京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

7月は斡る如く

2014-07-27 | インポート

 

 当館の最寄りバス停、河原町丸太町から、3番系統の南へ向かうバスに乗ると、終点は松尾橋。

 松尾橋は、桂川に架かる橋で、その橋を西に渡ったところに、松尾大社がある。

 五月ごろにヤマブキの花が咲き綻ぶことで知られる松尾大社は、酒と関わりの深い神社でもある。

 境内には、酒造会社から献納された酒樽の積み上げられた倉があるが、その数が多いだけに、壮観だ。

 

 

 この松尾大社に庭園がある。

 厳密には、神苑といったほうが良いのかもしれない。

 かといって、平安神宮の神苑を思い浮かべたりしてはいけない。

 あれほど優しく人を迎えてはくれない。

 ともすれば、何かの墓場とも見えなくもない。

 とにかく、巨石が密集、点在している。

 この庭の意味するところは、ずばり、磐座<イワクラ>。

 磐座とは、古代の神事において、神の依り所とした場所のことだ。

 この庭は、そういう神事の場を現代によみがえらせたものと言っても良いだろう。

 そもそも庭というものの発生源を、ここに見ることもできる。

 

 

 当館の最寄り駅、京阪の神宮丸太町駅から、大阪方面の電車に乗って、各駅停車で5駅行くと、東福寺駅に着く。

 言うまでもなく、東福寺のある駅だ。

 東福寺は臨済宗東福寺派の大本山で、その名は、奈良の東大寺と興福寺からとられたという、大寺院だ。

 伽藍面といわれるように、立派な伽藍を誇り、塔頭も多く有している。

 

 

 この東福寺の本坊庭園は、八相の庭と呼ばれる、国の指定名勝である。

 普通、庭園は方丈の南側にあるだけか、多くても裏にもう一つあるくらいなのだが、ここは、その四方に庭園が存ずる。

 京都でも最も有名な庭の一つだから、誰もが写真で見たことくらいはあるはずだ。

 特に、苔と敷石が市松模様を描いている北庭は、その優れたデザイン性のため、ガイドブックでおなじみだ。

 また、東庭の、石の円柱で北斗七星を描き出しているものも、有名だ。

 この石柱、境内にある東司(トイレ)をかつて解体修理した際の余材だという。

 北斗七星だから北庭に造りそうなものを東に造ったのは、やはり<東>司だからだろうか。

 いずれにしても、仏教思想を知らずとも、単純にそのデザインを楽しめる庭となっている。

 

 

 さて、この松尾大社の庭と、東福寺の庭、どちらも同じ人物による設計だ。

 重森三玲というのがその人物で、つい四十年前まで生きていた人だ。

 有名な庭というのは大昔の人が作った、というイメージがなんとなくあるが、それを覆される。

 東福寺のほうを見ると、近代人ぽい発想が見てとれるが、松尾大社のほうは、宗教思想が前面に出ている。

 これには、東福寺のものが重森三玲にとって初めて手掛けた庭園である一方で、松尾大社が晩年の作品であることが関係しているのかもしれない。

 

 

 東福寺の塔頭には、他にも重森三玲が手掛けた庭園が数多くある。

 また、大徳寺の塔頭にも、いくつかある。

 吉田山近くには、重森三玲庭園美術館なるものもある。

 これは、重森三玲の住居だったところだ。

 そういった庭園を巡って、それぞれの趣の違いを楽しんではいかがだろうか。

”あいらんど”