散日拾遺

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redemption

2016-03-29 07:54:13 | 日記

2016年3月30日(水)

redemption

 

公用で海外に駐在している友人から、ある朝メールが入りました。

 「redemptionという言葉を辞書で引くと『贖罪』という意味が出てくるが、どういうことか教えてくれないか」というのです。

日本で話題になった『想像ラジオ』(いとうせいこう)という小説をたいへん面白く読んだ、そこに紹介されているボブ・マーリーの歌がまた良い、その歌詞が「redemption」をテーマにしているのだけれど、誰かが和訳したものをインターネット上で見たら、「黒人を差別してきた白人に、罪を償わせろ」というようなものになっていた、「redemption」を「復讐」とか「反撃」とか訳すことはできるのだろうか、あらましそういう質問でした。

 答えはもちろん「No」です。誰だか知らないけれど、ひどい誤訳をしたものです。redemptionはredeemという動詞の名詞形で、redeemとは「身代金を払って買い戻す」という意味です。イエス様が御自分の命を十字架の上で差し出し、それを身代金にして私たちを罪から買い戻してくださった、そのことを指すのです。貴い犠牲による救いを意味するのですから「復讐」どころかその反対で、復讐の連鎖を断ち切るはずのもの。YouTubeで聞く実際の歌も、贖われて自由にされた感謝と喜びが、懐かしい素朴な声で歌われています。(http://www.lyricsfreak.com/b/bob+marley/redemption+song_20021829.html)

 友人は腑に落ちたようで、「我々は救われた存在、津波の犠牲者が命を賭(と)して贖ってくれた、そんなふうに『想像ラジオ』の著者は言いたかったのかなあ」と書いてきました。

***

 苦難や不条理について考えるとき、思い出すことがあります。医学部の最後の夏、浜松の聖霊ホスピスへ一週間の見学に行きました。ほとんどが中高年以上の入院患者の中に、ひとりだけ中学生の男の子T君がいました。骨肉腫という悪性腫瘍に見舞われ、まだ成長しきらない華奢(きゃしゃ)な体をベッドに横たえていたのです。若い人の病気は痛ましいものです。きれいな若い肌のあちこちに、骨肉腫の転移でできたコブが盛り上がっていました。転移病巣は肺の中にもあって頻繁に呼吸困難を引き起こし、その度に医師が駆けつけて応急処置をします。つきっきりのお母さんにお父さんや高校生のお兄さんが加わり、家族が懸命に祈っていました。朦朧(もうろう)として言葉もはっきりせず、それでもT君はときどき目を開くと笑顔で皆に話しかけるのでした。

 ある午後のこと病室を訪ねると、珍しく付き添いが誰もいません。T君は軽く目を閉じて眠っているように見えます。私はベッドに近づくと、独り言のように「T君のことをお祈りしているからね」と呟(つぶや)きました。次の瞬間の驚きは、生涯忘れないでしょう。眠っていると思ったT君が、たどたどしい舌で、しかしはっきり言ったのです。

「僕も、おにいさんのことをお祈りしてるよ。」

本当に、どうしてこの世に苦難があるのでしょう?どうして私ではなく彼が病み、私たちではなく彼らが津波に飲まれたのでしょう?

私たちは答えをもっていません。ただ、私の代わりに苦難を負ってくれた人があり、苦難の中で私のために祈ってくれた人があることを、私は知っています。私たちの命がキリストに贖われたものであり、名も知らない誰かの苦難によって私たちが生かされていることを、思わずにはいられないのです。

(柿ノ木坂教会 C.S.通信 2016年4月号原稿から)