散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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噛んで含める母の愛

2017-06-21 10:30:41 | 日記

2017年6月21日(水)

コメント: 口噛み酒 by 被爆二世さん

 映画「君の名は」で知ったのですが、口噛み酒は、日本にも奉納するお酒としてあったようですね。お米を噛んで、それを吐き出して溜めたものを放置して造るお酒で、「美人酒」とも呼ばれるそうです。

  私は、子育て中、3人目ともなると、離乳食を作るのも省いて、自分の口で噛んであげていたのを思い出しました。虫歯菌やヘルペス菌が移るだの、批判されそうですね。でも、市販の離乳食より赤ちゃんは好んで食べてくれた様に感じました。

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 『君の名は』にそんな場面がありましたか、大したものですね。そうなんです。「口噛み」は酒造の原型だと思いますが、神事の中にそれが残ったようですね。「美人酒」の名から分かるように噛むのは主として若い女性の役割で、年齢的に若いだけでなく純潔が条件とされたこと、御想像の通りです(・・・と聞いています。)

 口噛み離乳食の場合、雑菌やウィルスの感染機会を増やすリスクは否めないと思いますが、だから愚かしいとも思えない ~ マーラーでしたか、発達心理学の伝える例の話を思い出すのです。新生児を感染から守るため、衛生の整った人工的な環境に置いたところ、かえって健康状態が悪化した、少々のリスクには目をつぶって母親の傍らに置いたほうが、発育は良好であったという有名な話です。虫歯菌やヘルペス・ウィルスに関して言えば、どんなに注意してもいずれ感染することは不可避ですしね。

 飼ったことがある人は御存じの通り、ハトの場合は親鳥の食べた餌が素嚢と呼ばれる喉の奥の袋にミルク状態で蓄えられ、雛が親に似ぬ長い嘴を親の口から突っ込んで吸うのです。親は目を白黒させて為すに任せており、可笑しみと涙ぐましさがこもごも、ちょっとした自然の名場面です。親が体内に準備したものを子に与えるという構図は似ているでしょう。

 そうか、「噛んで含める」という表現はここに由来するのですね。

 またひとつ教わりました。次の日曜日の小講演でさっそく使わせていただきます!

Ω


a small world after all

2017-06-17 16:36:54 | 日記

2017年5月22日(月)に戻って

  これは了解を得て実名披露。向かって右端の笑顔の男性 〜 僕に負けずにおデコが光っているのに、許せないほど頭髪の豊かな 〜 この方が倉成宜佳(くらなり・のぶよし)さん、一座の主宰者である。

  前任校でたまたま指導する立場にあったことから、今でも恩師と呼んで大事にしてくれるが、その青の鮮やかはとっくに藍の曖昧を乗り越えている。交流分析の流れを汲む「再決断療法」を懐に携え、伝道者の熱心をもって九州・四国の人々に薫陶を及ぼしつつある。

  面接授業でC地を再訪するのにあわせ、彼の仲間の前で話す機会を与えてくださった。その後の懇親会の一コマを、これも許可をいただいて掲載。作ったのではない皆の表情から、日頃のコミュニケーションの豊かさ・和やかさが窺われる。それぞれ生活の場でタダモノではない人々ばかりで、いずれ活躍ぶりを紹介する機会があろう。今回また含蓄に富んだコメントをくださった被爆二世さんの姿もあるが、さてどの方でしょう?

 そうそう倉成さん、再決断療法の例のテキスト翻訳の件、本気で考えてみませんか?僭越ながらお手伝いさせていただきますので。

 Ω

 

 

 


ビール ~ アイスクリーム ~ 犬に与えるビスケット ~ 飲める酒と飲めない酒

2017-06-17 16:35:58 | 日記

2017年6月17日(土)

 「靴でビール」の件を書いていて、ふと思い出したことがある。

 「あたし、アイスクリームのとっても美味しい食べ方、知ってるんだ」と、少女A。手にしたアイスクリームの中に唾液を滴らせながら、スプーンで入念に混ぜ溶かしていく。それを見つめる少女B、逃げ出す自由はない。

 どこで見かけのだったか、誰かの手で転載されたこの場面だけを知り原作は読んでいない。

 さらに遡る幼年期、犬(たち)と飼い主の少年(たち)とを主人公にした物語で、飼い主がビスケットに唾を吐きかけ、それを犬に与える場面があった。飼い主のものであれば、犬は別段、唾液を嫌がらない。少年(たち)がことさらそのようにしたのは諍いの後の和解の場、互いに相手の飼い犬に唾液のついたビスケットを食べさせることによって、二度と敵対しないことを約束させたのである。

 犬(たち)は逡巡の末、飼い主の叱責に押されてしょうことなくそれを食べた・・・ように記憶する。飲食物を嚥下することの象徴的な意味には、種を超えて犬に通じる超心理学的な(?)基礎がある。

 映画『セデック・バレ』でも扱われた、1930(昭和5)年の霧社事件。事の起こりは台湾原住民の結婚の宴、通りかかった日本人巡査に若者が酒を勧めたところ、巡査が不潔を嫌って相手を殴ったのが始まりともいう。現地の酒は、人が口でかんで醸したものだった。不潔・野蛮に思われようが、炭水化物を唾液アミラーゼで分解するところに合理的な理由があり、実はつい最近まで日本を含む世界各地に行われたやり方である。今でもやっているところは当然あるだろう。

 浄不浄の境はどこにあるか、イエスが喝破したとおり、人を汚すのは外から入ってくるものではないことを「噛みしめ」よう。ポイントは清潔・不潔よりも、むしろ「誰の」体液であるのかということであるらしい。またしても関係性?

 結局そこか。

Ω


ローカリティ

2017-06-16 07:59:29 | 日記

2017年5月20日(土) ~ 引き続き北九州のこと。

 ホテルの向かいに末吉耳鼻科があり、角を曲がると香月眼科である。末吉も香月(かつき)も覚えのある姓で、そういえば彼らいずれも福岡の産だったような。懐旧にふけるこの時点で頭の中では博多と北九州は区別されておらず、いわんや北九州の中で小倉と黒崎の区別もない。ただ、福岡と博多を区別すべきことだけを、幼い時から教わった。朝、北九州サテライトの事務担当者と挨拶を交わしながら、自分の思い違いをたちどころに悟った。事務長さんは根っからの北九州なので、博多から黒崎に戻るとホッとする、少々街中が剣呑であろうと些細なこと、飲むなら断然ここが良いのである。

  放送大学の面接授業はいつだって楽しいが、今回はオマケ付き。着任して最初の年度に担当した修士課程修了生の中に長崎在住の理学療法士O君があり、彼がもともと北九州の生まれ育ちで、故郷の町で一席設けてくれたのである。さらに受講者中にもひとり修士課程修了生があり、こちらSさんは博多周辺の出身、三人で歓談する。

 「やはり博多と北九州は・・・」

 「違います!」と声が揃う。

 「北九州でも、黒崎と小倉は・・・」

 「違います!」と再びキッパリ。

  よいよい、これでよい、これが良いのだ。街ひとつごとに言葉も気風もわずかながらハッキリ変わる、微妙なローカリティを頑固に守るのが田舎の良さである。その対極に東京があって、こちらは「都市の空気は自由にする」のが身上。しかし、国全体が東京になったら滅びは近い。

 そもそも北九州市は1963年の大合併で成立した、五(六)大都市以外では初の政令指定都市、「門司、小倉、戸畑、若松、八幡で五つ」とフシをつけて覚えたことがあったっけ。一括りにするのがどだい無理な、高度成長期の政策的産物である。そんなことも実際に来てみないといつの間にか忘れている。

***

  この楽しい時に、なぜそんなことを思い出したか分からないが・・・

 宴会の席で、たとえば先輩が「自分の靴にビールを注いで後輩に飲ませる」という蛮行のあることが話題になった。見たことはないが聞いたことはある。無論ハラスメントに決まっているが、ふと思ったのはビールなんぞを並々と注いだ靴は、その後に履けたものではなかろうということである。一足の靴は安くもなし、足に馴染んだ靴ならそこそこ大切でもあり、してみるとこのハラスメントには独特の饐えた意味合いが備わっている。押しつける側にも物心両面でのちょっとした痛手が生じており、「足を汚し靴が履けなくなってでも、末永く酒を飲ませてやる」というメッセージと見られなくもない。少なくとも、相手の靴にビールを注いで飲むことを強要するのとは全く意味が違う。

 もちろん肯定するのではない。今の僕らには異次元の話だが、それがある種の象徴行為として成立するような世界が、意外に近いところにあった ~ 今でもたぶんある。四半世紀前の最初の電通事件では、過労自殺を遂げた青年がまさにこの儀礼を強いられたと伝えられている。青年がこの倒錯的なありがたさを受け取れない文化の中で育ったのだとしたら ~ 間違いなくそうだと思うが ~ その苦痛たるや想像に余るものだったろう。

 O君は鉄骨ラガーマンだが心は紳士、Sさんも然り。黒崎の夜は和やかに過ぎ、分不相応な歓待で頭のてっぺんまでゴキゲンに染まった者、約一名。

 Ω


C地点へ

2017-06-15 17:15:58 | 日記

2017年5月19日(金)頃に書きたかったこと:

 A地の初夏をたっぷり楽しんだ後、昨年に続いてC地へ出張・・・何のことか分からないぐらい間伸びしてしまった。

 知人がFacebookに虹の写真を載せているのを出発直前に見た。僕にとって ~ 誰でもか ~ 虹は吉兆、とりわけ30代には節目の時に虹をよく見た。最近はどうだろうか。「親しい人が虹を見た」ことが自分に何かをもたらすのかどうか、よく分からない。

 移動日の午前中は都内で診療にあたる。摂食障害を抱えた人の面接が、言葉や身体性について毎回多くのことを教えてくれる。あるいは「食」の社会性について。「ゆるむ」ことを自分に許せるかどうかが、症状経過にとっても彼女の人生にとっても急所である。「荷をほどく」ことも同じ。緊縛と解放の拮抗関係がいつもそこにある。

  別の患者さんが義足を懸命に操り、息を切らしてやってきた。遅れたことをしきりに詫びる。

「電車が遅れたんだもの、あなたのせいじゃないよ。人身事故?」

「そうなんです、焦っちゃった。でも、あたしも人のこと言えない・・・」

  そうか、そうだったね。そんなふうに言えるところまで、あなたははるばるたどり着いたのだ。

 ***

   北九州の空港は人工島に築かれており、無駄のない広さが心地よい。バスの窓に広がる海を僕は響灘につながるものと錯覚していたが、実は周防灘つまり瀬戸内の側である。北九州はそういう位置にあり、外と内とに顔をもつ。市内まで50分かかるが、降りれば目の前のコムシティに今夜の宿も明日の仕事場も入っている。

    

 部屋の窓が切り取る、夕方の黒崎市街はこんな感じ。

 

 写真のファイルが誤って iPad のドキュメントスキャナーのフォルダに入り、そこで処理されて化けたのがこれ。 

 思いがけない効果!

Ω