ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.9.8 近づく台風と残暑にめげず合唱練習

2019-09-08 21:11:49 | 合唱

 昨夜はかなり遅い就寝になってしまった。今朝は目覚ましを遅めにかけ、あわせて洗濯が仕上がるように予約セットした。かなり疲れていたのか一度お手洗いに起きるまで6時間は連続して眠れた。その後はもう眠れなかったけれど、さすがに疲れていて身体が重く、洗濯が出来上がるまでベッドで横になっていた。

 台風15号が接近中。気温も湿度も高い。朝のうちは陽射しもありお天気がまずまずだったので、起きてきた夫と一緒に大量の洗濯物をベランダ一杯に干す。朝食の支度を済ませ、夕食の下ごしらえまで終える。

 今日は今月初めてのOBOG合唱練習の日だ。夫がお土産等を届けに実家にご機嫌伺いに行ってくれるというので、有難く甘える。母に連絡すると、では一緒にお昼を、とのこと。だが、どうも午後は雨が酷く降りそうなので、ひとまず荷物だけ置いてとんぼ返りしてくる、と夫がマイ電動自転車で出かけた。
私も一緒に出掛けたかったが、洗濯物が心配なので、全部取り入れて浴室乾燥にかけてあれこれしていたら、予定の準特急に乗れず一台遅くなってしまった。
 
 9月も半ばになろうとしているのに、強い陽射しと蒸し暑さが身体に堪える。今日も車内でipodを聞きながら練習場に向かった。乗換駅ナカのカフェで軽食を摂ってから、練習場所最寄り駅に到着した。青空でむっとする暑さだったが、ついさっき雨が降ったかのように道は濡れていた。

 会場では6期上のNさんによる発声練習中。今月の会費をお支払いして出席簿に○をつけ、後ろの列で練習に加わる。
 ソプラノが私を含め6名、アルトは2名、男性は7名ほど。台風のせいか掛け持ちの合唱団の活動のせいか、参加者が少な目だ。

 今日は2人の先輩、1人の後輩の指揮によるオムニバスの練習だった。
 発声練習を30分ほどで終え、そのままNさんによる邦人曲「ぜんぶ」の練習から。少人数なので一人一人の声が聞きやすい。45分ほど歌った後は、そのまま12期上のKさんによるマドリガル(イタリアの世俗声楽曲)2曲。あわせて小一時間。今日は途中お休みもなく、ノンストップ。大分リズムに乗れるようにはなってきたけれど、まだまだ口がしっかりイタリア語の歌詞についていっていないなと反省。

 ここでようやく10分休憩。最後はバッハのモテⅢを40分ほど。5期下のSさんによる指導だ。今回お披露目する予定の4曲目の女声合唱からスタートして、7曲目のコラール、そしてモテⅢをやるのにフーガを歌わないなんて・・・と6曲目まで突入した。既に大分喉が疲れており、レースのカーテンのような16分音符を歌いながらゼーゼーしてしまう。ソプラノは2声に別れ、トップとセカンドがちょうど3人ずつだったけれど、カンニングブレスをしながら青息吐息。たちまち3時間が過ぎて終了時間となった。

 台風接近中ということで、早々に片付けて連絡事項を聞き、解散となった。
 実家に行ってくれた夫の様子が心配だったが、案の定到着後酷い雨になり、なかなか実家を出られなかったようだ。先月息子の車掌姿を撮影した動画をタブレットに入れて、母に見せてくれたとのこと。母は立派になって、と涙ぐんだそうだ。祖母孝行が出来て何より。

 その後、もうそろそろ大丈夫かなと出かけたものの、途中で土砂降りの雨に遭って大変な思いをして帰ってきたという。洗濯機にはびしょ濡れの衣類が入っていた。申し訳ない・・・頭が上がらない私である。母は話し相手が出来てとりとめもなく2時間ほど喋りっぱなしだったようで、夫はかなりお疲れの模様。私も来週水曜日の通院付き添いでは覚悟しなくては・・・。

 次回の練習は2週間後なのだが、あいにく別の予定が入っており、欠席の予定だ。それとは別に来週の日曜日は夜、第九の第二回練習日だ。先週行われた初回練習に欠席してしまったので、次回は行かなくては・・・と思っている。帰りは9期上のIさんと乗換駅までお喋りをしながら帰ってきた。

 帰路はライナーを予約済みだったので、時間調整のため百貨店へ。夫にはお土産に季節限定のプリンを購入した。台風接近のため早めの閉店のところもあるようだった。

 帰りの車内で復習をしたかったのだけれど、なんだかとても疲れていて、ちょっとウトウト。最寄り駅に到着すると、雨は上がっていたが路面はビッショリだった。いつまた降り出すかわからないので、早々に買い物を済ませて帰宅した。夫が夕飯の支度をしてくれていたので、今日も有難くお任せしてかつらのシャンプーをし、浴室乾燥した洗濯物を畳み、お風呂掃除を済ませた。
 
 今夜から明日の朝まで雨風が酷くなるという。市内は暴風警報、大雨警報が出ている。首都圏の鉄道は計画運休するようだし、明日の朝は無事に通勤出来るとよいのだけれど。
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2019.9.7 旅2日目は白川郷を堪能して無事帰京

2019-09-08 00:52:50 | 

 昨夜は大浴場と露天岩風呂、サウナを楽しみ、早々にベッドに入った。夫はあっという間に鼾をかき始めたが、それを殆ど気にする余裕もなく、眠りに落ちた。夜中に一度お手洗いに起きた後、再び眠り、目覚ましをかけた2時間ほど前に目が覚める。
 少し迷って大浴場にもう一度。早い出発の人たちは朝食に向かう時間だったのか、昨夜よりずっと空いたお風呂でゆっくりと手足を伸ばした。

 昨夜チェックインした時には真っ暗だった部屋の窓の外を見れば、絶景。部屋の正面に立山連峰がまるで墨絵のように広がっている。山々を背景に広がる砺波平野、濃淡の緑が鮮やかで眩しい。“誰もが懐かしい日本の原風景が、そこにある”というホテルのパンフレットの通りだ。こちらではつい先週、夫が常々訪れたいという「おわら風の盆」のお祭りが終わったばかり。

 昨日空港からの移動中に目にした家々の屋根が、どれも能登瓦で黒々としていたのが、印象的だった。雪に強いのだという。それが西に向かうにつれてだんだん石舟瓦に赤く変わっていくというのは物知り添乗員Tさんの弁。一方、北海道ではトタン屋根、夫の故郷も雪が多いが、やはり軽いトタン屋根だ。屋根一つとっても日本列島は南北に長く、狭いようで広いなあと思う。

 お風呂から戻って朝の連続テレビ小説を視てから朝食会場へ。夫が最後に部屋を出たのに、なんと鍵を持っていないという。ああ、またやった。ロックアウトである。
 北陸の味覚がふんだんに供されたビュッフェをさっさと済ませて、小さくなってフロントに出向き、鍵を開けて頂いた。トホホ。セキュリティのために、とツアー会社を訊かれた。間抜けですみません。

 当初の予定では、朝食終了から出発まで1時間あったが、観光先の時間を増やした方が良い、と30分繰り上げて9時半の出発。今日はラッキーなことに、席替えで一番前列の見晴らしのよい席になった。ドライバーさんと添乗員さんのやりとりも聞こえて楽しい。
 最初に目指すは世界遺産の白川郷。茅葺き屋根の古い合掌造りの集落は、日本の原風景だ。ここを家族3人で訪れたのはいつだったろう。まだ息子が保育園児だったか。
 
 2時間弱の自由散策は、総合案内であいの館からスタートして、であい橋を渡るところから。外国からの旅行客も多い。今日もピーカンのいいお天気。濃い緑の山々が笑ってくれている感じだが、紫外線が強く、肌に突き刺すように暑い。
 展望台まで行くシャトルバスに乗るためにてくてくと歩く。以前訪れた時に比べ、良くも悪くも観光地として格段に整備されている。

 ひまわり、コスモス、稲穂に睡蓮、ススキと秋と夏が混在している。赤とんぼ、しおからトンボの大群を見たのは子どもの時以来か。幸運なことにほどなくして到着したシャトルバスに乗り込める。白川郷といえば冬の雪景色が素晴らしい。夫と息子は雪が積もった早春に一度訪れている。今回は行く夏を惜しむ季節だが、お天気が味方してくれて素晴らしい記念写真が撮れた。「はい、チーズ」ではなく、「シラ、カワ、ゴウ」の合図で傘を被ってにっこり。

 再びバスに乗ってメインロードまで戻る。国の重要文化財である和田家は、夫が前回見たというので、今回は長瀬家を見学した。260年続く旧家の長瀬家は、加賀藩から送られた500年前の壮麗な仏壇があることで有名。平成13年にボランティア500人以上により80年ぶりの屋根の葺き替えが行われた過程はNHKで放映された。

 帰りは少し裏道を散策しつつ、地元の方とお喋りして旅の風情を楽しむ。ソフトクリームを頂いたり、母の好きなきんつばをお土産に買ったり、夫の好きなとち餅を買ったり。瞬く間に2時間弱の自由時間は終了。

 ここからバスで1時間かけて昼食会場へ向かう。‘飛騨高山まつりの森’での昼食は飛騨牛朴葉味噌焼きに加えて、なぜかふぐてっさ、ふぐてっちり(実は飛騨ふぐが養殖されているというが、これはとても高価でこうしたツアーの食事には出せない模様)。お米は岐阜が誇るブランド米「龍の瞳」が供された。ボリュームもあり、お腹一杯になるとまぶたが下がってくる。

 向かいには、以前泊まったことのある高山のホテル。懐かしい。
 バスに揺られてウトウトしながら最後の観光地、宇津江四十八滝に到着。ここは渓谷沿いにある大小無数の滝で、21世紀に残したい日本の自然100選だという。13の滝があり、滝巡りハイキングコースになっているが、一番上の上平滝までは880m。1時間はたっぷりかかるようだ。

 散策時間は1時間強なので、ひとまずさわりぐらいまで行ってみようと歩き出す。これがなかなか手強い山道だ。ハイキング用の靴を履いてきているわけではない。それでも天然クーラーのごとく涼しく、木々のマイナスイオンを頂いて、肺呼吸が楽になる感じ。水煙を感じながら頑張って5番目の上段滝まで辿り着いた。ここは高さ10mを以上あり、立派である。その2つ先の王滝が高さ20m弱で、13の滝の中で特に優れて大きいというので、せっかくなので、と歩き出した。ところが、突然坂が急になり、足場も悪いので、身の程を考えて、勇気ある撤退。折り返した(正解だった。)。帰路の方が膝に来るし、また足の爪を痛めては洒落にならない。
 レストハウスで珈琲タイム。アイスクリームも頂いて、涼みながらほっと一息。

 後は空港へ向かうのみ。途中の道の駅・細入では時間調整のためたっぷり時間があった。夫はジャージー牛乳を飲んだり、好物の大福を食べたり、相変わらずお腹が元気だ。私もカフェオレで人心地つく。
 ドライバーMさんのご親切で絶景の渓谷で少々写真撮影タイムを取って頂く。赤い橋には野生の猿もいてびっくり。半月が空高く、美しい。

 車窓の外では、左手の夕焼けは燃えるようだし、右手には立山連峰が淡いオレンジ色に染まりながら別れを告げてくれる。今回の旅、山々が沢山笑ってくれてラッキーだった。
 添乗員Tさんは実に博識だったし、ドライバーMさんも穏やかで親切な方。ガイドさんはいなかったけれど、ベストコンビに恵まれた2日間だった。本日のバス走行距離は205km。

 空港のラウンジでお茶を頂き、一休み。夕食には名物のます寿司がお弁当として配られたので、機内で頂く。若干遅れて羽田に着陸したが、自宅最寄り駅までのリムジンバスにぎりぎり間に合って、ほっとした。事故渋滞でバスの中ではぐったりお休みしたが、なんとか日付が変わらないうちに帰宅することが叶った。
 明日は朝ゆっくり起きて洗濯物を片付けたら、午後からは合唱練習である。
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2019.9.6 いざ、今年は「3県良いとこどり 7つの味覚旅」へ!

2019-09-06 21:11:19 | 

 夫の誕生日が近い。ならば旅行を!(いつもながら単純である。)と、昨年は九州を旅したが、今年は2泊する時間の余裕がなく(既にこの夏は遊び過ぎである。)「北陸3県良いとこどり 7つの味覚旅2日間」に参加することにした。母の手術が延期になった怪我の功名。相変わらず転んでもただでは起きぬ夫婦(私だけ?)である。

 1泊で3県巡りということで、早朝の飛行機である。空港集合が7時とあって、予約した最寄り駅から出るリムジンバスは5時発。
 4時に起床、睡眠時間は4時間半ほどである。日の出は5時16分とのこと、外はまだ真っ暗である。朝食を摂ることもなく、身支度だけして家を出る。
 あまりの眠さに、なぜに空港隣接のホテルに前泊しなかったかと若干後悔したが後の祭り。

 駅に向かう途中、普段駅に行く時に通るビルの自動ドアが開かないことに気づき、冷や汗をかいた。結局、遠回りして息切れしながら階段を上り、バスの出発間際に滑り込みセーフである。いやはや、こんなに早い時間から通り抜けなど出来なかったのである。お気楽に朝焼けの写真等撮っている場合ではなかった。始発駅からの客は私達夫婦とあとお一人だけ。

 次の停留所でようやくあたりが明るくなり、車内も混んでくる。最後の停留所では20人ほどが乗り、ここから高速へ。車は順調に流れている。いいお天気だ。車内で持ち込んだパンや果物、ジュースの適当な朝食を済ませる。羽田着は予定通り6時半過ぎ。空港に入ると、まだ7時前とは思えない混雑ぶり。

 集合場所で添乗員Tさんからチケットを受け取り、そのまま保安検査所を通過。搭乗する飛行機の離陸時間まで1時間ほどあるが、搭乗口が変更で、端から端まで歩く羽目に。 
 ようやくバスラウンジに到着してお茶をしながら時間調整である。

 7時55分発の富山行きは定刻通りに離陸。タラップから飛行機に乗り込むと、ボーディング・ブリッジからすいすい行くのに比べ、ああ、いかにも空の旅だなと思う。朝から気温が高い。青い空は澄み切っていて、まだ真夏といった風情だ。

 機長からのアナウンスでは現地は快晴、気温は既に29度という。富山きときと空港に降り立つのは初めてのこと。“きときと”という言葉を知ったのは富山県出身である室井滋さんのエッセイだったが、新鮮とか生きのいいという意味である。文字通り美味しい海鮮を頂くのが楽しみな今回の旅である。

 最初の目的地は雨晴海岸。空港を出た途端に目の前に立山連峰の山々が迫ってくる。この季節にこんなにはっきりと見えるのはとてもラッキーとのこと。やっぱり晴れ女だなあとにんまりする。
 こちらは藤子・F・不二雄さんの出身地ということで、路面電車はドラえもんのラッピングだ。バスの中は大人ばかりなのに、なんとなく歓声が上がって微笑ましい。

 小一時間バスに揺られ、日本海の青い海が迫ってくる。夫と息子は10年余り前に2人で北陸も旅している(日本全国の路面電車制覇が目標だった)が、そのときに今回の雨晴海岸も氷見にも訪れている。

 立ち寄った道の駅・雨晴(あめはらし)は3階に展望デッキのある白亜のお洒落な建物。道の駅も近年実に進化している。道路を渡れば目の前は単線でオレンジ色一両編成の氷見線が走っている。白砂青松の海岸の背景は雄大な立山連峰。さすがに夏の終わり、白い雪を被っていないので、普段目にする立山連峰のイメージとはちょっと違うが、富山湾から能登半島を望む青い空、白い雲、青い海のコラボレーションは絶景だ。

 夫が試しに写真を送って息子にどこだかわかる?と訊いたら、かなり経ってから「雨晴っぽい」と戻ってきた。へええ、と驚く私である。万葉集の時代から詠まれた景勝の地、大伴家持もしばしば訪れたという。義経岩は義経が奥州へ落ち延びる途中、にわか雨が晴れるのを待ったという岩だそうで、この雨晴という地名の由来となっている。

 10時のおやつにカフェで”雨晴海岸”というネーミングのサンデーをテイクアウト。ブルーハワイ味で青い空と海をイメージしたものだという。ツアーバッジを見せると白エビあられが特典でついてきた。お腹を壊すと怖いので、夫からちょっとお裾分けを頂くだけにしたでやめておく。

 続いて目指すは昼食を頂く氷見の温泉宿だ。大広間で頂いたのは“富山湾の宝石”とも言われる、白エビのかき揚げ丼。サクサクのかき揚げは甘さが引き立ってとても美味だった。夫は昼から地酒を頂いて、赤い顔になってご機嫌さんである。宿は、余った時間に周りを散策するにも田んぼの真ん中。1時間の昼食タイムは時間が持たず、皆早々に集合してバスは予定より早めに宿を後にする。今回の36名様も熟年層が多いせいか、時間厳守というよりも早め、早めである。

 次に目指すは隣県石川県、城下町、古都金沢である。この地には3年前のGWに息子と3人で訪れた。その時、私達夫婦は東京から北陸新幹線で、息子は京都からサンダーバードで現地集合だった。東京駅でお弁当を選んでいると、息子からいきなりお財布を落としたというとんでもない連絡が入って、新幹線の車内で銀行や郵便局のカードを止める連絡をしたり、大変な騒ぎだった。
まあ息子がいない熟年夫婦2人の旅はいたって穏やかである。今回は金沢に4時間の滞在。
 とにかく天気が良く、日差しは真夏。空には入道雲である。気温は35度近いのではないか。

 まずは情緒溢れる金沢三茶屋街のひとつ‘ひがし茶屋街’へ向かったが、ジリジリと照り返しが凄い。前回ランチをしたレストランが懐かしく、思わず記念撮影。通りは色とりどりの着物姿の若い女性たちで賑やかである。柳の緑も濃く、まだまだ夏満開である。金箔や和菓子、小物などのお土産屋さん、お洒落なカフェが並ぶ街を少しだけ散策して、あとは金沢の老舗和菓子屋さん経営の甘味喫茶に緊急避難してお抹茶と生菓子を頂く。夫は相変わらずあずきのアイスクリームや最中を頂いている。お腹が丈夫な人である。

 続いて市民の台所、近江町市場へ。ここも前回訪れたけれど、美味しいものだらけで夫と息子にかなり散財させられた記憶がある。今回は昼食後お茶もしているし、バスの駐車場のお隣の和菓子屋さんで和菓子の試食もした後で、夫のお腹が大分大きかったこともあり、海産物やら何やらには手を出さずに済んだ。あれこれ冷やかしながら、果物屋さんでスイカを頂く。暑いときに頂くスイカは実に美味しい。

 ステンドグラスが美しいパワースポット・尾山神社へ。ここでもしっかり二礼二拍手一礼のお参りを済ませる。夫は先日の住吉大社に続いて、息子のことをお祈りした模様。前回訪れた時は気づかなかったけれど、神社の脇にある蓮の花に遊ぶ金のカエルのオブジェが可愛かった。

 本日最後の観光地は金沢城公園。石川門前で解散し、散策時間は1時間弱。隣の兼六園まで欲張るのはやめておく。それにしても暑い。日傘がない夫はかなりしんどそうだ。結局、冷房の効いた休憩所で暫しお休み。木陰で涼みながら軽く廻り、集合時間まで15分ほど残して石川門迄戻ってきた。その後、前回息子が金箔のソフトクリームを頂いたお土産物屋さんで、記念の品とお菓子を少し購入してバスに乗り込んだ。

 まだまだ明るいのに早くも夕食である。驚いたことに、会場は前回3人で宿泊したホテルのレストランだという。こんな奇遇もあるのだとびっくり。ネタはお任せの旬の金沢寿司。ここでもみんなパパッと食事を終えて(足りなくて更に注文している強者女性もいた。)、出発時間まで時間調整。宿泊するホテルの近くでは、コンビニが2キロ先までないというドライバーさんの情報から、では、とちょっと歩いてコンビニで買い物を済ませ、ホテルのカフェで珈琲をテイクアウトしてバスに乗り込んだ。

 今日の宿泊は散居村で有名な富山砺波。自宅最寄り駅前で見た朝焼けも綺麗だったけれど、点在する屋敷森を持つ家々とくっきり見える山々の稜線に広がる夕焼けもまた見事だった。明日も晴れそうだ。

 朝が早かったので早めの到着は有り難い。広々とした洋室にチェックインした後は、これから温泉露天風呂で汗を流して明日に備える。本日のバス走行距離は160km。
 明日はゆっくりの出発が嬉しい。

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2019.9.4 着信にドキドキ

2019-09-04 21:38:55 | 日記

 昨日のこと。お手洗いから戻ったら、隣の職員から「携帯がずっと鳴っているようですが、大丈夫ですか?」と。見ると、母の携帯から着信中。
 驚いて出たが、ザーザーと雑音が入ってくるだけ。ああ、まただ、と思う。

 何かの加減で携帯の発信ボタンを誤って押してしまうことが多々あるのだ。仕事中、基本電話はしてこないという約束になっているので、とりあえずその場で切って休み時間にかけ直そうとしたところ、夫からLINE連絡が入った。
 「お義母さんから電話があったけど、こっちからかけても出ない。何かあった?大丈夫?」と。これまた雑音が聞こえただけのようだったが、2回連続してかけたとは。すわ、要出動か?と慌てる。

 昼休みに電話をかけ直すと、「おかけになった電話は、電波が届かないところにあるか、電源が入っておりません・・・」のフレーズが繰り返される。では、と実家の家電に電話をすると、「どうしたの?」という感じである。
 夫にまで電話が入ったことを知らせ、携帯の電源が切れているようなので、確認して入れておくように言い、帰宅後、再度ダメ押しをした。

 本人は誤作動に思い当たる節があった気配。荷物を持ってバッグに入れていたそうで、そこで当たったのではないか、今度から気を付けます、とのこと。
 父が亡くなってすぐ、使っていなかった子供用のらくらく携帯を持ってもらった。それ以来、もうかれこれ3年以上持っているのだけれど、なかなか使いこなせていない。一時は携帯とは名ばかりで、持って出かけることすらなかったので、連絡の取りようがなかった。

 それに比べれば、持ち歩くようになってくれたのは大きな進歩だ。けれど、知らないうちに発信とかリダイヤルのボタンが押されてかけてしまう、こちらからかけてもなかなか出ないで、こちらが痺れを切らして会話ができない、ということがいまだに多々ある。

 職場で携帯が鳴るのは本当に心臓に悪い。
 息子が保育園や学校に行っていた時代は常にヒヤヒヤだった。熱が出たのでお迎えを、とか、学校や学童で怪我をしたとか、鍵をなくしたとかなんとか。とにかく嬉しい連絡はないからだ。
 それがようやく落ち着いたと思ったら、ここ数年は高齢の両親に関わる電話になってきた。

 父が3年前に他界してからは、私の携帯が鳴るのは専ら母のことだけになった。母は86歳の高齢で持病も抱えている。いつどうなるかわからないから、なかなか落ち着いていられない。
 先日はデイサービスの看護師さんから、珈琲をこぼしてやけどをした、という連絡があった。幸いすぐに冷やして頂き、大事には至らなかったのだけれど・・・。
 子どもが一段落したと思ったら、今度は親。結局、気が休まる時はないのだなあとしみじみ思う。

 さて、少し自分の体調のこと。
 ここ数日、やはりお腹が緩い。朝は腹痛で目覚め、食事前からお手洗いへ。朝食を摂ればまた、出勤までバタバタしてお手洗いを往復し、下痢が続く。特に暴飲暴食もしていないのに困りものだ。

 一方ロキソニン減量計画はなんとなくうまくいっている。昼食後をスキップして大丈夫そうなときは夕食後も。夜はバタンキューで寝られるようにギリギリまで起きているので、痛みで眠れないことも今のところ、ない。

 とはいえ、手足のしびれや痛み、感覚障害は相変わらず。ロキソニンを飲んでも飲まなくても、痛みが退くわけではないことがよく分かった。
 こちらについてはやはり漢方2種とビタミン剤を根気よく続け、時薬を待つしかないのだろう。なんとかこの末梢神経障害が落ち着いて普通の感覚を取り戻せるまで、抗がん剤をお休みにしたいと切に願うのだけれど・・・造影CTの結果はいかに、である。

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2019.9.1 ハタフローヨガ・インテンシヴコース第3期3日目 聴講生として出席、至福の時間

2019-09-01 20:21:14 | ヨガ

 今日から9月。名前は長月とはいいながら、30日しかない小の月。今年も早くも3分の2が過ぎたことになる。

 先週木曜日、思いがけずとても素敵なお知らせがグループLINEに入った。1期、2期と修了し、3期目があれば是非また受講したいと望みながら、体調やら家族の事情やらあれこれ鑑み、ギリギリに泣く泣く参加を断念したインテンシヴコース第3期。その3日目、4日目に聴講生として一部参加されませんか、というM先生からのお誘いだった。

 行きたい!といきなり心が鷲掴みされたけれど、既に夜から第九の初回練習が入っていたし、午前中と夜、ダブルヘッダーで都心往復する体力がないのは自分で重々承知していた。
 とても残念ですが・・・と一旦お返事したものの、どうしても諦め切れずウジウジ。

 今回はこちら!と心が叫んだ感じだ。生きていることは日々選択の連続だ。身体はひとつしかないし、体力も落ちている。今、自分にとって大切なもの、行きたいこと、したいこと、(もちろんしなければならないことも沢山あるけれど)それを選び取ることは別のことを棄てること。つくづくしんどいことだ。

 思い切って、まだ席がありましたら・・・と申し出たところ、M先生から「どうぞどうぞ」とご快諾頂いた。思わず一人でガッツポーズ。
 というわけで、早起きして久しぶり、どころか今年初めて大好きなSさんのスタジオを訪れた。Sさんのスタジオについては先日、とても大きく心を揺さぶられるお知らせがあった。そのことについては後日書きたいと思う。

 さて、スタジオに上がるエレベーターで、2期でご一緒したFさんとお会いする。何とも言えない懐かしい雰囲気。受付では笑顔のM先生がお迎えくださる。お目にかかれて本当に嬉しい。昨年のクリスマスパーティ以来となるこのスタジオの心地よい空気感に、いきなり自分の顔がほころび、心が解れていくのが分かる。

 着替えを済ませてスタジオに入ると、今回3期の受講生11名(1期、2期の半分の人数でなんて贅沢! 以前、最寄り駅前のスタジオにワークショップにいらしたインストラクターのKさんが受講生のお一人としていらしてびっくり。休み時間にご挨拶が出来て良かった。)が扇型に座り、私たち聴講生は彼女たちの後ろ側二手に分かれて座る。
 聴講生が私を入れて2期合わせて9名。

 まずはM先生のリードによりオームの音を3回唱え、パタンジャリのチャンティング。20人の声の共鳴に心が震える。そして、だんだん穏やかに落ち着いていくのが分かる。
 受講生一人ずつ、前回の課題についてのシェアが行われ、掘り下げていくスタイルは私たちの時と同じだ。
 ヨガを学ぶ目的の話から始まり、今回先生が私たち修了生をご招待してくださったのは、先生ご自身の学びが深まり、1期、2期では話をされなかった「パンチャコーシャ」についてのレクチャーをされたかったからだ、ということが分かる。
 既に何度もワークショップに出席されたという2期の修了生、FさんやTさんが代表して、その図をホワイトボードに書いてくださる。

 パンチャコーシャはサンスクリット語で「5つの鞘(さや)~(層、次元等とも言える)」という意味。ヨガにおいて私たちはそのようにデザインされている、という考え方である。5つのベールを剥ぎ、玉ねぎの皮のように剥いていくと(私はマトリョーシカを思い浮かべた)その一番内側に真我(ブラーマン)があるという。その真我の部分はどの生物も(蟻でも象でも木でも大根でも海老でも人間でも!)同じくらいの大きさであるということ。

 真我は私たちの本質、愛であり、魂であり、あらゆる生きとし生けるものに平等に備わっており、それとともにあればストレスや苦しみはないという考え方だ。
 1つ目がアンナマヤ・コーシャ、5つの鞘の中で一番外側にあり、いわゆる肉体と呼ばれているもの。2つ目がプラーナマヤ・コーシャで、あらゆる動きを司るもの。3つ目がマノマヤ・コーシャ、感覚、感情、思考など目に見えないもの。4つ目がヴィジュナーナマヤ・コーシャで、集中している、深まっている、フォーカスしている、という感じ。そして最後、5つ目がアーナンダマヤ・コーシャ。歓喜の層、至福の層と言われる5つの鞘の中で最も真我に近いものだ。

 この説明を聞きながら、S先生の指導者養成コースで学んだパタンジャリのヨガの経典「ヨーガスートラ」に出てくる八支則と繋げている私がいた。M先生からもヤマ、ニヤマは別としてアーサナ(ポーズ)、プラーナヤーマ(呼吸法)、プラーティヤーハーラ(制感)、ダーラナ(集中)、ディアーナ(瞑想)、サマーディ(深い瞑想)という最終ステップのサマーディにアートマン、真我が重なるという補足説明があった。3年越しで深く納得。

 M先生が仰るには、学びにはアウトプットが大切で、こうして聞いた知識は情報でしかないけれど、それを自分で体感し、人に伝えることで初めて自分のものになる(体得する)という。本当にそうだ。学んで充電することは大切だけれど、きちんとそれを自分のものとして人に伝えていくこと、手放していくことは、もっと大切なのだなと思う。

 ここまでで2時間。聴講が許された私たちのスタジオ同席時間は終了。残り1時間は3期生が実際に練習する時間ということで、私たち修了生はスタジオを後にした。
 じんわりと幸せが満ち足りた感じで気持ちが高揚している。思い切って来て良かったし、ともに学んだ皆さんに再会叶って本当に嬉しかった。何よりこうして声をかけてくださったM先生に感謝である。

 着替えた後、お礼のご挨拶をし、先生からハグして頂いてウルっとしてしまった。気づけば来月も是非また・・・、と言っている私である。
 他の皆さんはずっとM先生のクラスを継続受講されているが、私は今年になってからの体調不良等で受講することもままならなかった。細々と続けているのは朝ヨガと地元のホットヨガスタジオでのクラスに時々参加することだけ。けれど、健康でバイタリティと向上心に溢れる皆さんと今の自分を比べてみても始まらない。自分のペースで出来る時に出来ることを選びながらやっていくしかないし、それでよいのだ、と心を強くした。

 聴講生として参加された修了生の皆さんは、午後のワークショップにも出席される方が殆どで、その時間に戻ってこられるように、とランチに行かれた。私は一人でせっかく久しぶりに来たこの地、お気に入りのタイ料理レストランに行ってみた。幸い殆ど待たずにテーブル席に案内された。迷わず大好きなパッタイを注文。ランチセットはトムヤンクンのスープと生春巻きがついてくる。しみじみ美味しい。3年前の指導者養成コース、2年前の均整術師養成コース受講の頃からほぼ毎回、何度通ったことか。

 心もお腹も満ち足りてスタジオのある駅を後にした。日差しが強く、気温はかなり上がっている。車内ではM先生とHさんにLINEでお礼のメッセージを送り、ご機嫌な帰路だった。
 最寄り駅に夫が迎えに来てくれて一緒に帰宅。ウエアの洗濯をしたり、片付けものをしたりした後は暫し休憩。頭を総動員してちょっと疲れたのか、やけに眠くなって少しウトウトした後は、はた、と気づいて拭き掃除。
 それにしても、手袋をしないで指先を使うといきなり赤くなってチリチリと痛む。原因となる薬を止めてそろそろ3か月。いつになったら収まってくれることやら。足の裏も同様で、立って自分の体重という負荷がかかるだけでジンジン痛むのはどうしたものか。

 せっかくパンチャコーシャを学んだのだから、こうした痛みの感覚もうまく制御出来るように幸せに暮らしたいものである。昼食後はとても久しぶりにロキソニンを飲まないで様子を見た。夕食後もちょっとお休みしてみている。このまままた朝だけのペースになればよいのだけれど。
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