東京の知人が京都に来ており案内をしています。今回は11/25の様子をご紹介します。
11/23が洛西でしたので今度は洛東に行ってみましょう。ベタな観光寺院は見て回った方ですので左京区鹿ヶ谷の和中庵・霊鑑寺・安楽寺を回ることにしました。銀閣寺の南にある鹿ヶ谷は京野菜の「鹿ヶ谷かぼちゃ」で知られた地です。
京都市観光協会のパンフですと京都駅から市バス5番で真如堂前か100番で宮ノ前町下車となっていますが、どちらも観光のピーク期には大量の積み残しが起きるわ渋滞でまともに動かないわで「避けた方がよいバス」です。ですので今回は地下鉄今出川駅から203番で錦林車庫下車としました。203番は積み残しが出ることはありませんし、主なルートである今出川通は渋滞になることは少ないためスムースです。さらに帰りが楽です(これは後ほど説明します)。京都の市バスと地下鉄は乗り継ぎ割引があり、現在はSuicaなどのICカードでも自動的に割り引かれますので混雑する京都駅前バス乗り場や観光系統(5・100・206など)を避ける方がスマートです。
錦林車庫から山手に歩くと哲学の道と交差します。さらに山手に行くと看板が出てきます。

まずは和中庵から。ノートルダム女学院中学高等学校が所有している昭和初期の建物です。ノートルダム女学院はアメリカのノートルダム教育修道女会が1952年に京都に開いたキリスト教系の私立学校で、京都では長年「ダム女」の通称で呼ばれるお嬢様学校です。土曜日のため生徒さんとすれ違いますが「何ちゃら46」のお嬢様風ではない本物感がありますよねhi
もちろん和中庵の入口は学校の校舎とは入口は別(学校の入口には警備員がいました)になっています。

和中庵は1928年に実業家の藤井彦四郎が完成させた邸宅です。藤井彦四郎は近江五個荘の出身で「スキー毛糸」で大きな財をなしたそうです。スキー毛糸は長らく藤井の会社が販売していましたが2000年に会社が経営破綻、ブランドを売却し別の会社が現在も販売しています。
戦前は賀陽宮殿下がお気に入りになり何度も宿泊されたものの戦後になると空き家となり、布教の拠点を探していたノートルダム修道女会に譲られ、修道院となりました。この際に洋室は聖堂に、畳敷きの和室は板張りの居室に変えられ、その後2008年まで使用されました。老朽化のため解体される予定でしたがノートルダム女学院に移管され改修工事を受けて学校施設となっています。

洋館から見える紅葉もまた美しいですね。学校としても売りなのか一般公開と並行して学校案内のパンフの撮影もやっていました。我々は女の子を撮影できませんが現役の生徒さんがモデルで目の保養になりましたhi
今回紅葉は初公開でしたがなかなか素晴らしいです。
お次はすぐお隣の霊鑑寺です。

1654年に後水尾天皇が開いた臨済宗のお寺です。代々皇女が入ることから豪華絢爛な建物が残り「谷の御所」と呼ばれてきました。通常非公開ですが春秋には公開されます。

こちらは赤が映える絶好の見頃ですね。
歩いて2分で安楽寺です。

現在の形での創建は鎌倉以降と言われていますが、元は浄土宗の開祖・法然の開いた念仏道場が始まりのようです。ところが後鳥羽上皇の女官であった松虫姫・鈴虫姫が出家する騒動が起き、法然は讃岐に流刑、道場も閉鎖されました。その後再建されたのが現在の安楽寺のようです。この辺のいきさつは本堂で30分ごとにお話(10分ほど)がありますので是非耳を傾けてください。
安楽寺も時期を限り公開されています。書院からの紅葉はこんな感じ。

こちらはやや見頃過ぎの感じがしますね。

安楽寺には公開期間中限定となりますがお寺の中にカフェがあります。囲炉裏があったり畳敷きの小部屋があったりと席はバリエーションに富んでおり、好きなところでゆっくり過ごせるカフェです。
16時30分になりました。お昼からの半日コースですのでこれで終了となります。帰りは錦林車庫から。その名の通りバスの車庫があり、例えば出町柳や四条河原町、京都駅に向かう17番は全便が、行きで乗った203番も一部便はこの錦林車庫前が始発になります。つまり座れるのです。歩き回った後ですからメリットが大きいと思います。
最後に御朱印情報です。特記ない限り300円です。
和中庵:お寺ではないのでありません。
霊鑑寺:直書きでの対応。山門を入ったら見えてくる本堂で対応。
安楽寺:直書きでの対応。書院での対応。松虫姫・鈴虫姫のオリジナル朱印帳あり。
霊鑑寺は小学生1年か2年生くらいの女の子が御朱印帳の受け渡しをやっています。お父さんのお手伝いをしっかりやっていて墨書しているお父さんも嬉しいでしょうね。
今回の紅葉は以上になります。恐らく今日が見頃のラストかと思います。
明日はいただいた御朱印・御首題をご紹介して締めとしたいと思います。
11/23が洛西でしたので今度は洛東に行ってみましょう。ベタな観光寺院は見て回った方ですので左京区鹿ヶ谷の和中庵・霊鑑寺・安楽寺を回ることにしました。銀閣寺の南にある鹿ヶ谷は京野菜の「鹿ヶ谷かぼちゃ」で知られた地です。
京都市観光協会のパンフですと京都駅から市バス5番で真如堂前か100番で宮ノ前町下車となっていますが、どちらも観光のピーク期には大量の積み残しが起きるわ渋滞でまともに動かないわで「避けた方がよいバス」です。ですので今回は地下鉄今出川駅から203番で錦林車庫下車としました。203番は積み残しが出ることはありませんし、主なルートである今出川通は渋滞になることは少ないためスムースです。さらに帰りが楽です(これは後ほど説明します)。京都の市バスと地下鉄は乗り継ぎ割引があり、現在はSuicaなどのICカードでも自動的に割り引かれますので混雑する京都駅前バス乗り場や観光系統(5・100・206など)を避ける方がスマートです。
錦林車庫から山手に歩くと哲学の道と交差します。さらに山手に行くと看板が出てきます。

まずは和中庵から。ノートルダム女学院中学高等学校が所有している昭和初期の建物です。ノートルダム女学院はアメリカのノートルダム教育修道女会が1952年に京都に開いたキリスト教系の私立学校で、京都では長年「ダム女」の通称で呼ばれるお嬢様学校です。土曜日のため生徒さんとすれ違いますが「何ちゃら46」のお嬢様風ではない本物感がありますよねhi
もちろん和中庵の入口は学校の校舎とは入口は別(学校の入口には警備員がいました)になっています。

和中庵は1928年に実業家の藤井彦四郎が完成させた邸宅です。藤井彦四郎は近江五個荘の出身で「スキー毛糸」で大きな財をなしたそうです。スキー毛糸は長らく藤井の会社が販売していましたが2000年に会社が経営破綻、ブランドを売却し別の会社が現在も販売しています。
戦前は賀陽宮殿下がお気に入りになり何度も宿泊されたものの戦後になると空き家となり、布教の拠点を探していたノートルダム修道女会に譲られ、修道院となりました。この際に洋室は聖堂に、畳敷きの和室は板張りの居室に変えられ、その後2008年まで使用されました。老朽化のため解体される予定でしたがノートルダム女学院に移管され改修工事を受けて学校施設となっています。

洋館から見える紅葉もまた美しいですね。学校としても売りなのか一般公開と並行して学校案内のパンフの撮影もやっていました。我々は女の子を撮影できませんが現役の生徒さんがモデルで目の保養になりましたhi
今回紅葉は初公開でしたがなかなか素晴らしいです。
お次はすぐお隣の霊鑑寺です。

1654年に後水尾天皇が開いた臨済宗のお寺です。代々皇女が入ることから豪華絢爛な建物が残り「谷の御所」と呼ばれてきました。通常非公開ですが春秋には公開されます。

こちらは赤が映える絶好の見頃ですね。
歩いて2分で安楽寺です。

現在の形での創建は鎌倉以降と言われていますが、元は浄土宗の開祖・法然の開いた念仏道場が始まりのようです。ところが後鳥羽上皇の女官であった松虫姫・鈴虫姫が出家する騒動が起き、法然は讃岐に流刑、道場も閉鎖されました。その後再建されたのが現在の安楽寺のようです。この辺のいきさつは本堂で30分ごとにお話(10分ほど)がありますので是非耳を傾けてください。
安楽寺も時期を限り公開されています。書院からの紅葉はこんな感じ。

こちらはやや見頃過ぎの感じがしますね。

安楽寺には公開期間中限定となりますがお寺の中にカフェがあります。囲炉裏があったり畳敷きの小部屋があったりと席はバリエーションに富んでおり、好きなところでゆっくり過ごせるカフェです。
16時30分になりました。お昼からの半日コースですのでこれで終了となります。帰りは錦林車庫から。その名の通りバスの車庫があり、例えば出町柳や四条河原町、京都駅に向かう17番は全便が、行きで乗った203番も一部便はこの錦林車庫前が始発になります。つまり座れるのです。歩き回った後ですからメリットが大きいと思います。
最後に御朱印情報です。特記ない限り300円です。
和中庵:お寺ではないのでありません。
霊鑑寺:直書きでの対応。山門を入ったら見えてくる本堂で対応。
安楽寺:直書きでの対応。書院での対応。松虫姫・鈴虫姫のオリジナル朱印帳あり。
霊鑑寺は小学生1年か2年生くらいの女の子が御朱印帳の受け渡しをやっています。お父さんのお手伝いをしっかりやっていて墨書しているお父さんも嬉しいでしょうね。
今回の紅葉は以上になります。恐らく今日が見頃のラストかと思います。
明日はいただいた御朱印・御首題をご紹介して締めとしたいと思います。