散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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ネーミングの問題

2019-03-13 06:45:46 | 日記

2019年3月13日(水)

 震災からまる8年、逆効果になりはしないかと心配なほどの頻度と声量でそのことが扱われる中で、とりわけ「復興五輪」を問う議論が聞こえてくる。「復興」という言葉を除いてほしい、と痛憤する被災者があった。胸中、察するに余りある。

 「復興五輪なんてネーミングの問題だ。最初に五輪があって、災害がその後、起きた。ちょっと気の利いた人間なら、だれでも考えることだ。」

 石原都知事(当時)の回顧として今朝の朝日(一面)が伝える言葉だが、後世に向けて注が必要である。震災は2011年3月、五輪開催決定は2013年9月だから、時系列としては「先に震災が起き、後から五輪を招致した」のである。ただ、五輪招致を目指す方針は震災以前に決まっていた。震災が起きて「五輪どころではないのではないか」との思いを誰もが抱き、そのように批判されることを担当者らが恐れた時、「だからこそ五輪を」と誰かが言い出した。

 その発想は間違ってはいない。問題はそれが「ネーミングの問題」に留まるか、それともそこに魂がこもるかだ。ついでに言うなら、石原という人の政治姿勢も人となりも受け入れがたいが、巧言令色と無縁の本音直言は凡百の政治屋よりよほどマシである。何が問題か、おかげではっきりするというものだ。

 もう一つ、あの日は荻窪で診療にあたっており、夕方から夜にかけ4時間歩いて帰宅した。環七の歩道の殺気立った行列が怖くて住宅街の裏道を南へ下ったが、至るところの都立学校が皓皓と照明を灯してくれていたのは、物理的にも心理的にもありがたかった。修羅場には実に強い人物で、本当は戦争指導にあたりたかったのだろうと邪推する。

 そういえばキョエちゃんが、嫌いな人としてだったか、「石原慎太郎さん!」と名指ししていたね。「あの人は、われわれを、撲滅させようとした!!」と叫んだが、「撲滅する」は他動詞で、ここにわざわざ使役を挟む意味はないから、「撲滅しようとした」が正しいんだと思うよ。某局の日本語は劣化が目立っていて五輪報道にも一抹二抹の不安があるが、「復興五輪」の真価を執拗に問い続けるかぎり、期待を捨てずに見ていよう。

https://www.gizmodo.jp/2018/08/crows-employed-for-litter-collection.html より拝借

Ω


試練と信頼

2019-03-08 07:46:41 | 日記

2019年3月8日(金)

 白血病と診断されたことを公表した競泳女子の池江璃花子(18)=ルネサンス=が13日、ツイッターを更新。

 「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。もちろん、私にとって競泳人生は大切なものです。ですがいまは、完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えて頂きながら戦っていきたいと思います」とつづった。

https://www.sanspo.com/sports/news/20190213/swi19021320420019-n1.html

 聖書の読者の多くが、このコメントを驚きをもって聞いたはずである。深くなじんでいる下記の言葉と、あまりにも見事に響き合うからだ。

 「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

(第Ⅰコリント 10:13)

 あなたにこの信頼を与えたものは何なのだろう。あなたが信じた通りになりますように!

Ω

 


雨日のコブタの品定め

2019-03-05 22:55:05 | 日記

2019年3月6日(水)

 エロスとカオス、カラスにカボス、朝ドラが好調だ。

***

 「カンガか、あの人は才女じゃないや、でもルーかわいさに、何とかしちゃうだろ」

 これが僕の記憶の中に定着したコブタの言葉、『クマのプーさん』原作第九話、『コブタが、ぜんぜん、水にかこまれるお話』から。洪水に閉じ込められたコブタが知り合い一人一人を順に思い浮かべ、難儀の際の反応を想定評価する。その中のカンガについてのくだりである。

 いま昭和38年の第三刷を確かめてみると、正しくはこうだった。

 「それから、カンガってひとねえ。あのひとは才女じゃないや。そりゃ、たしかにない。だけども、ルーかわいさに、べつにかんがえもなにもしないで、うまいことやっちゃうだろ。」

 原文はこちら:

 "There's Kanga.  She isn't Clever, Kanga isn't, but she would be so anxious about Roo that she would do a Good Thing to Do without thinking about it."

***

 この一冊に、どれほど養われたことだろう!

  コブタの独白のわずかな部分から、「才女」という言葉と「〇〇かわいさに」という言い回しを覚えた。母親というものが子を思う一心から、能力を超えた働きをしてのけること、それについて洋の東西のないことを、後に知って思い当たった。作品全体から受けとったものの総量は計りしれない。

   A.A.ミルンの語りとE.H.シェパードの挿し絵、幼いクリストファーロビンとぬいぐるみたち、余人の摸すべくもない石井桃子さんの inspired な訳業、これらのプロセスを支えた全ての人々と最後にこの本を買い与えてくれた人。

 コブタはいかに心細くとも忘れられてはいない。やがて「賢いクマ丸」が救出に漕ぎ寄せる。

 

 Ω

 


気が抜けて 気をとり直して 気をつけて

2019-03-03 18:53:28 | 日記

2019年2月28日(木)

 「なきがら」と「ぬけがら」、よく似てよく響き合う一対の詞、実は意味もほとんど等しい。ギリシア語の ψυχη (=psyche)は蝶と魂の双方を意味する。どちらの意が古いのか?同日の生まれ、あるいは相互に生みだしあったと考えてみたい。なきがら/ぬけがらと同じ一組の双子である。蝶が羽化して蛹の殻が残る。実体は既にそこになく、疾うに軽々と大空を舞っている。実体が ψυχη (魂/蝶)であり、残った土の器が「ぬけがら/なきがら」なのた。

 「なぜ、生きている者を死者の中にさがすのか  τι ζητείτε τον ζώντα μετά των νεκρνεκρών ?」(ルカ 24:5)

 「わたしはそこにいません、眠ってなんかいません」(千の風になって)

***

 11時14分に12個めの添付ファイルを編集者に送信し、絨毯にへなへなと(いい言葉!)座り込んだ。少し横になろうかと考えるより早く、豆腐の角に頭をぶつけた。いやに固い豆腐で金属音がした。昔からよくやるのである、たぶん最後は頭部外傷が決め手になるかな。

 新しく学部科目として精神医学を新設することになったのは、公認心理士資格対応のための政策的判断と聞いている。これまで精神医学は大学院科目の「特論」があっただけで、学部の学修にもこれを充てるよう勧めていた。学部科目を新設できれば基本事項はそこへ降ろし、次回に「特論」を改定する際 advanced な情報に焦点を絞ることができる。学部の基礎編と院の応用編、これでようやくあるべき形に落ちつき、そこまでやって自分も潮時かなと美しい展望。

 ともかく、新規科目15章のテキストを書き上げねばならず、その〆切が2月28日である。そのうち3章は信頼する人々に外注し、残り12章は自分で書くこととした。「特論」や「メンタルヘルス」のリライト素材がかなり含まれ、9月から着手して毎月2章のペースで進めれば、ちょうど間に合う勘定である。潔斎していざと居ずまいを正したとたん、母が急逝した。しばらく慌ただしく、またそれ以上に意欲を動員することの困難が続いて、当惑を他人事のように感じながら昨年中は一字も書かず。

 クリスマス過ぎからようやく始動し、1月2月は返上できる予定はすべて返上して、この日に至った。このうえ不慮の事態が重なるなどしなければ、必ず間に合うと踏んではいたが、終わってみて気づく小さからぬ緊張と閉塞感。親切な同僚らが快く雑務を肩代わりしてくれたことがありがたい。この種の状況にある人間をつぶすのは、赤子の手をひねる(!)ほどに易しい。

***

 午後から診療に向かう道々、むやみに深い息を繰り返している。ため息吐息に深呼吸がひっきりなく、蓄積した疲労素を焼却するのに酸素がいくらあっても足りないといったところ。気が抜けたとはこのことで、気をとり直して日常順応を図る、気をつけないと平地で転ぶぞと言い聞かせ、そうそう「気」のつく言葉についてまとめたいのだった等々。

 今日の診療に精神医学的な難しさは何もなく、代わりに若い人々や壮年男女の生きる困難が次々に語られた。「親の期待」の重さを思う。「そんな昭和な」ということではない、多様なコミュニティが緩やかに重畳するのと違って、核家族内で一対一、多対一の熱い期待が若い人々を直撃し続ける。親も余裕がなく、具体的な期待図の想定内でしか、子どもの成長を喜べないのである。

 日本で生まれ育ち、ペルシア語を話せない青年のイランへの強制送還を無効とする訴えが、東京地裁で棄却された。「本人に責任のないこととはいえ、法の秩序が云々」とある。法とは何か?とりわけ日本の法とは何か?この国は国民を(いわんや非・国民を)守ることを至上命題としていない。司法も同じで、法制度を必要悪以上の何ものかと考えることが、この年齢に至ってひどく難しくなっている。せめてより少ない悪を我らに与えよ!

 疲れてろくなことはない。少し休んで頭を冷やし、それからまた考えることにしよう。

Ω