たまには教育問題のことでも書いてみよう。
ソースが出せなかったのですが、先ほど見たニュースで、
最近話題に上がっているニートの存在について、
その原因は今の教育に問題があるからだ、というような趣旨のことを、
中山文部科学大臣が述べていました。
社会に出るということは厳しいんだ、ということを子どもの頃から
教育すべきだ、というようにも述べていました。
私はこのニュースを見てそりゃそうだよなぁ、と思ったわけで。
なんせ今の教育は何から何まで平等にしようっていう動きがあって、
極端な例では運動会の徒競走でも順位で差が出るのは不公平だ、
とか言う理由で「みんなで横一列に並んで一緒にゴール」
とか馬鹿げたことをやってるらしいし、とにかくみんな平等に、
っていう実際の社会のルールを無視したような教育が平然と
行なわれているのが現状であるように思います。
日本はとりあえずは資本主義社会ですからね。
悲しいながら力のあるものが上にあがっていくのは当然の摂理で、
ある程度は子どもの頃から競争社会に慣れておく必要もあると思います。
こういうことを言うと、だから競争社会から落ちこぼれが出て、
そうした弱者のためにも平等な教育を行なう必要があるのだ、
という批判もあるでしょうが、だからと言って、
何でもかんでも競争しなければいいというものでもない。
つまりはそうした競争を否定することによって今のような無気力な人々、
渦中の「ニート」が多く出ているのが現状だと思います。
例えばさっき出した運動会の徒競走の例ですが、
確かに誰でも足が速く徒競走が楽しみなわけではない。
しかしながら普段は勉強ができなくても徒競走だけなら誰にも負けない、
というような人たちにとってはなんとも救いようの無い悲しいお話です。
誰だって得手不得手な分野があるのは当然のことです。
ならば「これだけは誰にも負けない」という個性を伸ばすような
教育を行なうのが最善であることはいうまでもないでしょう。
何度も言うように差が出ないように何でもかんでも平等に、というのはやり過ぎ。
長々と書いてしまいましたが、論旨がまとまらず申し訳ありません。
まとめれば今の無気力なニートを産んだ土壌には、
競争させることを否定してしまった教育にあるじゃないかな、ということです。
SMAPの「世界に一つだけの花」なんかがそれを上手く象徴してますな。
こんなのがヒットした時点でもう日本はだめぽ。
ソースが出せなかったのですが、先ほど見たニュースで、
最近話題に上がっているニートの存在について、
その原因は今の教育に問題があるからだ、というような趣旨のことを、
中山文部科学大臣が述べていました。
社会に出るということは厳しいんだ、ということを子どもの頃から
教育すべきだ、というようにも述べていました。
私はこのニュースを見てそりゃそうだよなぁ、と思ったわけで。
なんせ今の教育は何から何まで平等にしようっていう動きがあって、
極端な例では運動会の徒競走でも順位で差が出るのは不公平だ、
とか言う理由で「みんなで横一列に並んで一緒にゴール」
とか馬鹿げたことをやってるらしいし、とにかくみんな平等に、
っていう実際の社会のルールを無視したような教育が平然と
行なわれているのが現状であるように思います。
日本はとりあえずは資本主義社会ですからね。
悲しいながら力のあるものが上にあがっていくのは当然の摂理で、
ある程度は子どもの頃から競争社会に慣れておく必要もあると思います。
こういうことを言うと、だから競争社会から落ちこぼれが出て、
そうした弱者のためにも平等な教育を行なう必要があるのだ、
という批判もあるでしょうが、だからと言って、
何でもかんでも競争しなければいいというものでもない。
つまりはそうした競争を否定することによって今のような無気力な人々、
渦中の「ニート」が多く出ているのが現状だと思います。
例えばさっき出した運動会の徒競走の例ですが、
確かに誰でも足が速く徒競走が楽しみなわけではない。
しかしながら普段は勉強ができなくても徒競走だけなら誰にも負けない、
というような人たちにとってはなんとも救いようの無い悲しいお話です。
誰だって得手不得手な分野があるのは当然のことです。
ならば「これだけは誰にも負けない」という個性を伸ばすような
教育を行なうのが最善であることはいうまでもないでしょう。
何度も言うように差が出ないように何でもかんでも平等に、というのはやり過ぎ。
長々と書いてしまいましたが、論旨がまとまらず申し訳ありません。
まとめれば今の無気力なニートを産んだ土壌には、
競争させることを否定してしまった教育にあるじゃないかな、ということです。
SMAPの「世界に一つだけの花」なんかがそれを上手く象徴してますな。
こんなのがヒットした時点でもう日本はだめぽ。