日本の棚田

日本の棚田・長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください

中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・黎平県・肇興郷・厦格村)

2015年04月20日 07時22分51秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・従江県・黎平県・肇興郷・厦格村です。
厦格村に入って来ました。
入口にある新しい風雨橋です。
 
 
トン族の象徴の鼓楼が二つ見えます。
コンクリートで造った家屋、中華鍋(パラボラアンテナ)があります。
厦格村は標高約700mで、戸数は約300軒、人口は約1200名のトン族の集落です。
 
 
鼓楼の前庭に小さな子がいます。
トウモロコシを食べる子がいます。
子供をおんぶしているイクメン(育児に熱心なパパ)がいます。
中国では日本と比べれればイクメン度は遥かに高く、男性も出産の際は
1、2週間は休み、妻たちの面倒を見るし、いろいろ育児に関わります。
もう一つの特徴は、老人が育児の負担を負っている点です。
中国では、若いカップルは働き、老人は子育てをするのが、
家族として当然という古いしきたりがあり、今でもそうです。

 

 

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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・黎平県・肇興郷・厦格村)

2015年04月19日 07時24分01秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・黎平県・肇興郷・厦格村です。
厦格村に入るところにある棚田です。「厦格の棚田」と名付けました。
集落までの約1Kmは棚田です。徒歩で棚田地帯を歩きます。
写真左中央に樋が見えます。
樋を渡して田から田へと水を流すシステムです。
 
 
貴州省の面積は日本の約半分で、人口は4000万人と約93%が山岳地帯ということで、
平地の部分がほとんどない。
昔の日本の農耕社会と非常に似たような条件である山岳地帯で、いたるところに棚(梯)田が広がる。
 

少数民族の歴史は漢民族から受ける迫害の歴史で苗族と漢民族との戦いは
100回以上も繰り返され、やっとこの山岳地を安寧の場として勝ち得た。
人々は迫害を受けるほどに、より強固な団結と
独自文化への誇りと昇華度を高めるものなのであろう。
 
 
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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・黎平県・肇興郷・厦格村)

2015年04月18日 07時18分16秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・黎平県・肇興郷・厦格村です。
厦格村に入るところにある棚田です。
「厦格の棚田」と名付けました。
 
 
肇興の北約4Km程、山を登った辺りに雄大な棚田が現れました。
牛は大活躍中です。
代掻きの最中です。
 
 
こちらの牛は畔の草を食べています。
日本でも昔は、農家には必ず牛がいて、畔に生える草を餌にしていました。
 
 
 
 
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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・黎平県・肇興郷)

2015年04月17日 07時23分56秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・黎平県・肇興郷です。
堂安村に行くため、再び肇興(チョウコウ)に来ました。
「肇興のゲート」です。1年前にはありませんでした。
肇興の集落に入るかなり手前に新しくゲートが設置されていて肇興全体が《景区》になり、入場料として50元徴収されるという大きな変化がありました。
《景区》のゲートを抜け肇興の集落に入る手前に駐車場が出来、観光の車は入れなくなりました。
私達の車はゲートの役人に、この先の「堂安村」に行くと言うと通してくれました。
 

前回、昨年9月訪問時に工事中だった集落の手前の川の中の工作物は既に完成していました。
また、川沿いには遊歩道が整備されていました。

遊歩道です。

寨内のメインストリートの石畳も完成していました。

こういうところを見ると、50元の入場料の価値はあるのかなと考えさせられました。

最近泊まっている《銀河旅館》へ行くと何故か現在宿泊はやっていません、とのことで銀河旅館は諦めました。
そして、若干気になっていた『界池旅館』へ行きました。80元というのでチェックインしました。

『界池旅館』に荷物を置いて身軽になって寨内を散策しました。

これも新たに整備された施設です。

隣合わせですが、1号館と2号館があります。
しかし、2号館(展示二庁)は休止でした。

展示物は凡庸なものでした。

以前の広場には建物が建ち、役場になっていました。

ゲートに向って左の看板です。

右の看板です。

以前泊まったことのある《肇洞旅館》、
この旅館の前には広場があったのです
が、今は役場関係の建物が建っていま
す。

《肇興賓館》は以前と変わりません。

肇洞旅館の背後はこのように整備され、催し物の
会場になっていました。

界池旅館の前の民家の二階には『?布』が干されて
いました。

また、朝から夕刻まであちらこちらから?布を打つ音
が聞こえました。

これは以前と変わらない肇興の効果音です。

2014年3月20日(木)

翌日は従江は出ることにしました。
肇興から従江へのバスは2本、朝7時の午後にあるだけです。
そこで、黎平行きのバスで洛香まで行って多分あるだろう従江行きに乗ることにしました。

肇興から洛香の外れの高速のインターチェンジまで10元でした。
そこには予測通りに従江行きのバスが待っていました。それに乗り換えました。従江へは15元。

正午過ぎ、乗り継ぎの時間も含めて約2時間で従江の新バスターミナルに到着しました。

きょうは従江泊まりとして、《観音閣大酒店》にチェックインしました。120元。

ホテルでリラックスした後、早目の夕食に外へ出ました。

豚肉と緑の葉野菜を注文しました。スープは有り難かったのですが、豚の血の豆腐には手こずりました。

 
 
前回、訪問時に工事中だった集落の手前の池の中の工作物は既に完成していました。
肇興は観光資源となりました。肇興は大きく変貌していました。
 
 
堂安村へ行く山道からの肇興の眺めです。
トン族の村には、鼓楼が建てられているが、肇興の村は五つも鼓楼が建てられてあるとっても珍しい村。
五つの鼓楼が見えるかな?
 
 
 
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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・従江県・停洞镇・擺墳村)

2015年04月16日 07時24分08秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・従江県・停洞镇・擺墳村です。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
「擺墳の棚田」です。
私は 貴州省の棚田を みて・・・
村が 山の上にあることが 不思議だと思った。
たしかに 水管理をするには いいかもしれない。
 
 
しかし、下から上に行く時と上から下に行く時 ではかなり違う。
つまり 収穫したときに 上から下に下りていくのがラクである。
貴州省は・・・収穫したものを 上に担ぎ上げなくてはいけない。
重いだろうに・・・。
 
 
 
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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・従江県・停洞鎮・停洞村)

2015年04月15日 07時19分05秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・従江県・停洞鎮・停洞村です。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
「停洞の棚田」です。都柳江が見える棚田です。
東朗郷から停洞鎮に入って来ました。
 
 
停洞郷の知らない村に見事な棚田があり、
貴州省にはどれだけ棚田が あるのか見当がつきません。
 
 
赤い土の棚田が現れてきました。
土壌中に含まれる酸化鉄が赤くしているのでしょうか??
 
 
 
 
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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・従江県・東朗郷・摆卡村)

2015年04月14日 07時27分18秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・従江県・東朗郷・摆卡村(ばいそう)です。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
「摆卡の棚田」です。
斜面の形状に合わせて、大小とりまぜ段々に作られた棚田は独特の景観を見せます。
水が張られた田んぼには、稲床があり、田植えを待っています。
 
 
日本で米と言えばジャポニカ米ですが、
中国の米は「インディカ米」と「ジャポニカ米」に大別されます。
ジャポニカ米は主として中国の北部で栽培されています。
インディカ米は南部地域で栽培されています。
貴州省ではジャポニカ米が栽培されています。
 
 
昼食です。
ジャポニカ米の米粉を主原料とした麺です。
もちもちして美味しいです。
 
 
 
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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・従江県・東朗郷・摆鸠村)

2015年04月13日 07時22分06秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・従江県・東朗郷・摆鸠村です。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
「摆鸠の棚田」です。
棚田の形状がいろいろと変わります。
畦が等高線に沿って曲線を描いています。
 
 
日本では、傾斜に合わせて様々な形をしていた圃場は、
農業機械が導入し易い大型の長方形に統一されて整備された。
棚田ではこのような圃場整備や機械化は難しかったが、
土木技術の進歩で大規模化に成功した山間地の棚田も多い。
貴州省の山間部の棚田の耕作は全て手作業です。
 
 
棚田の階段を天秤駕籠を担いで登って行きます。
古代の農民たちは山を切り開き棚田を造ってきました。
標高1000m以上の場所で、何千という棚田を緑豊かな山腹に刻んできました。
時には50段、あるいはそれ以上の田を、空に向かう階段のように積み重ねてきました。
 
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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・従江県・東朗郷・分居村)

2015年04月12日 07時26分40秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・従江県・東朗郷・分居村です。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
「分居の棚田」です。
棚田の宝庫・加鳩郷から隣の東朗郷へと入ってきました。
左右の尾根筋の棚田が谷底に向かっています。
ミャオ族の人々は、狭い土地の全てに棚田を造っています。
 
 
谷底に向かって棚田があります。
これから、毎日毎日、谷底へ降りて田植えをするのですね!
ミャオ族のお百姓さんは偉い、偉い!!
 
 
ひょうたん型の棚田です。
ひょうたんは、古来よりとても縁起の良いものとされ、除災招福の
お守りや魔除けとして広く用いられてきました。
また、蔓が伸びて果実が鈴なりになる様子から家運興隆、子孫繁栄、の
シンボルともされていました。
 
 
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中国・貴州省の棚田を訪ねる旅(貴州省・従江県・東朗郷・党易村)

2015年04月11日 07時22分12秒 | 中国
今回の旅は、「中国・貴州省の棚田と少数民族を訪ねる旅」です。
貴州省は「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」と言われています。
 
 
ここは貴州省・従江県・東朗郷・党易村です。
先般、雨・霧等で行けなかった黎平県・肇興郷・堂安村へと向かっています。
「党易の棚田」です。
棚田の宝庫・加鳩郷から隣の東朗郷へと入ってきました。
日本語ガイドの話では東朗郷も棚田の宝庫です。
 
 
車窓は次から次へと棚田が現れます。
日本では必ず「棚田百選」に入る棚田が続きます。
その都度、下車し、撮影。
徒歩での撮影が続きます。
 
 
民族衣装を着たミャオ族の女性が山羊と散歩をしています。
山羊は神の使いとしてミャオ族に愛され続けています。
のどかな散歩です。
 
 
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