NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で「本能寺の変」を描いた放送分の視聴率が一気に上昇、
関西22.1%、関東17.5%と、やはり、本能寺の変には、視聴者の関心が高まるようです。
かくいう私も、7月26日に、織田信長ゆかりの場所を訪ねてきました。
本能寺址⇒本能寺⇒阿弥陀寺⇒総見院⇒建勲神社というコースを巡りました。
まずは、「本能寺址」(中京区蛸薬師通小川通西南角)へ赴きました。
ここが、本能寺の変が実際に起こった場所と云われています。
現在では、この地に広大な寺院があったとはとても想像しがたい雰囲気の場所です。
そして、現在の「本能寺」(中京区寺町御池下ル)へ。
豊臣秀吉の都市改造により、寺院が集められた寺町通り。
本能寺も、秀吉の命により、現在の地に移転したそうです。
当寺は、法華宗本門流大本山である事は、あまり知られていませんね。
境内には、織田信長の廟と、本能寺の変での戦死者の供養塔があり、
毎年6月2日には、「信長公忌」が行われます。
本能寺では、現在「能」の字の右側を「去」という字に書きかえて使用していますが、
これは、本能寺がこれまでに5度も火災に遭っているため、
「ヒ(火)が去る」という意味で使用されているそうです。
続いて、当館より寺町通りを北に上り、「阿弥陀寺」へ。
一説によると、親交のあった阿弥陀寺住職・清玉上人が、本能寺の変の報を聞いて、
すぐさま本能寺へ駆けつけ、信長の遺骸をいち早く発見し、火葬して、
骨を持ち帰り埋葬した、と伝えられています。
墓所には、織田信長公と、嫡男・信忠公、森蘭丸、坊丸、力丸兄弟の墓があり、
自由に出入りする事ができます。毎年6月2日には、「信長忌」が行われ、
その日のみ堂内拝観可能で、各種寺宝を公開しています。
そして更に北へ上り、大徳寺「総見院」へ。
豊臣秀吉が、織田信長の菩提を弔うために建立し、葬儀を執り行った寺です。
織田信長一族の御墓があり、本堂には、木造織田信長座像が安置されています。
最後は、北大路通りを少し西に行った船岡山にある「建勲神社」です。
船岡山は、平安京・四神相応の玄武に位置し、秀吉によって信長の廟所と定められました。
建勲神社の祭神は、織田信長公・信忠公です。
明治2年、明治天皇の命により、織田信長を祭神とした神社を創建し、
建勲神社の神号を賜り、明治14年に、信長の子、信忠を合祀されました。
たいへん暑い日でしたが、織田信長公を偲び、ゆかりの場所を巡る事ができました。
<京都 好き男>