今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
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ここは貴州省・従江県・東朗郷・摆鸠村です。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
「摆鸠の棚田」です。
棚田の形状がいろいろと変わります。
畦が等高線に沿って曲線を描いています。
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日本では、傾斜に合わせて様々な形をしていた圃場は、
農業機械が導入し易い大型の長方形に統一されて整備された。
棚田ではこのような圃場整備や機械化は難しかったが、
土木技術の進歩で大規模化に成功した山間地の棚田も多い。
貴州省の山間部の棚田の耕作は全て手作業です。
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棚田の階段を天秤駕籠を担いで登って行きます。
古代の農民たちは山を切り開き棚田を造ってきました。
標高1000m以上の場所で、何千という棚田を緑豊かな山腹に刻んできました。
時には50段、あるいはそれ以上の田を、空に向かう階段のように積み重ねてきました。