2016.3.6(日)
山元加津子さんと知り合いになったきっかけは、このブログのコメント欄に「ネパールの地震で壊れる前の建物の写真が欲しい」と入ったことからでした。
山元さんはつい2年前まで石川県の養護学校の先生をしていらっしゃいました。
学校に勤めるかたわら作家活動をし(既に30冊も!?発刊)、全国を飛び回って講演会をこなし、お仲間の作ったドキュメンタリー映画3本にも出演したりの生活を30年以上も続けてきたということです。
今は脳幹出血で倒れた元同僚・宮ぷーという愛称の方のお手伝い(リハビリ)をするために2年前に退職、毎日その方のところに通っていらっしゃるそうです。
ということで、現在、本業は作家と講演会の講師、それに毎日の 宮ぷー のリハビリ・・・、それと今回ご自身初監督の映画製作をなさっているとのこと(ここに私の写真が2,3必要だったようです)。
小さな体でなんと忙しい日々を送っていらっしゃることでしょう・・・。 私などとは比べ物にならない忙しさと頭の使いよう・・・ 非凡な才能とパワーをお持ちです。
そんな方ですが、人の頭を柔らかくする術をもっていらっしゃって、私は彼女のことを「かっこちゃん」と呼ばせて戴くようになりました。(養護学校時代から生徒さんもみんなそう呼んでいたとのことで)
で、私のことも通称の「junjun」でいい・・・ということになりました。
前置きが長くなりましたが
6日の日曜日、私の家からもそう遠くない都内・江東区にある東京海洋大学で講演会があるというのでお伺いしました。
メールではかっこちゃん、junjunと呼び合いながらお会いしたのはこの時が初めて。
会場の東京海洋大学は京葉線の越中島(えっちゅうじま)駅を出てすぐのところにありました。
大学の歴史もかなり古くこんな建物が2棟、目に入りました。
なにかな~ と思ってみるとちゃんと説明がありました。
1903年(明治36)に作られた、当時東洋一と言われた天体望遠鏡を備えた赤道儀室と呼ばれる建物とのこと。
講演会はこの赤道儀室のある構内ではなく道路を一つ隔てた別の敷地の 85周年記念会館 というところでした。
まだ細い木の河津ザクラが咲いていました。
この講演会は学生さんが主催したもので、かっこちゃんは「若い学生さんが聞いて下さるのはうれしいこと」と言っていました。
若い方のヒップホップダンスや手話での歌なども聞かせて頂きました。
それに優日(ゆうか)さんという歌手の方の歌も聞かせて頂き
そのあとが今日のメインのかっこちゃん(この場では山元加津子先生)の講演でした。
内容は長年養護学校で仕事をしてこられた中で出会った子供さんたちのホントーにいい話や脳幹出血で医師からは「回復の見込みのない植物人間」と宣告された “宮ぷー” が今では一人暮らしをするまでになったこと、その手伝いをするために学校を辞められたことなど心にしみるお話でした。
涙もろい私は涙なしには聞けませんでした・・・。
もしお暇がありましたら 山元加津子さんの本 を手に取って頂けたらと思います。
終了後集合写真を撮り、17:00から交流会が行われるということでしたが、私は翌日の仕事のためにそれには参加せず早めに会場を後にしました。