Jun日記(さと さとみの世界)

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うの華 番外編7

2024-11-01 10:06:32 | 日記
 「もうその辺にしたら如何です。」

子供相手に少々大人気ないでしょう。若そうな男の人の声だった。姉妹達は怪訝に思った。声のした家は長く空き家で、誰も住んでいなかったのだ。一瞬通りはシンとした。が、余計な口を挟むなと、姉も参入。更に姉妹は鼻息も荒くなり、向かいの窓の奥にいるらしい人物に代わる代わるに苦言を呈した。引っ越して来たらしい新参者に、あなたにこの近所の子等の事は分からないと突っぱねた。

 「そうでしょうか、私だからこそ分かります。」

彼は姉妹に応じた。この近所の子だけで無く、貴方達姉妹の事も、私はよく存じておりますよと男性はにべも無い。姉妹は妙に感じたが、悪ガキを庇護する態度のこの男性の様子が気に食わない。顔も見せずに何様だと詰ると、彼女等の矛先は、向かいの家の二階の窓の奥、姿を見せない男性に向かった。すると、一階の開き窓が大きく開いて、姉妹の兄が姿を見せた。

 「二人共いい加減に止めませんか。声を聞いて彼が誰か分からないの?。」

兄は妹達に言葉を掛けた。彼の声には愉快そうなニュアンスが含まれていた。「この家もそうだし、この家から声を出す男の人といえば、…。」と、彼はクイズの様な言葉を妹達に投げ掛けた。「二階にいる男性は誰でしょう?。」。

 姉はハッとした。住む人もなく長らく空き家になってはいたけれど、大きなお屋敷ともいえる趣を兼ね備えた家だ。そこにはかつての職業軍人、その家柄を代々引き継いで来たという、この土地でも有数の士族一家が住んでいた家だった。それも今は昔、跡取りが戦死し、男系の家系が悉く絶えると、残された一家は離散して移り住み、今は売りに出されて久しくなっていた。

『もしや、…そうかも。」

姉は思い出した。町内の余興で金色夜叉のお芝居をした時に、この家の跡取り息子と貫一お宮で共演した時の事を。『あの声、そうだ、澄ました青年風に気取ってやると、あの人は笑ってそう言って演じていた。』そうだ、あの声だ。姉は懐かしそうに遠くを見つめ、そして直ぐに嬉しそうに目を輝かせた。『あの人は、帰ってきたんだ。』。

 出征してから無事の帰還を待ち焦がれて、遂に彼が戦死したと通知が来たと聞いて悲嘆に暮れ、彼の家族が去り、ひっそりとした目の前の家を虚に眺め、もう今はと諦め掛けて、巷で戦死の通知が来ても、生還してくる人が何人か有ったと聞くに及ぶと、自分の彼ももしかしたらと希望を持ち、それでも現在になると戦後十五年以上が経つからと、彼のことはキッパリ諦め、自分の未来に希望を繋ごうと思い立った矢先の事だ。

 「彼は帰ってきたんだ。あの声は彼の声だよ。」

お向かえのお兄ちゃん。と、姉は妹の服の裾を引いた。確かにあの声だ、確かに彼だよ。姉の心には感無量の喜びが湧き上がった。「早く、早く向かいの家に…。」姉は妹を急き立てた。「お前の許嫁は帰ってきたんだよ。」