散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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祝福せよ

2016-04-10 22:12:43 | 日記

2016年4月10日(日)

 χαιρειν μετα χαιροντων, κλαιειν μετα κλαιοντων.

無粋を承知でカタカナで書けば・・・

「カイレイン・メタ・カイロントーン、クライエイン・メタ・クライオントーン」

χα も κα も「カ」と書き、ρ と λ を区別しないという具合だが、致し方もない。リズミカルで歯切れが良いく、韻文的な要素があることを記しておきたいのである。つまりこれが、

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け」(ロマ 12:15)

の原文である。

その前節は下記。

 ευλογειτε τους διωκοντας υμας, ευλογειτε και μη καταρασθε.

「迫害者を祝福せよ、呪うのではない、祝福するのだ。」(ロマ 12:14)

まったく、何という教えだろう。何とむちゃくちゃで、そして不思議な魅力のあることだろう!

人間にはできないって?

そうでもないらしい。自分の体に3発の銃弾を打ち込んだ相手を、今際の際に祝福した(少なくとも赦した)人間が一人はいた。一人いたなら、他にもいたことだろう。


共に喜べ、共に泣け

2016-04-10 09:25:57 | 日記

2016年4月10日(日)

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。」

これもまた、祖父の遺品と思われる日めくりカレンダーの効用で、いつの間にか覚えてものである。ロマ書12章15節、パウロという人物の複雑な豊かさを思わされる、使徒書屈指の名言である。

今日流に言うなら、これは共感というより同情のススメ、まさしく「感情を同じくせよ」という勧告である。臨床心理学ではしばしば警戒されるところで、共揺れしてしまっては援助にならない、あたかもその人自身のごとくに感情を追体験しつつ、あくまで微妙な一線をこれと画すことを教示し指導する。

尤もではあるけれど、いつもわずかばかりの違和感が残る。同情する能力をもたない欠格者が、しばしば言い訳に「同情ではなく共感を」と言ってるのであるような。同情もできない人間に、理屈っぽい共感だけを返されて、いったい何が嬉しいだろうか。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。」

パウロがそう言うのである。

 

ちなみにこれに先行する14節が恐ろしい。

「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」

教会から戻ったら、ギリシア語原文を確認しよう。

Ω