散日拾遺

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引き取る

2016-03-13 07:48:05 | 日記

2016年3月13日(日)

 レントも大詰め間近の日曜日。中高生の礼拝でヨハネ19章の17節~30節を扱う。「我がこと成れり」の主イエスの言葉で締めくくられる、十字架の場面である。

 準備といって、何をすることもない、凄絶なこの場に聞き入ることしかないのだが、ふと気づいた。

「こうして彼らはイエスを引き取った。」(16節)

「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(27節)

 同じ「引き取る」でも、前者はローマの兵士たちがイエスを十字架につけるため、後者は弟子がイエスの委託を受けてその母を世話するためで、意味は全く違う。訳語を揃えてあるところから原語も同じであることと予想したが、確かめると微妙に違うのである。

 もう一つあった。

「イエスは、このぶどう酒を受けとると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」

 「引き取る」三題、これが今日のテーマなのかな。