュースを見ていて、なるほどなと思った記事があった。社会学者・上野千鶴子さんのものだ。以下、転載させて頂く。

※    ※    ※(転載開始)

(北陸六味)上野千鶴子さん 新聞バナレの行く末は(2016年10月7日11時32分)

 就活中の学生が新聞社から内定をゲットしてくると、必ずこう言うことにしている。
 「よかったね。でも、その会社、あなたの定年まであるかしら」
 そもそも就活生自体が新聞を読んでいない。実家を離れたら購読料の負担は重いし、読まなくても痛痒(つうよう)を感じない。情報源はほとんどネットニュース。それで用が足りる。自分が読んでいないのに、新聞社に内定を決めてくる学生もいる。こんな若者が近い将来、新聞の担い手になるのか……とぞっとする。
 同じようなエピソードを、ある中学教師から聞いた。大学に進学した卒業生たちと話す機会があって、「そう言えば中学生のときに、新聞の読みくらべをさせられたよね」という話題から、いまは、と聞くとばつが悪そうに「就活生だから新聞読まなきゃいけないんだけど」「忙しくて読むヒマがなくて」という返事がきた。就活だから新聞を読む学生は、就活が終わると、再び読まなくなるだろう。
 「人前で新聞を読むのが恥ずかしい」という答えもあって、ショックを受けた。そもそも新聞を読むのは身体化された生活習慣の一種。それが身についている世代は団塊世代止まりだろう。下の世代は、プリントメディアよりもTV映像よりも、ネットの端末を見ている時間がずっと長い。
 あのやたらと大きいサイズの紙をがさがさ言わせながら新聞を拡(ひろ)げるのはいかにもダサいし、幕の内弁当なみのてんこ盛りにも違和感がある。プロスポーツに何の興味もないわたしには、スポーツ欄の数頁(ページ)はまったくムダ。それなら自分が知りたい情報を、際限なく検索できるネットの方がはるかに役に立つ。
 メディアリテラシー教育というのがある。かんたんにいうと新聞の読みくらべのことだ。新聞そのものを読まなくなれば、読みくらべも意味がない。もしかしたら新聞の読みくらべは、もはや学校でしかやらない特殊な経験になるかもしれない。いまの子どもたちは、新聞やTVより、ずっとネット慣れしている。
 速報性のお株をとっくにTVやラジオに奪われた新聞には、調査報道という重要な役割が残っている。その昔、新聞記事のクリッピングを特定のテーマについて1年間続ければ、その方面のいっぱしの通になれる、と言われたものだ。深みと裏付けのある信頼できる報道の必要性はなくなっていないのに、新聞に代わる報道ジャーナリズムは成熟していないし、一方、新聞バナレはどんどん進んでいる。
 ネット界の情報探索の困った点は、じぶんにつごうのいい情報しか入ってこないことだ。新聞の紙面ならいやでも目に入ってくる「ふつごうな真実」に触れなくてすむ。その弊害はとっくに指摘されているし、アメリカではそうした傾向が先行している。トランプ批判がいっこうに耳に入らないトランプ支持者のような現象が日本でも起きるのだろうか? いや、とっくに起きているような気がする。(社会学者)

(転載終了)※   ※   ※

 そうか、もはや新聞を読むということはダサイのか。と、ちょっと落胆する。
 確かに混んだ電車の中で大きな紙をガサガサするのはあまりスマートではないことかもしれないけれど、かつては皆、ある程度上手に折り畳んで人の迷惑にならないように読む術を持っていたなと思う。
 けれど、だからこそ“紙”の新聞なのだと思う。開いて全体を見渡す、という作業こそが、紙の新聞を読む醍醐味だと。

 もちろん、今ではネット記事に日々お世話になっている私だ。自宅では一紙しか取っていないけれど、ひとたびパソコンを開けば、興味のない記事はすっ飛ばして興味のある記事だけいくらでも読み進めることができる。そう、それがそもそも問題なのだろうな、とも思う。
 自分にとって都合のよい真実だけ掘り下げて、自分の興味の網の目から外れるものについては、全てスルー出来る。一方、紙の大きな紙面だと、否応なしに見出しくらいは目に入ってくる。読み進めるかどうかは別として、全く見なかったことにするということはないような気がする。

 そんなわけで、我が家は相変わらず新聞を朝刊夕刊セットで取り続けているし、おそらく今後も購読を止めることはないのだと思う。
 片や、下宿している息子は、我が家にいる時から毎朝毎夕新聞を読んでいるわけではなかったし、目を通すのはスポーツ欄だけだった。ただでさえお小遣いが足りないとキューキュー連絡してくるくらいだから、新聞なんぞ取っているわけはない。

 就職活動を始めるにあたって新聞を取りたいのだけれど、という話もおそらくないのではないかと思っている。それにしても新聞社に勤めようとしている学生が、新聞を読まないということは物凄い皮肉ではないか。文章は読まないと書けないのでは・・・と思うのだけれど。新聞記者の知人が就職試験の論文なり作文なりを読み、本当にこれで記者になるのか、と思うようなものが沢山ある、と嘆いていたことを思い出した。

 今は昔、私が経験した就活では、“新聞を読む”という行為は社会人になるための前提というか、暗黙の了解だと思っていた。複数の社説を読み比べたりした。けれど、今のようなネット記事を掘り下げる読み方では、はたしてどうなのか、と思ってしまう。

 まあ、無料でネット記事のアウトラインだけ読めればそれで充分、あとはいくらでもスマホでゲームやら何やら時間潰しは出来ますから、ということであれば、わざわざ月に4,000円超のお金を払い続けるのもどうか、と思う世帯があっても不思議ではない。

 と同時に、最近の新聞取次店のサービスの良いことに驚く。更新ごとにあれやこれやと生活用品等の粗品が置かれていく。これだけの契約期間でこんなに頂いていいのでしょうか、というくらいのボリュームだ。それでも契約を続けてもらった方がよいのか。今や新規開拓などありえないから継続の読者を大切にしてくれているのかどうか。

 上野さんが案じておられるように、息子世代が定年になる前に新聞社が軒並み方針変更して紙の新聞を出すところがなくなってしまったら・・・、そう思うとアナログな活字中毒の私としてはとても哀しいのだけれど、果たしてどうなのだろう。
 まあ、そんなことより、まだ息子世代が就職もしていないうちから、定年になる前に、などということを案じるより、そんなに長く生きていられるかどうかの方を心配したら?、ということこそ、そもそも私が不都合な真実に触れていないということかもしれない。
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2016.10.4 検査あれこれ、心配あれこれ

2016-10-04 22:43:17 | 日記
 昨日、午後から休暇を頂いて実家に向かった。
 昨年、母が直腸がん術後に要介護認定を頂いてからまもなく1年が経過する。その更新のために地域包括支援センターが行う訪問調査に立会うためだ。

 事細かな質問にたっぷり1時間以上かかり、終わる頃には母も私もすっかり顎が出た。介護ベッドから立ったり座ったりの動作確認をしたり、室内の動線を確認したり、認知度のテストやら何やら。家族に気を遣いながら、本人の尊厳にも配慮しながら、これを一日に何軒も掛け持ちするのだから、本当にお仕事とはいえ大変だと思う。
 いつだったか新聞で、認定期間が1年だと更新のたび調査が大変だから期間を3年に延ばすという計画があると読んだが、さもありなんだと思う時間だった。

 思えば昨年、一旦退院した後、市役所の方たちが介護認定のために訪問されることになっていたのだが、退院してすぐに体調を崩し、再び受診したところそのまま緊急入院となり、結果、病室での聞き取り調査になった。

 当然体調はすこぶる悪く、ケアマネージャーさんが一緒に付き添って答えてくださるという事態だった。それを思えば、今回は曲がりなりにも一人暮らしをしているのだから、介護度が下がることは避けられないだろうと思う。

 とはいえ、今は週2回それぞれ1時間、ヘルパーさんに家事援助をして頂いており、母もそのペースに慣れてきている。それを頼みに私も、毎日ご機嫌伺いの電話はするものの、実際には週1回顔を出すのが精一杯の状況だ。
 もちろん入院時のように短期決戦なら、1日おきなり毎日なり通うことも出来るかもしれない。けれど、住み慣れた自宅で日々を送っている現在、自分の治療が継続出来るように体調管理に腐心しつつ、平日フルタイムの仕事の後、往復3時間をかけて実家に通うとなれば、こちらの生活が破綻することは目に見えている。

 にっちもさっちも行かなくなったら、いずれは自宅を引き払って施設に入ってもらうことを想定しているが、いずれにせよ父が亡くなってまだ3ヶ月、墓地の準備中で遺骨の納骨すら済んでいない。せめて3回忌が終わる頃まではなんとか頑張ってほしいと思っている。

 とはいえ諸事情を冷静に考えれば、実際ににっちもさっちも行かなくなってから動き始めるのではとても間に合わない。「最悪に備えて最善を尽くす」-これこそ再発がん治療の肝と思っていたがそれだけではない。これぞ全てにおける人生訓なのだな、と改めて思う。

 そんなわけで、母はこのところの検査続きでげんなりしている。145cm、33kgの身体で大腸内視鏡検査の2リットルの下剤は飲みきれず1.8リットルでダウンした模様。とりあえずこちらの検査はなんとか大丈夫そうだったが、貧血が酷く、出血箇所はどこか、ということで昨日は胃カメラも撮影してきた。

 胃自体は問題なさそうだったが、食道に気になる部分があって、組織検査に回されたという。すっかりしょぼくれて、2週間後の検査結果説明にまた同行することになった。
 明日には造影CTの検査もある。全て付き添いをしていたら申し訳ないけれど、仕事どころではなくなる。とはいえ、結果を説明してもらっても本人がちんぷんかんぷんではどうしようもない。検査結果説明だけは同席する予定だ。

 来週には自分の通院治療日も控えており、再来週母の結果次第ではまた忙しくなるかもしれない。その翌週は自分の造影CT検査。

 父亡き後、なんとか母の一人暮らしを軌道に乗せるために今は踏ん張りどころと思っていたけれど、肝心の母が心身ともに衰えが進んでいて、なかなか思うに任せない。
 とはいえ、起こってしまったこと-過去-を変えることは出来ない。心配しても仕方のないこと-未来-を気に病んでも始まらない。だからこそ“今”出来ることを、笑顔で、精一杯行う。それを続けていさえすればきっと万事上手くいく。このヨーガの智慧を頼りに日々を暮らしていくしかないのである。

 帰宅すると、今月初めてのお花が届いていた。深紅の薔薇が2本、ピンクが1本、濃い青紫のリンドウが3本、白いオーニソガラムが2本、向日葵が4本とミスカンサスの葉。
 今日は都内で32度という真夏を思わせる暑い1日になったが、あたかも行く夏と来たる秋が、混在している風情の鮮やかな花瓶が出来上がった。
 花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「正義感」、「潔白」、「愛慕」だという。

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2016.10.2 瞑想ヨーガ指導者養成コース後期2日目、指導初体験にドキドキ

2016-10-02 22:36:54 | ヨガ
 瞑想ヨーガ指導者養成コース後期2日目。今日はようやく青空が顔を出すお天気になった。昨日の興奮が冷めやらないせいか、疲れているはずなのに明け方早々に目が覚めてしまって、どうやっても寝付けず。朝風呂に入って時間調整する。

 今日も30分ほど前に到着。今朝もまたエレベーターでAさんとご一緒になった。着替えを済ませてスタジオに入り、まずは今や我が守り神と慕っているガネーシャ神にご挨拶。Sさんがフランキンセンスの樹液を焚いてくださっている。昨日風邪引きさんが多かったため、抗菌作用のあるこの煙がスタジオ内を殺菌してくれているという。

 今朝は出席取りから。皆、笑顔でご挨拶しながら元気にお返事。唯一事務局のMさんが発熱でお休みとのこと、21人だ。朝日が眩しくスタジオに溢れ、すがすがしくとても気持ちよい。

 昨日の続きで、クラスの組み立てを学ぶというテーマから再開。瞑想ヨーガのクラス90分をスタートしながらその手法を説明される。「ようこそ!」のご挨拶、アイスブレイクなどのオープニングから入って、始まりのマントラを歌い、アーサナに入る。ここまでで1時間。

 その後、プラーナーヤーマ・瞑想で10分から15分。シャバアーサナ10分の後、キールタンや終わりのマントラ、お祈りのクロージングが10分。それぞれのガイドの仕方、呼吸法や声掛けの仕方など、聞きなれた大好きなSさんの声で説明されるが、実にうまく出来ていると改めて感心することしきり。

 休憩後は、3人ずつのグループに分かれて、90分の瞑想ヨーガクラスを体験して、どんな感じがしたのか率直に感想を言い合ってシェア。瞑想中に涙が出るなどの経験をしたという話題が出た。ヨーガは心を静めるために行うものであり、例え涙が出ても瞑想中は“全て最善のことが起こっている”ということなので、そのことに何か意味を求めたり、理由を追う作業はしない、過去に起こったことのために心を使わない、というお話に納得した。

 私はどちらかといえば、泣くことを制御してしまう、涙がなかなか出せない性質(たち)なのだが、それもひっくるめて全て良きことなのだ、と思うと確かに心が静かになってくる。  

 続いて呼吸法(プラーナーヤーマ)。基本呼吸(腹式呼吸)からスタートして、クンバカ(息を止める)やバンダ・ドラヤといった喉やお腹を「締める」テクニックを学ぶ。

 前半は身体を気持ちよく動かし、後半では理論も学びながら、バランスよい学びを終えて、そろそろ空腹を感じてくる。心も身体も健康だな、と思う。お楽しみのランチタイムは、昨日と同じメンバーで初めて和食レストランへ。限定9食だという日替わりランチをゲット出来て満足してスタジオに戻った。

 午後も引き続き呼吸法。片鼻呼吸(スカ・プールヴァカ)を学ぶ。両方の鼻を平等に使うことによって心身のバランスが保たれ、心が安らぎ、集中力がつくという。手を使わずにイメージで行った後、手を使って行う。午前中と同じ3人グループで体験したことをシェアしあう。

 続いて1人5分ずつガイド体験を行った。いつもSさんがごくごく普通に誘導してくださるのを聞き慣れているし、毎晩CDも聴いているし、こんな感じというのはそれなりにわかっているつもりだったのに、実際にMさんとJさんの2人を相手に自分も一緒にやりながら誘導にチャレンジしてみると、これが半端でなく難しい。

 「吸う、吐く」と言いながら自分の呼吸のタイミングは合わないし、息も続かず、焦ってしまう。文字通り聞くとやるとは大違い。いやはや大変な道のりである。Sさんのリードの仕方がどれだけ上手であるのか、痛感した。それぞれがいろいろな気づきをもって意見交換。

 休憩の後は、季節ごとの呼吸法を学ぶ。春の呼吸法である蜂の音のブラーマリー、夏の呼吸法である舌を丸める冷却呼吸法のシータリー、秋の呼吸法で勝利の呼吸法とも呼ばれるウジャーイの3種類を実践。慣れてきたところで、3人で再びブラーマリー呼吸のガイドを1人5分間体験する。どのように伝える(誘導する)のが一番わかりやすいのか、お互いに感想を言い合う。最後に行ったMさんは素晴らしく、ほぼ完成形という感じだ。

 なかなかうまくいかず、すっかり気落ちしてしまったけれど、誰だって最初からうまくなんていくわけがない。あとは慣れです、というSさんのお言葉を信じて練習あるのみ!なのだろう。

 こうして今日2日目もあっという間に7時間の学びが終わった。カルマヨガでマットのお掃除をしてから、Wさんと駅までご一緒した。
 帰りは夫が駅まで迎えに来てくれた。今日もまた夕飯を用意させてしまい、本当にかたじけない限り。

 明日からまた新しい1週間が始まる。週明け早々母の介護認定の更新やら、夫の出張やら、残業予定やら、ガイダンスやら・・・あれこれ慌ただしい10月第1週になりそうだ。
 溜まった洗濯はなんとか片づけたけれど、またしても掃除が後回しになってしまい、困った主婦である。
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2016.10.1 瞑想ヨーガ指導者養成コース後期スタート

2016-10-01 21:19:06 | ヨガ
 10月になった。テンプレートも例年どおりピンクリボンに衣替えだ。
 そして今日から待ちに待った瞑想ヨーガ指導者養成コース後期がスタートした。昨夜は準備をしてから課題図書を猛スピードで読破し、早めにベッドに入ったのだけれど、興奮したのかなかなか寝付かれない。BGMにしたマントラ・キールタンのCDを何度も聴きなおしてしまう。

 今朝はいつもより早起き。あいにくはっきりしないお天気だけれど、しっかり朝食を摂り、夫に留守を頼んで出かけた。
 30分ほど前に到着。エレベーターでAさんとご一緒になる。既にIさん、Mさんなど早起きさんが到着済み。受付を済ませてSさんにご挨拶。着替えをしてスタジオに入った。

 今期も前期同様1日7時間を12日間の日程だ。懐かしいお顔がちらほら揃ってくる。またよろしくお願いします、とあちこちで楽しそうな声が聞こえてくる。幸せで高揚した気分だ。Sさんが中央に座り、皆が扇形にマットの上に座る。前期から6名が減って22名だとのこと。出席もとらず、瞑想から始まった。後期のテキストとカリキュラム表が配られる。

 カリキュラムを見て、ちょっと目が点になる。もちろん指導者養成コースの仕上げの後期だから当然といえば当然なのだけれど、どの日程も指導法という言葉で一杯だ。そして、12月は実習が丸々3日間。実技テストや総まとめテストの後、修了式とある。前期と同じで全日程に参加することに加え、セルフワークなども込みで瞑想ヨーガの指導者と全米ヨガアライアンス200時間の資格が取得出来ることになる。

 後期を受講するに当たってオリエンテーションを含む40分ほどのセッションを終えた後、22人が4,5人のグループ5つに分かれてまずは自己紹介と後期でしたいことをシェアしあう。もう顔見知りのメンバーだけれど、3ヶ月のインターバルを終え、メンバーそれぞれが進化して今、考えていることを聞くのはワクワクする。

 その後、テキストからスタート。今日はほぼ座学とのこと。指導法1ということで再び「美しく、徳があり、愛がある、リーダーでいる」という基本姿勢を確認する。さらに指導の基本となる信念を確認した後、どんな指導者を目標とするのか、それぞれがテキストに書き込む。ヨーガを誰かに伝えるとしたらどんな人の何に役に立つことを伝えたいか、理想とする指導者はどんな人か、後期を終えて、どんな自分になっていたいか。

 今、指導者になるなんて、と思っている人もいつ本当に教えることになるかわからないのだから、とSさんがおっしゃる。才能が眠っているかもしれないのだから、楽しんで学びましょうとのこと。こんな場に私がいていいのかしら、と思うけれどもう乗りかかった船、最後まで付いていきたいと思う。

 指導者としての考え方として「現実のとらえ方」の新しい視点の学びということで、ヒーリングの考え方を学んだ。これは1月、2月と基礎、応用コースに通ったヒーリングだが、やり方はわかったもののなかなか実践出来ていないので、久しぶりにSさんのリードのもと、実践。ペアワークでMさんとチャクラを整えあったり、とても心地よく行うことが出来た。

 あっという間にお楽しみのランチタイム。雨が降り出しそうではあったが、なんとか持ってくれて有難かった。いつものHさん、Nさんと3人でタイ料理レストランへ。ワンパターンだけれど、やはりここに来たらトムヤンメンは外せない。美味しく頂いて、午後のクラスに戻った。

 午後も引き続き指導者の考え方がテーマで、ヨーガ・スートラなどの復習をしながら思考についての理解を深め、ヒーリングでも学んだ「思い込み」についておさらい。Sさんの話術にはいつもながら引き込まれる。クラス内は笑いが絶えない。指導者として助けになる感覚の呼び覚まし、世界の成り立ちを理解する学びの復習を行い、新たな視点で物事に対処する方法を確認していく。お腹は一杯だし、だんだん頭が疲れてきて、眠気も。やはり頭をフル回転させると身体も動かしたくなるのが不思議だ。

 休憩の後は小1時間ほどヨガのポーズを続ける。心も身体もほぐれたところで気持ちよくシャヴァアーサナ。本当に幸せな時間だ。さらにはキールタンを3曲ほど歌い、ラスト30分でプログラムの組み方を学ぶ。
 基本的なプログラムのイメージを皆で出し合いながら、Sさんのお話は進む。参加型の講義は本当に楽しい。こうして指導法を聞くと、実際にどんなことを考えながらインストラクターの方たちがクラスを組み立てているのか実感出来る。

 お天気がイマイチのせいもあって外は早くも暗い。もうおしまいの時間だ。楽しく学ぶ幸せな時間はどうしてこう早く過ぎてしまうのだろう。カリキュラム表によれば明日も引き続きクラスの組み立てに必要な学びを続けるようだ。このまま12月のラストまで頑張り過ぎずに頑張って楽しく学び、結果として資格が頂ければ、と思う。


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