恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

久々の母校

2005年05月11日 | 日記とか
教育実習まであと2週間ということで、オリエンテーションのため実習校である母校へ。
家から自転車で5分という至近距離にあるものの、卒業してから最初のうちは、
部活動にOBとして何度か足を運んでいたわけですが、
大学生活が軌道に乗って忙しくなってくると訪問の機会は一気になくなりました。
ようするに母校は近くて遠い学校になってしまったわけです。
そんな高校にもあと2週間後には生徒ではなく、実習生として赴くことに、
なんとも奇妙な感覚と時の流れの速さを感じます。

2時20分に実習生が一堂に会して実習期間の注意などの説明を受けるわけですが、
実習生が集合する会議室に足を運び入れると、既に何人か集まっており、
見知った顔も何人かいたわけなのですが、ここでふと気がつく事実。
私は高校時代の友人が著しく少なかったということに。
つまりは同じクラスだったり部活が一緒だったりすればいいのですが、
それ以外には一言二言言葉を交わしたことはあるけど、特に仲がいいわけでもない、
っていう人間がほとんどだったわけですな。
ましてや現在の近況を語らい合う中の人間もいないわけで。
周りでは何となく和やかな雰囲気になってるのに、完全に孤立した感じもあり、
何となく居たたまれなくなり恐懼しておりました。

程なくして教員が入ってきて自己紹介やら諸注意やらが行なわれます。
見覚えのある先生も数人いるのですが、やはり4年も経つと老けるもんですね。
白髪が増えていたりする教師の姿を見ると自ずと時の流れを感じます。
もちろん年を重ねたのは先生だけじゃなく私もまた然りなのですが。
私が担当する日本史に関しては担当の教員の方と個別に打ち合わせをするのですが、
その先生は私が在校した際にはいなかった先生で、ある意味初顔合わせ。
都立高校で異動があるのでしょうがないことではあるのですが、
これだけを考えるとどうにも母校とはいえアウェーな感じは否めません。
でもってその先生は第一印象ではかなりの放任的な感じで、
「その辺は適当でいいよ」みたいな部分が多く、実習生の裁量に任せる、
という方針は理解できるのですが、右も左もわからない私には不安で仕方ありません。
しかも担当する学年は三年生と来たわけで、おそらく生徒は受験勉強に頭が一杯で、
実習生の言葉なんて聞いてくれねーんだろーなー。
自分自身がそうだっただけにこればっかりは自信がないです。
よっぽどうまいことやらなきゃなりませんな。

まぁそれだけに私自身の頑張りが求められてくるわけで、
本格的に教育実習の準備をしなきゃなぁとモチベーションが上がります。
三週間とはいえ教師としての仕事をいかにして全うすることができるか。
最近は大学のレポートにしてもなんにしても手を抜きがちになっている日々ですが、
ここでけは気合を入れて頑張っていかねばならんと思うわけであります。

恐懼謹言。
コメント
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