恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

事故の顛末②

2005年03月25日 | 恐懼とか
最近色々と書くことがあったので忘れてましたが、
先日のバイク事故についての一切が終結いたしました。
この春休みは結局振り返ってみればこの事故の処理に追われ、
どこか遠くに旅行に行くというようなことも出来なかったのですが、
今になって思えばいい経験をした、というように考えることにしています。
保険のこともそうですけど、人間と人間の関係とかね。
普段生活している上ではなかなかない機会に巡り合えたわけで、
前にも話しましたが、事故の時の加害者が私のところに一度も訪問しないとか、
警察がいかに自分たちのご都合主義で物事を解決したがっているかとか、
過失割合についての保険会社同士の馴れ合いのようなものの存在などなど、
なんにせよ社会勉強としては充分すぎるぐらいの経験でした。

事故についての慰謝料や見舞金などの収支を考えてみると、
バイクを全部修理した金額と損傷した装備品の弁償代で、多少はプラス収支。
とはいっても本当に微々たるものですからね。
事故に遭って金儲け、なんていうのとは程遠い感じです。
当たり屋稼業なんて到底できるもんじゃないなぁ、とは思いますがね。

今までの私の生活はほぼ毎日のようにバイクに乗る生活でしたが、
今となってはほぼ週に一回か二回乗る生活に激変してしまいました。
自分としてはバイクに乗ることへの抵抗はないのですが、
やっぱり周りの人を心配させてしまうということはかなり大きいですね。
バイトに行く途中の事故だったということもあって、
バイト左記の面々に心配をかけるわけにもいかず完全電車通勤だし、
親に心配をかけるというのもなかなか恐縮なので、
たぶん学校が始まっても電車で通学することになるはずです。
もっとも、たまにしか乗らない良さということにも気付いた感じです。
たまの休日にちょっと遠くまでツーリングに行くだけで充分なのかもとか、
そして電車に乗る楽しみも再びい味わうことができる、ということも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする