この出来事があってから、私は土筆に興味を持つようになりました。それまでにも、私は土筆自体は春に何度か見聞していました。多分最初は父に教えられたのだと思います。私がほんの小さい頃の外遊びの相手は父でしたから。少し成長したその後、子供同士の輪の中に入り遊ぶようになると、年長の子の指導で土筆の生える場所に皆で行き、そこで摘んだり何やかやして遊んだ記憶があります。土筆は春の風物詩でしたから、子供達にとっても季節を知り、恩恵を受けるよい野の植物でした。
何度か春を迎える内に、私は様々な土筆の容姿を知りました。かなり成長して穂先が開き、茎もかさかさして乾燥したような状態の物から、土に埋もれているようなかなり小さな固い芽のような土筆まで、あらゆる成長過程の土筆を見知ったのでした。
「ツクシ誰の子スギナの子゚」
毎年そんな言葉を言っては、土筆はスギナの子なのかと、年長者を困らせる質問をする年少者が大抵仲間の輪の中に1人はいたものです。そして、その時の大抵の年長者は
「違うだろう。」
と少し考えて結論付けると、スギナはあれだし、土筆はこれだし、生えている場所も違えば色も形も全然違う。土筆が育ってもスギナにはならないよ。育つと枯れてしまうだけだ。スギナは夏が来ても緑で青々してる。と事も無げにスギナと土筆が別物である事を断定するのでした。
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