恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

久々の母校

2005年05月11日 | 日記とか
教育実習まであと2週間ということで、オリエンテーションのため実習校である母校へ。
家から自転車で5分という至近距離にあるものの、卒業してから最初のうちは、
部活動にOBとして何度か足を運んでいたわけですが、
大学生活が軌道に乗って忙しくなってくると訪問の機会は一気になくなりました。
ようするに母校は近くて遠い学校になってしまったわけです。
そんな高校にもあと2週間後には生徒ではなく、実習生として赴くことに、
なんとも奇妙な感覚と時の流れの速さを感じます。

2時20分に実習生が一堂に会して実習期間の注意などの説明を受けるわけですが、
実習生が集合する会議室に足を運び入れると、既に何人か集まっており、
見知った顔も何人かいたわけなのですが、ここでふと気がつく事実。
私は高校時代の友人が著しく少なかったということに。
つまりは同じクラスだったり部活が一緒だったりすればいいのですが、
それ以外には一言二言言葉を交わしたことはあるけど、特に仲がいいわけでもない、
っていう人間がほとんどだったわけですな。
ましてや現在の近況を語らい合う中の人間もいないわけで。
周りでは何となく和やかな雰囲気になってるのに、完全に孤立した感じもあり、
何となく居たたまれなくなり恐懼しておりました。

程なくして教員が入ってきて自己紹介やら諸注意やらが行なわれます。
見覚えのある先生も数人いるのですが、やはり4年も経つと老けるもんですね。
白髪が増えていたりする教師の姿を見ると自ずと時の流れを感じます。
もちろん年を重ねたのは先生だけじゃなく私もまた然りなのですが。
私が担当する日本史に関しては担当の教員の方と個別に打ち合わせをするのですが、
その先生は私が在校した際にはいなかった先生で、ある意味初顔合わせ。
都立高校で異動があるのでしょうがないことではあるのですが、
これだけを考えるとどうにも母校とはいえアウェーな感じは否めません。
でもってその先生は第一印象ではかなりの放任的な感じで、
「その辺は適当でいいよ」みたいな部分が多く、実習生の裁量に任せる、
という方針は理解できるのですが、右も左もわからない私には不安で仕方ありません。
しかも担当する学年は三年生と来たわけで、おそらく生徒は受験勉強に頭が一杯で、
実習生の言葉なんて聞いてくれねーんだろーなー。
自分自身がそうだっただけにこればっかりは自信がないです。
よっぽどうまいことやらなきゃなりませんな。

まぁそれだけに私自身の頑張りが求められてくるわけで、
本格的に教育実習の準備をしなきゃなぁとモチベーションが上がります。
三週間とはいえ教師としての仕事をいかにして全うすることができるか。
最近は大学のレポートにしてもなんにしても手を抜きがちになっている日々ですが、
ここでけは気合を入れて頑張っていかねばならんと思うわけであります。

恐懼謹言。
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筋肉盛衰記

2005年05月10日 | 所感とか
徹夜を終えた次の日ということもあって前日の11時から正午まで睡眠。
なんかこういうことをしてると日付の感覚が狂っていけませんな。
昼頃までダラダラと寝てるのはいつものことなので、
これで一応生活のリズムは戻りました。こんなんでいいのかって話ですが。

さすがに高校での部活をやめて早数年、体を動かす機会は恐ろしく減りました。
それに輪をかけて食生活も比べ物にならないぐらい不健康ですし、
何よりも飲酒習慣っていうのはよろしくないですね。
こうなってくると心配になってくるのは肥満という二文字に限りますが、
そろそろこのことについて真剣に考えねばならないかも、と考え始めております。
数年前までにはある意味で筋力トレーニングが趣味のような部分もあり、
週に3回はジムに通ってひたすら己の筋肉を鍛錬していたのですが、
部活も終えてひたすら受験勉強に打ち込むようになると、
そんなことをしている時間的余裕というものはどこへやら、となり、
一度その習慣が途絶えてしまえばあとは楽な方へ楽な方へと流れてしまいます。
そして大学生になってからもそれは変わらず、その時に蓄えた筋肉も、
今となってはどこへやら、というのが正直な認識であります。

さすがに腹が出てきたってわけじゃないんですが、往時には腹筋が割れていた私も、
今現在鏡を見るに、その腹は平面に近いものになり、
鏡を見るのがいささか情けなくなってしまっているのが現状です。
腕の筋肉も人よりはちょっと太いぐらいですが、
ひょんなことで腕相撲をしても、あの頃は無敵であったのに今では、
普通の人にも歯が立たなくなっていることからもその衰えはわかります。
これからのシーズンに向けて、Tシャツが似合う体型でありたい、
というのもありますが、何よりも健康のことを考えたら筋トレは必須かなぁと思うわけで。
それに、この間鉄棒で一回逆上がりをしただけなのに、
翌日はものの見事に筋肉痛になってしまった自分が情けないったりゃありゃしない。
両親を見ても、若い頃はそれなりに痩せた体であったものの、
年を重ねるにつれ腹が出て、典型的な中年体型に成り果ててしまっているわけで、
眼前にそういう人間を見ると自分も危機感を覚えずにはいられません。

そういった悲観すべき将来を迎えないためにも、今からでもコツコツと、
体型維持と健康増進のために家でもできる筋トレをはじめようかなぁと。
家でできることといえば腹筋、腕立てぐらいですが、やらないよりはマシでしょう。
というわけで、今後はブログの更新とともに筋トレも始めていこうかと思います。
どっかで宣言しておかないとこういうのは3日坊主になるのでね。
メニューとしては腹筋30回×3セット、腕立て30回×3セットぐらいを目途とし、
風呂に入る前にはこれをこなしていこうと思います。
そして何より風呂上りにはビール、っていうのは外すつもりはありません。
意味があるんだかないんだか。

恐懼謹言。
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国会で居眠り

2005年05月09日 | 日記とか
バイト先の朝のシフトで入るはずのスタッフが急病でダウン。
土曜日に一緒に働いていた時から具合がよろしくないようで、
「もし月曜辛そうだったら前の日までにいってくれれば私が入ります」
とは言っていたのですが、その時はさすがに月曜までには具合はよくなるだろうなぁ、と、
いわば言ってることと思ってることが矛盾していたわけなのですが、
まさか本当に交代で入るとは思っていなかったので、日曜の朝は昼まで寝てました。
そんなわけで今の今まで寝ることができず、一睡もせずにバイトに向かうことに。
もともと徹夜なんてできる人間ではないのですが、まぁこれも仕方ない。
具合が悪い人がいたらその代わりで入ることぐらい人として当然のこと、なので。

んで、そのままバイトへ行くも動いてしまえば眠気も消えうせます。
そんな感じで正午までの勤務を経て、その後は友人とともに池袋の大勝軒へ。
曰く、つけ麺の元祖の店でかつて訪問した際には私は2時間半並んだという、
恐ろしい程に人気店だったわけなのですが、今日行ったら30分で入れました。
なぜここにあえてもう一度来たのかといえば、前回の大勝軒訪問後、
何件ものつけ麺を食してきたわけなのですが、ここで改めて味わってみよう、
という趣向のものでした。さすがに元祖であり、いまだに人気店なので、
実際に食してみると私の体調が悪いのか、舌が肥えてしまっているのか、
これと言って感動を呼び込むような味ではないことに気がつきました。
なんだろうな、そこまで並んでまで食べる味じゃないなぁ、と。
これだったら町屋の勢得や中野の青葉のほうが上だと思います。
いつまでも口コミだけで食っていける店っていうのは少ないと思うので、
元祖つけ麺の店として今後の努力に期待したいところです。

つけ麺を食べ終わってちょうど二時ごろ。授業が五時半からなので、
まだ時間はたっぷりあるということで、思いつきで永田町にある憲政記念館へ。
憲政の功労者である尾崎行雄をはじめとした日本議会制度に関する展示が豊富で、
しかも無料では入れるということもあり、なかなか楽しめるものでありました。
この辺のことにある程度の興味がある方々は一度訪れてみるといいかも。
社会科見学で訪れていた高校生たちに交じり、一時間程度見学し、
そのあとは近くにある国会議事堂の周りをウロウロ。さすが立法府の中心はでかい。
どこかで写真でもとっていこうかなと思っていたら、「参観者受付」という文字が目に入り、
アポなしではあるもののひょっとしたらということで、受付へ。
ちょうど四時から国会内の見学ツアーがあるので、よろしかったらどうぞ、
ということであったので小学校以来二度目の国会議事堂見学をすることに為します。
ツアー参加者は私とその友人に加え、関西から来たと思しき親子が二人。
この四人を案内するために国会警備担当の警察官の方が一名で参観開始。
小学校の頃に見たのと、今改めて知識を持って見学を売るというのでは、
さすがに感じることがすごく違うわけですね。なんとも立派な造りでに感動を覚えます。
議員のように赤絨毯を踏みしめて国会内を歩くというのもなかなか趣のあるものです。
天皇陛下が見えた際にご使用いただく控え室なども、とにかく豪華絢爛。
我々一般庶民の感覚からすると本当に恐懼に堪えない雰囲気で背筋が凍りました。
金使いすぎだろ、とは思うものの、やっぱり国の重要機関ですからね。
これぐらいの権威を感じさせるぐらいでちょうどいいのかもしれません。

で、ツアーの目玉的な部分である参議院の議場を見学する最、
ちょうど傍聴席に当たる部分で議場の説明を延々受けるのですが、
程よく静まり返った議場内で私は遂に睡眠への欲求にかられてしまいます。
ダメな国会議員のように議場で寝てしまうのは何とか避けたかったので、
なんとかして寝ないように努めますが、あの雰囲気は居眠りには最適な環境かも。
まぁそんな感じで、1時間程度の見学コースを回り終え、
気がつくと授業までの時間が残りわずかになってしまい、ダッシュで学校へ。
もちろんこんな寝不足の際に走ったりしたので、授業中に居眠りしたのは言うまでもなし。

恐懼謹言。
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煽り煽られ

2005年05月08日 | 恐懼とか
ネタがないので先日の会津若松ツーリングの帰り道の出来事を。
帰り道の一般道を延々と東京に向かって帰っていく際なのですが、
流れのよい道路だったので一般道とは言えども周りは90キロぐらいで流れておりました。
逆に法定速度ジャストで走ってると交通の流れの妨げになるので、
私も当然それぐらいのスピードで巡航をするわけです。
こういうことはこの道だけに限らずあることなのですが、
やはり飛ばせる道であるというだけに、走り屋的な人も多いわけです。
そうすると当然トロトロ走ってると走り屋の方の格好の餌食になるのは言うまでもなし。
まぁ大して遅いわけでもないのに恐ろしいスピードで走っている方々は、
一般の人間は蹴散らすかのような猛スピードで煽るのですが、
そんな出来事に遭遇してしまうことになりました。

周りに車がそんなに多い状況ではなかったのですが、ミラー越しに、
猛スピードで迫ってくる車の光を視認しました。
あっという間に私の真後ろにつけ、どけと言わんばかりのパッシング攻撃。
こういうときはこれに乗って私もスピードを上げて逃げるのは危険なので、
非力な400ccバイクは車線を変えて走り屋さんに道を譲ります。
まぁ普通に考えれば大人しく譲ってそのままやり過ごせばいいのですが、
ここで無礼な追越をされて指をくわえて見てるだけっていうのも癪なので、
好奇心半分、報復心半分で真後ろにつけてついていくことにします。
後方20メートルぐらいにつけてついていくことにしたわけなのですが、
これに気がついたのか、車の運転手は私を挑発するかのように、
車体を小刻みに左右に揺らし、ついて来いと言わんばかりに加速します。
この挑発に乗る私もアホっちゃアホですが、思わずニヤリとしてしまいます。
前を走る車はやはり走り屋というよりもDQNな雰囲気そのままで、
側道から合流してくる車に対してもクラクションを鳴らして強制的に排除、
といったような感じでとにかく荒くれた運転を見せ付けてくれます。

こんな感じで追走してて急ブレーキでもかけられれば私も危ないのですが、
さすがにずーっとついていくと相手も段々イラついてきたのか、
急遽として左折ウインカーを出して減速、私は追突しないように右から追い抜くのですが、
その追い抜きざまに私に対して怒りをあらわにしたクラクション連打。
そして左の脇道へと消えていったのでありました。
なんかこんな感じで消えていってしまわれると空虚ではありますね。
まぁこんなことしてる私も本当にDQNなので、終わった後にはちと反省です。
前々からバイクに乗ると熱くなってしまうのはいけないとは思うのですが、
またしてもやってしまいましたね。本当にこれで死ぬかもしれん。
わかってるならさっさと辞めればいいのですがね。
免許を取る際の適性検査の判定もよくなかったって言うのは、
ある意味でこうなることを見越していたのかもしれませんね。
恐るべし運転免許適性検査。

恐懼謹言。
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土産選びのセンス

2005年05月07日 | 恐懼とか
先日の会津若松ツーリングの際に、実家用とバイト先にお土産を購入しました。
んで、今日はそのお土産をどっちにも持っていったわけなんですが、
どうにもその評価が芳しくないわけなんですよ。
そりゃまあ千円もしない土産の菓子なんかで、すんげぇうまい訳はないんですが、
それでも、可もなく不可もないという評価をされるのは微妙なもの。
旅先でのお土産購入というのはその人のセンスも問われるわけですが、
とりあえずバイト先に買っていく物としては数が多く、
それでいて万人受けするようなものを選ばなければならないわけですが、
これがなかなか難しい要求であったりもするんですね。

本気でご当地の名産品なんかを買うと、コスト的にもかさむので、
学生なんかの定番になってるのはご当地限定プリッツなんかがそのいい例ですが、
まぁこれもある意味で想定の範囲内というか、無難すぎる感じもあります。
受けを狙って行き過ぎるとそのアタリハズレが大きいというのもあるので、
プリッツなんかで妥協するのも一つの策でないこともありませんが、
結局はハワイに言ってマカデミアナッツチョコを買ってくるのと同じぐらい安直。
で、結局その辺のことを考慮した挙句に私がバイト先に購入していったのは、
喜多方ラーメンせんべいという、「いかにも」な感じのお菓子。
ある意味で奇を衒った商品ではありますが、まぁそれ以上でもなくそれ以下でもない。
私もとりあえずは一枚食べたのですが、本当にリアクションが取れないっていうのは、
こういうことを言うんだろうなってぐらいの味で、少々恐懼。

廉価でしかも知名度のあるもののある観光地ならいいのですが、
会津若松でそういうのを探すっていうのもなかなか難しいかもしれません。
京都なら八つ橋、広島ならもみじ饅頭とか買っていけばひとまず安心なんですが、
そういうのが何となく印象の薄い場所だとお土産選びも一苦労ですね。
いや、単に私が福島県に対して無知なんじゃないかって話もありますが。
今後ツーリングに行く時は走る道だけじゃなくて、土産品に関しても事前に調査しないと。
バイト先のスタッフ用においてきた土産物のお菓子が一向に減ることなく、
一ヶ月ぐらい先まであったら鬱ですからね。

恐懼謹言。
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これがモダンリビング

2005年05月06日 | 日記とか
二日間の疲れとともにくる筋肉痛で、外を見れば雨。
昼頃まで家で何をする気にもならずダラダラと過ごします。
しかし、疲れているとはいえど家に一日中いるのは嫌なので、
こういう時は電車に乗って買い物にでも、と思い立ち外出。
特に行き先なんかを決めることもなく、とりあえず神保町で昼食。
GW真っ最中とは言えども老舗のB級グルメの店が多く開いてるのはさすが。
行きつけのカレー屋はいつもは行列なのに今日行った時は私だけでしたが。

そんな感じで食欲を満たしたあとは普段は縁のない三田線でぶらりと出かけます。
雨の日は特に外で何かするわけにもいかないので、たまには買い物でも、と思い立ち、
武蔵小山の商店街にしようか横浜方面へ出かけるか色々と逡巡した結果、
ふと思うことがあって横浜のさらに先にある上大岡の京急百貨店へ行くことにしました。
何でここで上大岡などという中途半端な都市を選択したか。
つまりは以前から目をつけていた「レッドトレイン」という鉄道好きにはたまらない、
様々なグッズを取り扱う店の情報を聞いていたからというのが一つ。
あとは横浜などの大都市だと人がごった返しているおそれがあるのと、
ただでさえ疲れた体なのにさらに人ごみの中に突っ込んでいく勇気がなかったってのも。
そんなところで上大岡っていうのは適度に繁栄した町なのでその辺も申し分なし。
いざ神保町から三田線、浅草線、京浜急行を経由して上大岡へ向かいます。

上大岡駅と直結されている京急百貨店は、雨の日でも濡れることなく移動が可能。
さっそく百貨店の5階にあるレッドトレインへ足を運びます。
そもそも5階は子供用のおもちゃ売り場ということもあるので、
GWに訪れる親子連れの家族の集団の中を一人殺伐と歩くのは恥ずかしくもありますが、
趣味を満たすためにはこれぐらいの代償は覚悟の上です。
鉄道グッズを数多く揃える店なのだからそれなりに大きな店かと思いきや、
子供用おもちゃ売り場の一角にこじんまりと店を構えている状態で、ややびっくり。
店内にはいかにもな店員と常連らしき鉄道Tシャツを来た客が談笑していました。
この中に入っていくには多少の勇気が必要でありましたが、まぁ難なく入店。
店は小さいものの所狭しと様々な鉄道にまつわるグッズが置かれており、
そんな商品の一つ一つは鉄道好きの心をくすぐるものばかり。
中でも京急駅名キーホルダーは京急全ての駅名標がそろうという気合の入り具合。
さらにグッと来たのは実際の鉄道の座席に使われているものと同じ素材のクッション。
電車の中で見覚えのある、あのシートと同じ柄のクッションですよ。
なんか知りませんが衝動買いに近い状態でこの座布団をお買い上げ。
これで今後はいつでも家にいながらにして京急2100形乗車気分です。
華麗なる鉄道ライフはこうして始まるわけでありました。
そのうち家の中が鉄道グッズで埋め尽くされるような気がしなくもない。

今日は完全に鉄道マニアな生活の一日でした。
恐懼謹言。
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四号線ヲ南下セヨ

2005年05月05日 | 二輪/四輪車とか
日付が変わって数時間後の深夜、供に郡山入りしていた中堅氏から電話。
なんとこの日の夕方頃から別の予定があったことを忘れており、
もし観光をした後に出発しようもんなら帰省ラッシュにかぶってしまい、
時間までに帰りつけない、という悲痛な訴え。なんなんだ、おい。
で、彼の出した結論は今から東京方面へ帰る、と。
私にそれをどうこうする権限もないのであっさり了承しましたが、
考えても見れば彼が郡山に来たのは私の飲み相手をするだけで、
しかも滞在時間わずかでとんぼ返りすることになってしまったことには同情。
当初のとおり、会津観光は私一人で行くことになりました。

朝9時半にホテルをチェックアウトし、郡山から西へ進路をとります。
郡山と会津若松を結ぶ道路は国道49号と、なんとも縁起の悪い道路で、
事故だけは勘弁と思いながら徐々に標高の高くなっていく道路をひた走ります。
また、東北ということもあってか沿道には満開の桜を多数見ることができました。
東京ではもはや一年後しか見れない桜をここで見ることができたのは、
なんとも不思議な気分でもあり、うれしさもあり。
そんな桜と猪苗代湖という絶妙なバランスの風景を眺めつつ、西へ西へ。
まず最初に訪れたのは日本史好きにはニヤリな白虎隊終焉の地である飯盛山。
幕末の動乱で非業の死を遂げた少年兵に思いを馳せてしみじみしていたら、
団体の観光客が大挙して押し寄せ、雰囲気も何もなくなってしまいましたがね。
有名な観光地ではこういうことが往々にしてあるのでしゃあないです。
まぁガイドさんの説明をタダで聞けたのでよしとしましょう。

その後は飯盛山から眺めた鶴ヶ城へ乗り込みます。
どうせなら中にまで入って見学していくのが筋なのでしょうが、
城の入り口の看板に「2004 3/27リニューアル!!」みたいなことが書いてあり、
不思議と私は気分が萎えてしまい、外から眺めるだけで見学終了いたしました。
城という歴史的文化財を内部とはいっても現代風にするのは好きじゃないんです。
この間見てきた松本城ぐらいの雰囲気ならまだいいんですけどね。
まぁそんなどうでもいい理由で観光地の一部をスルーさせたわけです。
帰りも高速を使わないで帰るため、時間の制約もありますし。
博物館かなんかでゆっくりするのはまたの機会にするのが賢明です。

鶴ヶ城を後にすると、時間が既に昼を回っており、次は食欲を満たしに行きます。
この辺りの名物といえばやはりなんといっても喜多方ラーメンですね。
喜多方市内だけで120以上のラーメン店が軒を連ねており、まさにラーメンの町。
バイクの旅なのにここはしっかりと町の中心である喜多方駅に立ち寄り、
ラーメン案内マップを入手し、数多くあるラーメン店の中から訪問すべき店を決めます。
一応いくつかの目をつけたラーメン屋を一通り見て回るのですが、
駅に近い店というのはどこも目に付くということもあってか、案の定どこも行列。
ただでさえ飲食店で行列というのが嫌いであることに加え、
先にも述べたような時間の問題もあるので、走りがてら郊外にある店に行くことにします。
赤れんが食堂という駅からは10キロぐらいの距離にある店なのですが、
さすがブランドラーメンというだけのことはあり、駐車場には10台近くの車が停めてあり、
店内もほぼ満席状態でした。幸いなことに待たずして入れたのはなにより。
ラーメン自体も大変美味しくいただきました。

これで一応の観光的なことは終えることにし、あとはバイクでの走りを楽しむのみ。
福島県には主に三つの有料道路があり、できることなら全てを走破したいのですが、
どれも目的地が別の方向に向いており、またまた何よりも時間の制約があるので、
磐梯山ゴールドラインという距離も値段も手頃な観光有料道路を選択し、いざ出陣。
沿道にはまだ雪が残っており、眼前に見える磐梯山にも残雪がちらほら。
本当に5月なのかって思うぐらいの光景で、東京周辺では味わえないものですね。
道路に関しては有料の割には非常に急なカーブが多く、走り屋の方は好みそうな雰囲気。
木々の中を縫って走る約30分のワインディングは気温が低いことを除けば、
全くもって快適そのものでありました。季節は春でも冬装備できてよかったわ。

この道を走り終わるといい具合に時間が4時前になってしまいました。
ってことはそろそろ東京に向けて帰らなきゃならないわけです。
来た道をまんま帰るのは精神的にもつらいものがあるので、
途中までは猪苗代湖の南岸を通る茨城街道を経由して4号線に接続するルートを選び、
後はずーっと南へ南へ。家に帰り着いたのは午後十時過ぎでした。
帰りは疲労もあるので休憩をゆっくりとりながらの行程だったのと、
帰省ラッシュの影響が一般道にも出ていたことで行きよりも少々遅くなってしまいました。
二日間で総走行距離は750kmぐらいですかね。明日はゆっくり休ませていただきます。

恐懼謹言。
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四号線ヲ北上セヨ

2005年05月04日 | 二輪/四輪車とか
というわけで久々に泊りがけでツーリングに行ってきました。
そもそも計画段階ではフェリーにバイクを積み込んで四国でも、
と思っていたのですが、これだとどうしても2,3日じゃ収まらず、
こういうのはもっと夏休みとかそういう時にしようと考え直し、
色々考えた結果、東北地方にターゲットを絞り込みました。
東北と言っても福島から青森まであるわけですが、費用的な問題もあり、
南東北の福島県をメインに、しかも高速を使わずに行くことを決心しました。
会津若松とか喜多方とか有名所は多くあるので、観光には困らないのと、
バイクで走るには申し分のない道が多くあることが決定の要因でありました。

朝は10時起きという普段より3時間ぐらい早い時間に起きて出発。
大型連休の後半初日ということで渋滞を気にしてはいましたが、
むしろ平日の方が車が多いかなってぐらいで、杞憂でありました。
出発早々、私が白バイに追尾されるというアクシデントもありましたが、
順調かつ快適なスピードで国道4号線を無心に北上します。
高速道路利用であれば東北道で行くのですが、これだと片道5000円近くかかるのでね。
時は金なりとはいえど、ここはなんとか節約したかったわけです。
国道4号は考えようによっては東北まで東京から一本道。
ちなみに4号は日本最長の国道だそうで、その距離743.7kmとか。おそるべし。

バイクを北に走らせ、春日部を過ぎた辺りからは田園風景になります。
単調な道路と変化のなさに寝不足だったこともあって、激しく眠気に襲われることに。
車の居眠り運転はともかく、バイクで寝たら確実に死ぬのでね。
さすがにこれじゃマズイなぁってことで、ちょうど出発して2時間、
栃木・宇都宮に到着したので、この辺で休憩も兼ねて昼食にします。
宇都宮といえば昨今は餃子で名を馳せていますが、今回の私の目的は、
南東北攻略であって宇都宮餃子ツアーでないことを充分に自分に言い聞かせ、
ホームセンターのフードコートでたこ焼きを一つ買って終了。
うむ、これでいいのです。餃子はまたの機会に改めて。ここは先を急ぎます。
まぁ宇都宮まで2時間で行けてしまうっていうのも一つの収穫っちゃ収穫。
休憩も取って眠気も消し去ることができ、再びバイクへ乗り込みます。

宇都宮から北へしばらく行くと今度は田園ならぬ山道な光景に。
黒磯、那須塩原などの地を順調に通過、東北地方の最南端・福島県に入ります。
福島に入って白河で給油のためにガソリンスタンドに行くと、
そこの店員の兄ちゃんが訛り全開だったことに、遠くまで来たことを実感。
旅先で現地の方々の言葉に訛りがあるってのは旅情をそそりますな。
大阪なんかだと顕著にその言葉は変わりますが、東北も根強いんですね。
ちなみにそのスタンドではオーナー風の方のご好意により、
コーヒーをご馳走になりました。これで福島県民にはおおむね好印象。
そんな感じで白河まできてしまえば本日の目的地である郡山まではもうすぐ。
4号を再び北上し、午後4時には郡山のビジネスホテルにチェックイン。
東京を10時半に出発し、4時到着なので所要時間は5時間半。上々です。
ホテルに荷物を置いて、再びバイクで郡山の周辺へバイクで走りに行きます。
大学の授業で触れたことのあった三春町とかその周辺を巡見も兼ねてウロウロ。
郡山は市街地なのですが、その市街地から僅かしかない場所なのに、
ちょっと行っただけで多くの自然が残ってる辺りは東京にはない魅力ですね。

実はこの前日に、友人の中堅氏に半ば冗談で「お前も来い!」的なことを言たのですが、
私を追いかけるように千葉から自家用車で福島入り。まさか本当に来るとは。
彼は高速を使っただけあって三時間足らずで到着ということでした。少々複雑。
合流後、彼とは明日も行動をすることになったので、この日は郡山の町で飲むことに。
ちなみに彼は宿を取っていなかったため、車中泊ということになり、
かたや私はしっかりホテルを取ってあったので、ここでいささか恐懼。
まぁ彼は高速代で散財してるのでこれぐらいでちょうどいいのかもしれないけれども。
酒も程よく回り、観光は明日しようということで、早めに解散して明日に備えます。
東北で妙な出会いを果たした二人の男はそれぞれの宿所へ帰っていきました。
ちなみに私の泊まった場所はちょうど歓楽街のド真ん中で、
深夜までずっとホストや水商売の客引きがたむろしていたのが怖かったかも。
ホストの兄ちゃんも例に漏れず東北訛りだったのは微笑ましかったですがね。

恐懼謹言。
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中年への道

2005年05月03日 | 日記とか
昨日のバイクの不具合に関する件で、再度バイク屋訪問。
バイク屋までの道のりを再び延々歩くのは堪えがたい苦痛なので、
インターネットという文明の利器を可能な限り駆使し、
徒歩にならない手段をとことん検索することにしました。
考えても見れば5キロぐらいの距離でうだうだいうのは本当に情けない限りですな。
バイクや車に馴れていなかったあの若かりし頃なら平気で歩いたはずなのに。
便利なものを覚えてしまうとどうしてもそこからランクを落とすのがツライ。
現在のADSLな接続環境からアナログのダイアルアップ接続にするとか、
400ccのバイクから原付にランクダウンするとかともかくキッツイですね。
まぁそんなわけで血眼になって歩かない手段を探したわけです。

バイク屋の周辺には電車もバスも通っていないと思っていたのですが、
東京都交通局のホームページでバス路線を検索したところ、
一時間に一本という都内とは思えないほど恐ろしく使い勝手の悪そうな路線ながらも、
バイク屋へのアクセスにはこれ以上ないというほどの路線を発見。
これでも歩かないためには非常に有効な手段になりうると確信した私は、
この都営バスを唯一の頼りとして計画を練ります。
なんせこの日の午後三時からは新宿でバイトなもんで、一本バスを逃そうもんなら、
バイクは取り戻せてもバイトに完全に遅刻ということになってしまいます。
しかも最近はこのバイク屋がらみで遅刻未遂が二件起きてますから。
二度あることは三度あるという教訓を片隅に入れつつ綿密に計画します。

まぁ結局はその計画通りに動き、うまくいってバスに乗ることができたのですが、
この路線は近隣住民には全然認知されていないのか、空気輸送状態。
本数が少ないせいもあると思いますが、駅でこのバスに乗ったときの客は私だけ。
停留所を三つぐらい行った所でようやくおばさんが一人乗ってきたぐらいで、
東京にいるのに気分は郊外のローカルバス気分でした。ものの15分ぐらいですが。
なんというか、別にこれだけのバスの乗車時間や乗換えの時間を考えれば、
歩いてもそんなに時間が変わらないという話もありますが、キニシナイ。
結局は歩くのがだるかっただけって話です。嗚呼、情けない。
これで夜には一人で酒に酔ってるんだからそりゃ腹も出るわな。
動くのがだるくなってしまったら後はもう中年への道まっしぐらです。
今月末の教育実習で部活に参加して後輩にしごかれて自己改革したいところ。

結局、バイクは無事に回復し、そのまま新宿まで試運転がてら走っていきましたとさ。
恐懼謹言。
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リフレッシュならず

2005年05月02日 | 二輪/四輪車とか
先日達成できなかったスタンプラリーを完成させるために、
バイクのメンテナンスも兼ねてドライバースタンド足立店へ。
暖かくなって、これからがツーリングには最適な季節でもあるし、
目の前にある大型連休も、バイトかと思いきや降って沸いたかのように連休ができ、
どうせなら遠出する前にしっかりと気になる部分は直しておこうと思ったわけです。
今日は午後から飲み会があるので、昼頃に出発したはいいものの、
メンテナンスで時間がかかることを考えるとちょっと駆け足な行程ですが、
まぁ、東京都内だけだから何とかなるだろうと思ったのが運の尽きでした。

足立には自宅から40分弱で到着し、パーツを見繕って作業を依頼します。
修理と担当してくれた兄ちゃんはなかなか気さくな感じの青年で、
今まで気がつかなかった部分などにも細かくアドバイスしていただき、
これなら安心だろうと、作業の間は待合室で漫画を読みつつ優雅に待っておりました。
待つこと一時間弱で問題もなく作業が終了し、最後のポイント一之江に向かうため、
颯爽とバイクに跨って環七へ走り出します。
バイクの走りの重要部分で、根幹ともいえるプラグを新品にしたので、
さぞかし快調に走ることだろうと期待しつつ、アクセルを開くと、
その願いもはかなく、あっさりエンストというみっともない事態に。
エンストするなんて教習所以来ぐらいにレアな出来事なのですが、
おそらくパーツ交換後だから最初はこんなもんなのかな、と一人で納得し、
気を取り直して再び走行開始するも、やっぱり調子がおかしいんです。
マフラーからは今まで聞いたことのないような乾いた排気音がポコポコいうし、
スロットルを開いてもエンジン音はするのに加速せず、トロい軽トラ並みの加速。
信号待ちで止まって再び発進しようにも、またもやエンスト寸前のノッキングを起こし、
車のたくさん走る環七をこんな不安定なバイクで走るのは恐怖でした。
バイクの加速がいいと思っている私の後ろについた四輪乗りの方も、
音はけたたましくするものの一向に加速しないバイクを見て不審そうな有様。
自分自身も恐怖でしたが、車の流れを乱したことに関しては甚だ恐懼。

そんな故障バイクを何とか走らせ、30分ぐらいで一之江に到着。
もはや壊れかけのバイクに乗ってる以上はスタンプラリーどころではなく、
真っ先に店員に告げてバイクの調子を見てもらうことにしました。
さすがに店舗は違うといえども、その辺は快く承諾していただきました。
詳しく見てもらった結果、パーツの初期不良か作業ミスということらしく、
バイクを預かって無償で修理していただくことになりました。
さぁ修理でバイクを預かってもらうのはいいものの、帰りの足がないときた。
一之江は私の住む同じ江戸川区内とはいえど、自宅まで歩くにはちと遠いんです。
バイクでこそ10分ちょっとで到着するものの、徒歩では一時間ぐらいかかる感じ。
しかもこのバイク屋がある周辺には駅もなければバス停もなく、
飲み会まで残された時間がわずかであるのに、歩いて帰ることを余儀なくされました。
本来バイクが健康であれば、飲み会にも充分間に合う時間だったのに。
完全に計算違いということですね。予定は余裕もって立てなきゃなぁ。

時間の制約があるので、タクシーにでも乗ってやろうかと思いましたが、
さすがにそこで普段は金もかからないのに2000円近く使うのは癪なので、
この精神的葛藤の末、自らの足でひたすら歩いて行くことにしました。
バイク用のジャケットを着て一人虚しく歩くのは世間的にも滑稽なのですが、
この好奇の眼差しをただひたすら耐えて帰宅したのでありました。
飲み会まで時間がないために、ヘルメットで潰れた髪型を直す時間すらなく、
ボロボロの体で神保町まで電車で赴くことになりました。
しかもこのアクシデントのせいで昼飯を食べることができなかったので、
空腹で酒をたらふく摂取してグダグダになったのは言うまでもありません。

明日は同じ道を徒歩で戻ってバイクを取りに行かねばなりません。
何かしらの謝罪の意を形で示してくれ、と言いたいところですが、
実際に店員に会うと「あ、別にいいっすよ」と言ってしまいそうな自分。
ちなみにそんな瀬戸際でもちゃっかりとスタンプラリーの商品はゲット。
ツーリングに便利そうなライト付きFMラジオでした。たぶん使わないな。

恐懼謹言。
コメント (3)
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