昨日は2冊読めた。
1冊目は清水義範さんの「老老戦記」(新潮文庫)。
敬老の日に因んで手に取った、9月の新刊である。帯には「さいごは暴れて、いきましょう。主要登場人物は『団塊以上』ハードコア老人小説。」とある。
本当に団塊の世代の方たちはお元気だ。どこに行ってもウオーキングシューズにバックパック姿で颯爽と闊歩している。時間もお金もあるのだろうなあ。
第一部ではグループホームの老人たちがクイズ大会に参加して主催者を手玉に取ったり、海外旅行でひたすらマイペースを貫いたり、とクスクスニヤニヤしながら読んだ。けれど、第二部になると大分様相が変わってくる。え、こんなに過激で大丈夫?という感じ。裏表紙にも「世間では団塊アゲイン政党なる政党が勃興した。同世代の反体制派が闘争を開始、社会に衝撃が走る。これは悪夢か、現実か。日本を守らんと義勇軍を結成したのは・・・。超高齢社会日本を風刺するハードコア老人小説。『朦朧戦記』改題」とある。
金原瑞人さんが解説を書いておられるが、「現代日本を細かい部分から大きな部分まで徹底的に皮肉ってパロった、超過激でブラックで、ユーモラスな清水ワールド。・・・若者は一切、登場しない。堂々たる老人小説」のとおり。
そういえば大学時代、卒論テーマに「デモクラシーの政治過程における高齢化社会」を取り上げた私だが、30年を超え、実際の団塊世代である清水さんの著書と初めて出会ったことに、不思議なご縁を感じる1冊だった。
2冊目は白石一文さんの「愛なんて嘘」(新潮文庫)。
1冊目と打って変わって、白石さんの男女の6つの物語。帯には「信じられるのは私だけ?ひとりぼっちのさみしさに慣れてしまったあなたに贈る」とある。
裏表紙には冒頭と2篇目が簡単に紹介されている。「恋人の家に転がり込んできたのは、とっくの昔に離婚したはずの彼の元妻だった。一つの場所にとどまることのできない女の存在が二人の関係を変える。」(「夜を想う人」)。「一度は別れを選び、それぞれが新しい伴侶を見つけ、子供も授かった元夫婦の約束とは」(「二人のプール」)。どのお話もなかなか読み応えがあり、頁を繰る手が止まらなかった。中でも私が一番面白かったのは、最後の「星と泥棒」か。これは他の5篇と異なり、唯一、失踪する人も出奔する人も出てこない作品だ。
解説の佐久間文子さんが書いておられるが、「6つの短篇は、かなり風変わりな愛に心をとらえられた男女をめぐる小説である。同時に人それぞれに異なる孤独との向き合い方を描いた小説でもある。だれかを選んで一緒にいることは、思いがけず「私」という人間の姿を、その人の孤独のありようを浮かび上がらせもする。・・・この短篇集の男女はそろいもそろって、安定したそれまでの人生をあっさり手放す。駅のホームでたまたま来た違う電車に乗り換えるみたいな気軽さで、先の見えない暮らしに身を投じてしまう。」とある。
先の見えない暮らしに身を投じるなんて冒険はとても出来るとは思えない私にとって、だからこそ、の読書体験なのだと思う。
さて、昨日と打って変わって今日は爽やかな青空、日差し溢れるいいお天気。カラリとした洗濯日和で、日傘も大活躍だ。そんな秋晴れの日なのに気分は上がらない。投与翌日の体調のこと、やむなしなのだけれど。
朝食はドーナツ半分と果物だけ。出勤して昨日からのメール等の処理をして午後からの会議に向かう。片道たっぷり2時間超はいかにも遠い。お昼は時間をかけておうどんを頂く。会議が終わって直帰したけれど、夫とほぼ同じ時間になって、最寄駅で落ち合って荷物を持ってもらって一緒に帰宅した。だるいし熱っぽい。ダラダラと洗濯を畳み、夫に夕飯の支度は任せる。食欲がないし、繊細な味がイマイチよく分からない。普段は食べないような濃い味を欲している感じだが、とにかくそれすら全然作りたくないのだ。
あと一日、明日をやり過ごせばまた休日がやってくる。いつもいつもこの繰り返し。それでもこうして繰り返せることを有難いと思わなければ。
1冊目は清水義範さんの「老老戦記」(新潮文庫)。
敬老の日に因んで手に取った、9月の新刊である。帯には「さいごは暴れて、いきましょう。主要登場人物は『団塊以上』ハードコア老人小説。」とある。
本当に団塊の世代の方たちはお元気だ。どこに行ってもウオーキングシューズにバックパック姿で颯爽と闊歩している。時間もお金もあるのだろうなあ。
第一部ではグループホームの老人たちがクイズ大会に参加して主催者を手玉に取ったり、海外旅行でひたすらマイペースを貫いたり、とクスクスニヤニヤしながら読んだ。けれど、第二部になると大分様相が変わってくる。え、こんなに過激で大丈夫?という感じ。裏表紙にも「世間では団塊アゲイン政党なる政党が勃興した。同世代の反体制派が闘争を開始、社会に衝撃が走る。これは悪夢か、現実か。日本を守らんと義勇軍を結成したのは・・・。超高齢社会日本を風刺するハードコア老人小説。『朦朧戦記』改題」とある。
金原瑞人さんが解説を書いておられるが、「現代日本を細かい部分から大きな部分まで徹底的に皮肉ってパロった、超過激でブラックで、ユーモラスな清水ワールド。・・・若者は一切、登場しない。堂々たる老人小説」のとおり。
そういえば大学時代、卒論テーマに「デモクラシーの政治過程における高齢化社会」を取り上げた私だが、30年を超え、実際の団塊世代である清水さんの著書と初めて出会ったことに、不思議なご縁を感じる1冊だった。
2冊目は白石一文さんの「愛なんて嘘」(新潮文庫)。
1冊目と打って変わって、白石さんの男女の6つの物語。帯には「信じられるのは私だけ?ひとりぼっちのさみしさに慣れてしまったあなたに贈る」とある。
裏表紙には冒頭と2篇目が簡単に紹介されている。「恋人の家に転がり込んできたのは、とっくの昔に離婚したはずの彼の元妻だった。一つの場所にとどまることのできない女の存在が二人の関係を変える。」(「夜を想う人」)。「一度は別れを選び、それぞれが新しい伴侶を見つけ、子供も授かった元夫婦の約束とは」(「二人のプール」)。どのお話もなかなか読み応えがあり、頁を繰る手が止まらなかった。中でも私が一番面白かったのは、最後の「星と泥棒」か。これは他の5篇と異なり、唯一、失踪する人も出奔する人も出てこない作品だ。
解説の佐久間文子さんが書いておられるが、「6つの短篇は、かなり風変わりな愛に心をとらえられた男女をめぐる小説である。同時に人それぞれに異なる孤独との向き合い方を描いた小説でもある。だれかを選んで一緒にいることは、思いがけず「私」という人間の姿を、その人の孤独のありようを浮かび上がらせもする。・・・この短篇集の男女はそろいもそろって、安定したそれまでの人生をあっさり手放す。駅のホームでたまたま来た違う電車に乗り換えるみたいな気軽さで、先の見えない暮らしに身を投じてしまう。」とある。
先の見えない暮らしに身を投じるなんて冒険はとても出来るとは思えない私にとって、だからこそ、の読書体験なのだと思う。
さて、昨日と打って変わって今日は爽やかな青空、日差し溢れるいいお天気。カラリとした洗濯日和で、日傘も大活躍だ。そんな秋晴れの日なのに気分は上がらない。投与翌日の体調のこと、やむなしなのだけれど。
朝食はドーナツ半分と果物だけ。出勤して昨日からのメール等の処理をして午後からの会議に向かう。片道たっぷり2時間超はいかにも遠い。お昼は時間をかけておうどんを頂く。会議が終わって直帰したけれど、夫とほぼ同じ時間になって、最寄駅で落ち合って荷物を持ってもらって一緒に帰宅した。だるいし熱っぽい。ダラダラと洗濯を畳み、夫に夕飯の支度は任せる。食欲がないし、繊細な味がイマイチよく分からない。普段は食べないような濃い味を欲している感じだが、とにかくそれすら全然作りたくないのだ。
あと一日、明日をやり過ごせばまた休日がやってくる。いつもいつもこの繰り返し。それでもこうして繰り返せることを有難いと思わなければ。