恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

被害者の思想と戦略

2005年03月12日 | 日記とか
何を血迷ったか昨日は昼過ぎまで寝てしまったので、
例によってたまの早起きをしなければならない今日は睡眠不足。
春眠暁を覚えず、という季節には少々早いかもしれませんが、
この時期に二度寝するという味を占めたらなかなかやめられませんよ。
バイトは12時までと非常に中途半端な時間で解放されてしまうので、
その後の身の振り方に困ってしまうわけです。
睡眠不足で力が出ないのでどこか遠出するわけにもいかないし。
とりあえず一旦帰宅して買い置きのエスカップとコーヒーで目を覚まして、
軽くどこかを目指してバイクで出かけることにしました。
天気予報では晴れとしか言ってなかったのに夕立に見舞われたのは不運。
これもまたバイク乗りならではの艱難辛苦といえるでしょうね。

んで、早めに帰宅して家にいると保険屋さんが来宅。
昨日のブログでも書いたように納得のいかない点をいくつかぶつけてみました。
まずは相手の車の修理代が高いのではないか、という疑問については、
・やはり車の修理代というのは予想以上に高くついてしまうこと
・修理工場も事故扱いということであると、代金を支払うのが顧客当人ではないため、
 通常の料金よりも多少は高く請求するということ
などが主な理由として説明されました。
こうした点を考えると私が請求されている金額というのも、
そこまで莫大な額というわけではないので、妥協の余地はあるのかも。
上手く丸め込まれただけなのかなぁ、という気はしなくもないですが。

そしてもう一つの私が納得いかない点はこの記事で詳しく触れましたが、
要するに相手が一度も被害者である私に見舞いに訪れないこと。
私の保険会社の人曰く、やはり加害者は相手の怪我の如何に関わらず、
被害者の見舞いに最低でも一度は訪れるのが普通であるようです。
これは保険金云々と言うよりも相手が「人として」どうなのかという問題で、
それ次第で被害者である心持も随分と変わってくるわけなんですが、
こうした人と人との係わり合いを欠いてしまうと疑心暗鬼になってしまうわけです。
つまりは車の修理代もなんか過剰請求してるんじゃないかなぁ、とか。
このことについて率直に保険会社の方に伝えたところ、
担当部署で相手の車の修理費の妥当性を調査をしてくれることになりましたがね。
まぁ期待はしないで待つことにします。私が赤字にならない範囲であればね。

こういうことを一つ一つこなしていくことによって、
今は嫌な思いをすることになりますが、もし自分が逆の立場だったら、
と考えると被害者の心情をよく理解することができるんじゃないかと思います。
まぁ随分と面倒な勉強になろうことには変らないんですけど、
身をもって体験したことは一生役に立つんじゃないかなぁ、
ぐらいに考えておかないと、到底やってられませんから。
コメント
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