2016年5月5日(木)
何となしに蕪村の句集をとりあげ、何しろこの季節なので夏のところを追ってみたら、次の句が目に留まった。
岩倉の狂女恋せよ子規(ほととぎす) (241 安永2年4月4日)
「狂女」という言葉は既にATOKも変換しない。「岩倉の」が分かる人は、僕らの業界の人間でなければ、かなりの物知りである。恥ずかしながら、自著から引用する。
「京都岩倉村の歴史は古い。11世紀に後三条天皇の皇女である佳子内親王が興奮状態に陥った際、岩倉大雲寺に篭って霊泉を用いたところ快癒したという。これを聞いた人々が同地に集まってくるようになった。やがて長期滞在者の便のために茶屋や宿屋ができるようになり、次第に一種のコロニーへと成長して明治維新後も存続した。ベルギーのゲールと対比できる内容と歴史をもつ営みだったが、第二次世界大戦の戦禍によってついに維持できなくなり消滅した。このほか、江戸時代には全国各地の寺院境内などに精神障害者の収容施設があり、その一部は明治時代に精神病院へ移行したとも言われる。長い歴史の中で日本人が精神疾患や精神障害者をどのように理解し受け止めてきたのか、今後の資料発掘が待たれている。」
(『精神医学特論』 P.284)
甚だ簡単ながら要するにそういうことで、戦禍で葬られることがなかったらゲールとセットで世界遺産登録が期待できる文化的な営みではなかったかというのである。何より、僕らの文化の中にもこういう伝統があったと知ることが、今の日本人をどれほどか鼓舞するものではないかと期待する。
現実は「狂」などといった言葉の上面だけを神経質に刈って歩き、その下に胚胎する大きな毒の源はお構いなしである。蕪村の句の正確な意味が僕には取れない。それ自体、蕪村らの「岩倉」から遠く離れた証拠であろう。
・・・などといった言説がすべて不勉強と安直な通説依存の産物である可能性を、橋本明氏が鋭く指摘しているのを初めて知った。
『虚構としての岩倉村 ~ 日本精神医療史の読み直し』 (http://www.lit.aichi-pu.ac.jp/~aha/doc/RITSUMEIKAN1.HTM)
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もうひとつ蕪村から、こちらはさほど難しくない。漢字は鳥の足跡を見て作られてたという伝説を知ってさえいれば。
足跡を字にもよまれず閑古鳥 (258 明和6年4月10日)
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