昔懐かしい映画を見に行ってきました。
懐かしいといっても現代の俳優陣での配役になっています。
子供時代によく見たテレビ番組です。ところどころ見覚えのあるシーンがあります。
シーンというよりは内容、話の設定なのですが、ああこんな話のところがあったと思いだす?合点するのです。
休日、1人で行って鑑賞していました。見終わってふと寂しく感じたのは、1人で見ていたからですね。
この1人というのが、自分でもすぐに気付かなかったのですが、1人きりで見ていたからというより、昔両親と見ていたのが今は1人、それよりも、父と2人で見ていたのが今は1人、突き詰めると、親子で見ていたのが子の私だけ残って見ているという、そんな喪失感を伴った孤独感だったわけです。
さて、もし自分の子供と共に来て観ていたならば、と考えてみました。
さて、もし自分の子供と共に来て観ていたならば、と考えてみました。
確かに孤独ではなかったと思います。でも、心の隅に一抹の寂しさを感じて不思議に思ったことでしょう。
この寂しさはどこから来るのだろうか?と戸惑っただろうと思います
現代的な子供と古い人間の私の感じ方の違い。年齢から来るギャップだと考え、親子でも話が合わない寂しさなのだと感じただけかもしれません。
そして、子と2人だと話に気を取られてそう気にも止めずに過ぎてしまったかもしれません。
いや、やはり私はこの不思議な寂しさについて疑問に思い、あれこれと考えてみたことでしょう。
そして、親を失った喪失感がこんな所にも寂しさとして現れてくるのだと、自分の人生のピリオド、大きな屈線、区切りというには大きな、思い描いてみたこともない道の折れ角を、先を二線途中の図として思い浮かべたのでした。
しかも、この道の屈線は映画館にいた時にすでに思い浮かんだものでした。イメージというのは考慮以前に浮かぶものなのですね。
昔の面白い作品をリメイクして、それを懐かしく見る昔の人が、懐かしいという他にこんな一抹の不思議な寂しさ感じることを、誰か想像するでしょうか。誰か想像しないでしょうか。