散日拾遺

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天気の転機、あるいは9月中旬の「転気」のこと

2020-09-16 10:38:04 | 日記
 2020年9月14日(月)
 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだが、秋の彼岸に先立つ9月15日頃に転換点があるのを、20代の頃から感じていた。最高気温の数字より、体感がはっきり変わる。暑さの芯が抜けたように大気が鎮まり、ホッと息がつけるようになる。
 頭よりも体がよく知っているというのは、このあたりを境にむやみに睡眠時間が延びるからだ。眠りが気持よく、いくら眠ってもまだ眠い。夏の間の睡眠負債を取りもどすかのようである。

 主観的にはこのように気持よいのだが、どうやら危険な時期でもあるらしい。だいぶ前に教会名簿を整理した際、教会員の命日を月別にまとめてみたことがある。すると8月の物故者はきわめて少なく、戦災を除けばほとんどいなかった。対照的に9月・10月に召される人が多いのである。夏の盛りには体も力一杯抵抗する。暑さをやり過ごしてほっと脱力したとき、たまった疲れが出るものだろうかと考えた。家庭内でそのことを確認することになろうとは、むろん予期していなかった。

 9月12日(土)は前日の暑さから一転して、じっとりした小雨の一日。北千住の一室に18名が集った。大半は年配の女性で、ブラジル育ちという司会者だけが青年を卒業しつつある風情の男性である。
 午後の2時間のうち、「最初に30分お話しいただき、それを受けて質疑応答を」とメールの依頼。やや珍しい時間配分で、1時間30分の間違いではないかと思ったが、さにあらず。小講演を受け、参加者全員にマイクを回して一言ずつ語ってもらうという趣向で、この部分にこそ定例会の意義があったのだ。
 実際、集う人々は皆話したいことをたっぷり抱え、語り合うために集まってくる。断酒会や浦河べてると同じ方式で、ピアサポートの要諦ともいうべきものである。主催者の示唆に従って「自己愛」について短く話した中から、皆それぞれ必要なものを読みとり噛みとって、自分の栄養にしていくのがスピーチに窺われた。
 この人々が背負っている人生は、口先小手先のちまちました工夫では、どうにも動かしようのない重みをもっている。この場で自分が話をさせてもらい、感謝してもらえることがいちばんの不思議である。
 帰宅するや畳に横になり、短く深く眠った。

 9月13日(日)晴のち曇
 「使徒言行録の17章16節、使徒パウロは今アテネにいます。アテネは古い学問の都で、アクロポリスの丘の上には壮大なパルテノン神殿がそびえています。街の中には他にも大小の神殿がたくさんあり、住んでいる人々の信心深さが窺われます。ただ、神殿には実にさまざまな神々が雑然と祭られており、人々が何を大事に拝んでいるのか、よくわかりません。ふと道端を見ると、『誰だかわからない神さまへ』と刻んだ碑(いしぶみ)がありました。
 そこでパウロは話し始めました。『アテネの皆さん、あなたがたの信心深さは実に素晴らしい。けれども残念なことに、その信心深さをどこに向けたら良いか、はっきりしていないようです。そこで私の話を聞いてください。あなたががたが心を向けるべきは、人間の造った神殿の中に住まう小さな神々ではなく、私たち人間と宇宙万物を造られた創造の神なのです・・・』
 これは、昔々のギリシアのお話ですが、同時に私たちの住む今の日本のことでもあります。外国人が日本を訪れると、巨大な神殿や大小さまざまな神殿があることに驚きます。靖国神社の大鳥居はパルテノン神殿の円柱よりも高くそびえ、明治神宮の広大な敷地は自然の森をまるごと中に抱えています。街中の至る所に神社や祠があり、それを見て外国の人々は、日本人は何て信心深いのだろうと感心します。でも、そこで何を拝んでいるかと訊かれると、当の日本の人々は『さぁ・・・』と首を傾げるのです。
 もしもパウロがいまの東京を訪れたら、昔アテネを訪れた時と同じことを感じて語るに違いありません。日本の皆さん、あなたがたの信心深さは実に素晴らしい。けれども皆さんは、その信心深さをどこに向けたら良いか、わかっていらっしゃるでしょうか・・・」

 帰宅してTVの碁を見始めたが、30分でどうにも眠気を支えきれなくなり、ごろりと横になって目が醒めたら3時間経っていた。頭痛がひどく、首から背中が鉄板のように固まっている。囲碁の続きは非常な熱戦の末、山下敬吾九段が伊田篤史八段に半目競り勝った。「私の一手」は2手目の5ノ五、とりわけ白番では今どき彼以外にあり得ない打ち方である。
 「自分自身、十数年ぶりに打ちました。AI登場以来、星・三々入り・小目から二間ビラキと布石の型が決まってしまい、それが碁の魅力を殺いでしまっているように感じます。今日は結果がついてきて幸いでした。また打ちます。」
 と「私の一手」で振り返る。
 誰も彼もがAIになびく中にあって、平成四天王の一人である羽根直樹さんは自分の流儀を少しも崩さず、それで井山・芝野の二強に割り込み碁聖を保持している。山下さんは棋士人生最悪の絶不調に悩んでいたのが、コロナ休みで憑き物が落ちたか、休み明けから一転絶好調。羽根さんと対照的な棋風の彼が、同様に自主独立の孤高を行く姿がむやみに嬉しい。

 長すぎる午睡の後にもかかわらず、夜また8時間熟睡。14日の明け方に覚めたときは胸の裏側に澱がたまったようで、このまま心臓が鼓動を止めるのではないかと思われたが、午前の時間が過ぎるにつれ、体がほぐれて柔らかくなっていった。夏の疲れが取れ始めている。山下九段が5歳児のように胸を張る姿が、あらためて目の前に浮かんだ。

 12日は母の命日。翌13日が両親の受洗記念日と知っていたのに、両日の関係にナゼかこれまで思いを致すことがなかった。たまたま今年は9月13日が日曜日であり、しかもその日にC.S.礼拝の説教当番にあたったことから、初めて気づいたのである。そもそも1981年の9月13日は、九月第一主日に置かれるはずの振起日礼拝が、何かの事情でこの日に移され、それを覚えつつ両親とW姉が洗礼に与ったのだった。
 12日の午後、母は安らかな午睡のさなかに天に移された。「不自由になった体を脱ぎ捨てて」と、もうひとりの母が評したとおりである。
 あくる朝(あした)は受洗記念の13日、心機一転の天の目覚めがあったことだろう!
 今年は他ならぬ親戚筋から思いがけない石を投げられ、それもまた夏の疲れを増幅した。それもこれもすっかり脱げた。二周年の喪が明けた。

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