散日拾遺

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桃源郷の野武士

2016-03-17 08:51:43 | 日記

2016年3月17日(木)

 阮籍先生ほどじゃないが(公務中にグビグビやってるのは、立派なアル中だ)、嫌いじゃないので困るんです。

 ちょうど一年前の愛媛県松野町行き、その際にいただいた味わい深い酒をチビチビ楽しんでいたのだが、ついに先日飲み干してしまいました。予讃線の線路脇に、菜の花が満開だったっけ。

 

 「野武士」というんだけれど、そうか、このほうがよく見えるね、野武士の面構えが。

 

 野武士馳せ 桃源郷に至るかや (昌蛙)

 


千字文 115 ~ 布射遼丸 嵇琴阮嘯

2016-03-17 07:57:56 | 日記

2016年3月17日(木)

昨年の10月27日以来の「マイ千字文」、わかってます、悪いクセなんです。ちゃんと仕上げをしないのがですね。

それはそうと、人名とは思わなかった。そう言われれば、『三国志』大好きの息子たちはピンとくるだろう。

布は布袋さんじゃない、呂布のこと、人ぞしる弓の達人である。それで布射。

そうすると結句の阮は阮籍、「青眼/白眼」の飲んべえの阮籍だが、嘯は朗々と吟じることかと思いきや、口笛なんだそうだ。竹林に響く口笛、さぞ峻烈だったことだろう。

中にはさまれた二人は知らない。

遼は熊宜遼(ゆう・ぎりょう)、戦国時代は楚の人で、丸はお手玉のこととある。九個の鈴を手玉にとって、八個は常に空中に、一個は手の中にあった。楚王が宋に大敗したとき、やおら宜遼が胸元をはだけて鈴を取り出してお手玉を始めた。両軍そろってこれに見とれて戦いを止め、楚王は難を逃れたそうな。

嵇は嵇康(けいこう)、阮籍と同じく竹林七賢の一、ことのついでに竹林の七賢とは、この二人に加えて

 山濤(さんとう)

 劉伶(りゅうれい)

 阮咸(げんかん)

 向秀(しょうしゅう)

 王戎(おうじゅう)

だそうだ。ただし七人が実際に一堂に会したことはないらしい。彼らの多くは世捨て人どころか歴とした顕官で、いわゆる清談はお気楽なコメント合戦などではない、魂の直言である。魏末のきな臭い政治状況の中では、大いに危険な行動様式だった。事実、上記の嵆康は讒言により死刑に処せられたとある。

李注に嵆康に関する面白い逸話が載っているが、さすがに転記するには長すぎる。代わりに下記:

 

 魏の武帝(262年という年代からすると、魏の最後の皇帝である元帝の誤り?)は佞臣の意見を聞き入れ、康を市場で殺したが、康は琴を抱いたままで死んだ。

 阮籍は酒が好きで、歩兵校尉(宮城を守る武官)となった後も、いつも鹿車(ろくしゃ)に酒を積んで出かけ、途中で何度も酒を取りだしては飲んだ。(『晋書』では大酒飲みは劉伶とある由。)口笛の吹奏に長じ、これに感銘して鳳凰が天から舞い降り、そこにあらゆる鳥が加わったため、楊(やなぎ)の枝がすべて折れてしまった。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/竹林の七賢