散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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あっちの友だちとこっちの友だち

2015-03-19 07:43:55 | 日記

2015年3月19日(木)

 ある友だちが手術を受けることになって、相談してきた。その分野の専門家と(これはまさしく専門家である)最近よく行き来しているので、すぐに聞き合わせてみた。相手は親切な人柄で、そのまた知人にさっそく意見照会を求め、その回答と彼自身の意見とを返してくれた。僕は自分の意見を合わせて最初の友だちに情報を戻した。

 その間、つごう2時間ほどか。外科医の仕事の速さには、いつもほれぼれする。精神科はこう行かない場合が多い。診療のあり方としてじっくり指向で時間がゆっくり流れるのは結構なことだが、いざという時の足回りが悪くて腰が重いのは考えもので、これは他人事ではなく自戒である。

 ともかく、発信された質問に気持ちよく返事が戻ってきて、友だちの手許に届いた。僕にとっては、あっちの友だちがこっちの友だちを助けてくれた形で、こんな時、人生はいいなと思ったりする。

 この流れを、少しでも制度に結びつけられたらいい。そしたら、この国はいいなと思えるだろう。

 

 軍備拡充や武器輸出ではないのだ。


今日の予定と専門性のこと

2015-03-19 07:29:04 | 日記

2015年3月19日(木)

 昨日無事帰京、15日(日)の長い一日のことは、まだ書き終えない。

 今日は午前中、T中学校で教員ミニ研修のお手伝いをすることになっている。日曜日には松野町で高齢者の認知症の話をし、木曜日は東京で中学生の自傷行為の話をするって、ちょっと面白いだろう。そのどちらも、とりたてて僕の専門とも言えないのが申し訳なくもあり、またこれで良いのではないかとも思う。

 いつ、どこで読んだのだったか、ともかくずいぶん昔だが、

 「専門家とは、その領域について全てを知っている人のことではなくて、その領域を歩むときにどんな危険があるかを教えてくれる人のことだ」

 という言葉に触れて考えさせられたことがある。

 危険とは、素人が陥りがちの考え方の誤りとか、思い込みとかいったものか。何しろ、山の案内人にたとえてみたい気がする。メインルートからけもの道まで、全ての道に通じていることは有り難いけれど、それが案内人の真骨頂ではないというのだ。むしろ、今日は/この季節は/この装備でこのルートは「通ってはならない」と警告してくれることこそが、山の専門家の頼もしさであり、深く敬意を払うべき点だというのである。

 

 どうかな、どっちみち僕は専門家とは言えそうもない。しかし、確実に知られていることと、誰も知らないこと、そのどちらともいえないこと、これら三者の弁別はいつも正直にするようにしている。その弁えを忘れなければ、何かの手伝いはできるだろう。

 

 朝こうして短く書くゆとりを、ようやくもつことができた。20日を前に嬉しいことだ。