Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

1652回 「暑いけど」

2013-09-11 11:03:06 | アート・文化
暑さが、またぶり返してきました。
     「暑いけど」
 暑いけど
やはり秋の日差し
今年の夏は肩が凝って
結構ぼーっと過ごした夏だったなぁと
暑さ盛りの頃を思い出している
実りの秋の恵み多く受けて
ありがたさも一入の秋
出かけることも多くて
勿体ないほどの出費いつの間にか
もう秋だなぁとなんとなく待ちわびる文化祭
   (誰か誘ってくれないかしら

携帯番号変更

2013-09-10 18:29:13 | 日記・エッセイ・コラム
携帯番号を変更しました。
元の番号とメールアドレスに戻っただけですが、よろしくお願いしますね、お友達のみなさん
   「思えば、」
 父も最後に自分の携帯を持ったものだ
でも、知らなかったかもしれない
忘れてしまったかもしれない
そんな父の所有を最後にお仕舞い
片づけてしまうスマートホン


1651回 「それでも」

2013-09-07 20:00:18 | アート・文化
季節の梨や巨峰などの大型葡萄を目にして、秋も本番と感じる涼しさです。
暑い時期から涼しい時期へ、一気に来たせいか気持ちが沈みがちです。
     「それでも
 意味のありそうなそれでも
やっぱり成し遂げないとと思うそれなりの結果を
少々気の乗らぬ本心のありながら
早めに決めたいと思うのも本心
急がば回れというけれど
回り回って回り過ぎだから急ぎたい
回る時間のあればよいけど
それでも気になる
ほんとにほんとの真実は如何なんだろう?

2013-09-04 08:32:03

2013-09-04 08:32:03 | インポート
 昨晩今朝と涼しい日です。
気がつくと台風が来ているのですね。秋を感じる気候です。
窓を開けると虫の音が聞こえ、これはもうコオロギの声が交っているのかと思うような涼しい音色でした。
     「秋の音に」
 秋の音に読みかけの本を手に取ると
まだまだ先の長い本
読みたい本の多くありながら
読まずに過ぎてしまった年月の長さが
勿体無くて勿体なくて埃の内
まだまだ見たりない映画
見たい映画の多くありながら
見ないで過ぎてしまった月日の長さが
勿体なくて勿体なくて躊躇の内
まだまだ聞きたりない言葉
聞きたい言葉の多くありながら
聞かないで過ぎてしまった日々が
勿体なくて勿体なくて焦燥の内
本、コンセント、キーと
どれもどれも手に取りたくて
どれもどれも足早に駆け抜けて行きたい
しめやかに穏やかな秋の口

突然の訃報

2013-09-03 22:19:42 | 日記・エッセイ・コラム
驚き!といってよい訃報を目にして、共に記事にあった写真も懐かしく、ちょうど私達が研修に行った年代に近いせいもあって、恩師の先生方もみな記憶にある御顔でした。
そう、恩師の先生の一人が今年逝去されたという記事でした。
当然父のことを考え、亡くなられた日も父の翌月と近く、何かしら感じずにはいられませんでした。
しかも私の好きだった古典のゼミが最後の講義で卒業した先生でした。
ゼミ形式の講義は、古典を原書で読むというもので、井原西鶴の「世間胸算用」をやりました。江戸時代の仮名は難解で、読みこなすのも訳すのも大変だったものです。
すんなりとは読めない訳せない、そんなゼミ風景でした。
でも、私は元々好きな古典ということで、なんとか自分の力で読み訳したいと頑張った、そんな前向きで明るい記憶があります。
訳を間違えた時、「この時代はまだ昔と同じ訳です」とアドバイスを受け、ああ、と思い出し正しい訳に直せました。
先生のヒントに気が付いた事が嬉しかったのと、江戸時代になってもまだ平安時代と同じ使われ方をしていた言葉にとても驚いた記憶が鮮明です。
時を経てなお生きている古典、そんな言葉が愛おしく、日本人の生活の営み、感情の流れが古今そう変わらないという親しみ、よく言われるように日本人に生まれてよかった(オーバーです)、そんな不思議な嬉しい感覚、私が古典を読んで味わっていたのはまさにそのような人々の喜怒哀楽の感情でした。
現在でも共有できる感情の流れ、人情の機微にふれる楽しみ。
お亡くなりになられた先生とは入学以来、よく朝夕登校下校の道ですれ違ったものです。
専門の担当先生の顔はよくわかる学生のこと、必ず挨拶しましたが、先生の方は何かお有りになったことがあるのでしょう、まったく無視、挨拶などされませんでした。
ここで、私もまた、自分の先生だからと、先生の無視を全く無視して、毎回「おはようございます」「さようなら」時には「こんにちは」ときっちり挨拶しました。
すると、十回もする頃には、先生も挨拶してくださるようになりました。
と、いうようなエピソードがあり、講義以外は直接お話ししたことがない先生でしたが、なじみ深く、お顔もよく思い出すことができます。
まったく、写真の通りの昔が今に、そう思うと自然と目頭も熱くなるというものです。
ご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします。
また、母校の益々の発展と栄達を願っております。