驚き!といってよい訃報を目にして、共に記事にあった写真も懐かしく、ちょうど私達が研修に行った年代に近いせいもあって、恩師の先生方もみな記憶にある御顔でした。
そう、恩師の先生の一人が今年逝去されたという記事でした。
当然父のことを考え、亡くなられた日も父の翌月と近く、何かしら感じずにはいられませんでした。
しかも私の好きだった古典のゼミが最後の講義で卒業した先生でした。
ゼミ形式の講義は、古典を原書で読むというもので、井原西鶴の「世間胸算用」をやりました。江戸時代の仮名は難解で、読みこなすのも訳すのも大変だったものです。
すんなりとは読めない訳せない、そんなゼミ風景でした。
でも、私は元々好きな古典ということで、なんとか自分の力で読み訳したいと頑張った、そんな前向きで明るい記憶があります。
訳を間違えた時、「この時代はまだ昔と同じ訳です」とアドバイスを受け、ああ、と思い出し正しい訳に直せました。
先生のヒントに気が付いた事が嬉しかったのと、江戸時代になってもまだ平安時代と同じ使われ方をしていた言葉にとても驚いた記憶が鮮明です。
時を経てなお生きている古典、そんな言葉が愛おしく、日本人の生活の営み、感情の流れが古今そう変わらないという親しみ、よく言われるように日本人に生まれてよかった(オーバーです)、そんな不思議な嬉しい感覚、私が古典を読んで味わっていたのはまさにそのような人々の喜怒哀楽の感情でした。
現在でも共有できる感情の流れ、人情の機微にふれる楽しみ。
お亡くなりになられた先生とは入学以来、よく朝夕登校下校の道ですれ違ったものです。
専門の担当先生の顔はよくわかる学生のこと、必ず挨拶しましたが、先生の方は何かお有りになったことがあるのでしょう、まったく無視、挨拶などされませんでした。
ここで、私もまた、自分の先生だからと、先生の無視を全く無視して、毎回「おはようございます」「さようなら」時には「こんにちは」ときっちり挨拶しました。
すると、十回もする頃には、先生も挨拶してくださるようになりました。
と、いうようなエピソードがあり、講義以外は直接お話ししたことがない先生でしたが、なじみ深く、お顔もよく思い出すことができます。
まったく、写真の通りの昔が今に、そう思うと自然と目頭も熱くなるというものです。
ご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします。
また、母校の益々の発展と栄達を願っております。