恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

雑魚独白録(前)

2005年05月20日 | 恐懼とか
なんか知らんが怒りを買ってるらしい。
いや、なにか心当たりとかがあるのであれば、わかるんだけど、
自分には一切思い当たる節がないのである。
足を踏んだ側は忘れているが踏まれた側は覚えているっていうのがあるけど、
ひょっとしたら今回もそういうことなのかもしれない。
自分では気付かないうちに何か相手の気分を害していたのかもしれない。
前に会った時は普通だったのにその日会ったら相手の態度がいきなり変わってる、
っていうのは本当に困ったもんである。
こっちはいたって普通のつもりで接しても無視されたり、
邪魔者であるかのような視線を送られているのは全く居たたまれない。
なんだよなんだよ、ってわけ。

まぁどんな人でもそれ相当の怒りでもなければ、
数時間もすれば怒りは冷めてくるもんなんだけど、
終日無視のし通しって言うのはおそらく相当のことなんだろうな。
しかしその怒りが自分だけに向けられてるならまだわかるけど、
それが関係のない人にまでとばっちりが及ぶのはなんとも恐懼に堪えない。
直接的な迷惑ってことじゃないけど、やっぱり空気って物は大事。
一部分だけであっても空気が澱んでいればその澱みは清浄な空気も澱ませる。
狭いコミュニティであればそれはさらに顕著になるって寸法だ。
もし自分に非があってのことなら率直に言ってほしいものである。
日本人の中には以心伝心という感覚が深く根ざしているように思われるが、
それはある意味で理想的な面であり、実際そこまで人間は器用じゃない。
伝えるべきことは声に出さなきゃ伝わらないのが現実だろうと思う。
これなくして態度から思いを察してくれというのは傲慢というものだろう。

しかし私もそこは子どもじゃないので、いつまでも意地を張ってても仕方がない。
相手から何のアクションもないのであれば、私から何かしら行動を起こさないと。
待ってるだけじゃ何も始まらないっていうのはこのことだけじゃないから。
まぁ今日明日ってわけにはいかないだろうけど、
これは当事者だけの問題じゃなくて、さっきも述べたように、
私の周囲に影響を及ぼす問題でもあるので、こんなことでゴチャゴチャしたくない。
争いを好まないのは多くの人間も同様でもあるはず。
どうせ一緒にいるなら楽しいほうがいいのは言うまでもないので。
全くもって降って沸いたかのような面倒事である。

恐懼謹言。
コメント (4)
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