junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

とねるず 関東鉄道常総線 中妻

2016-09-28 18:14:29 | とねるず
 2016.9.25(日)

関東鉄道 常総線 中妻駅 10:00 集合。 とねるず232回目の例会です。

中妻駅も無人駅。 


アスファルトのすき間に咲くサフィニア。 種が飛んで咲いたのでしょうね、けなげ・・・。
            


駅を背にして歩き出すと左の駐車場のところがもう霊山寺(りょうぜんじ)。 



霊山寺には裏から入り本堂前にまわりました。(霊山寺の霊の字は 雨冠の下に口が3つ、その下に王のある難しいもの)


こちらが霊山寺正面入口でした。



霊山寺を出て西に進むと目の前に 寺前子育て地蔵尊 の大きな案内が見えました。 


大師堂 とあります。 すぐ横(左手)はもう鬼怒川の土手。


       大師堂の後ろにある石仏には宝永3年(1706)銘のものもあります。
           


しばらくは土手上を歩きましたが、日差しも強く日陰に入りたいと、下り道を選びました。 土手にはたくさんのヒガンバナ。これまでにもたくさん見られました。


土手沿いに古そうな神社(熊野神社)があります。手前右手に 後宿公民館 がありましたが、特に説明はなく、由緒などはわかりません。 手前の銀杏の木もかなりの太さですのでそれなりの年代のものと思われます。


日陰を求めてせっかく土手から下りたのですが、そのまま進むと車の多い通りに出てしまいました。

草をかき分け又土手にあがることに・・・。

            


ここにきて土嚢がたくさん積んであるのが目に入りました。今まで見かけたことはなかったような気がするのですが、この後、あちらこちらに積んであるのに気づきました。 昨年鬼怒川の氾濫があったばかりですからね。



すぐ先の水海道(みつかいどう(と読む))大橋を渡るのですが、そのたもとに諏訪神社がありました。

こちらには由来を彫ったりっぱな石碑が建っています。それによると天和3年(1683)の創建とのこと。


古そうな石仏もありましたが、銘を読むことはできませんでした。



水海道(みつかいどう)大橋。 車は有料だそうですが、歩く人や自転車の人は無料のようです。


橋の向こうに見える大きな工場は製紙工場(高砂製紙)でした。まわりに関連工場がたくさんあります。



工場先の十字路を右(北)に曲り、400mほど進んで左(西)に曲がるとまもなく通り沿いに八坂神社がありました。 ここで一休みし水分補給。 


ここにも古そうな石仏が並んでいます。 どこかに文政13年(1831)とあったのですが、お堂の外の8体はいつのものかわかりませんでした。

左の方には四拾八慣目と彫られた力石も見られます。



目指すは今日のメインの弘経寺(ぐぎょうじ)。 もう近いです。 家康の孫、千姫の菩提寺なのだそうです。

事務局を引き受けて下さっている青木さんが以前訪れたことがあり、勧めてくださいました。(茨城県には 弘経寺 が3つあり、ここは 飯沼の弘経寺 と言うそう。)

 
足もとにあったマンホールのふた。 梅にウグイス、それにサクラ、ケヤキでしょうか。
       

           お料理やさんの一角に咲いていたコルチカム。               
                
      後ろに見える田んぼはすでに刈り取りは終わり、ひこばえが伸びています。



いよいよ弘経寺(ぐぎょうじ)に到着。 山門横にたくさんのヒガンバナ!!



弘経寺山門  よく見かける四脚門などでなく普通の民家のような門なのであれっと拍子抜け。



振り返ると山門に続く参道がずーっと伸びていました。



山門を入ると、本堂と見まごう建物が。 これは開山堂? 薬師堂、経蔵などもあるらしいのですが、どれがどれか聞きそびれました。


広い境内の正面にあるこちらが本堂でした。



私たちラッキーなことに、ボランティアで本堂の案内をしていらっしゃるという上に写っている男性から、ちょうど前の方々を送り出したあとで、「よかったらご案内しますよ。」と声をかけて頂きました。

なんとうれしいこと! 喜んでお願いしました。 そうでなかったら、お賽銭を入れてちょっとのぞくくらいで帰ってしまったかもしれません。


弘経寺の正式名称は 寿亀山(じゅきざん)天樹院(てんじゅいん)弘経寺(ぐぎょうじ)といい、応永21年(1414)嘆誉良肇(たんよりょうちょう)上人の開基だそうです。


天正5年(1577)、下妻城主の多賀谷氏と小田原の北条氏の合戦に巻き込まれ、多賀谷氏が弘経寺に陣を張ったため戦火で堂宇を焼失、その後再建されたようです。それでも400年以上は経っていますね。


長年月の間には廃寺状態になってしまったこともあったとか・・・。

その昔はここで修業し、勉強した人たちが、全国の有名な寺院に散って行かれたほど格式の高い寺だったそう。 今は芝・増上寺の別院になっているそうです。
 

山号に亀がつくせいか手水舎(ちょうずや)には大きな亀がいます。
          


本堂正面の阿弥陀三尊像。(写真では小さく感じますが、実物はかなり大きいもの)

真ん中・阿弥陀如来、向かって左が勢至菩薩、右が観音菩薩。

見上げると、古そうな格天井(ごうてんじょう)。 


堂内、奥の廊下には千姫の系図や、生い立ちがパネルで展示されています。


幸せな晩年を送り70歳の古希を迎え天寿を全うされたとのこと。   

 
千姫も家康、秀忠、家光の三代が帰依した弘経寺第十世了学上人の影響をうけ、ご自身でこの寺を菩提寺にとお決めになられたそうです。



さらにさらに・・・ 

本堂だけでなくその奥の部屋にある大きな五大如来を案内して頂きました。
(撮影不可でしたので残念ながら写真はありません)

五大如来の位置は 真ん中に大日如来  左後(東)阿閦如来  左前(南)宝生如来 
右前(西)無量成就如来  右後(北)不空成就如来 ということです。

それにしても見事です!(像高はどれも2.5mくらいかと)見ただけではわかりませんでしたが、乾漆像だそうです。 

建物も、床、柱等修復はしてありますが、古いものが磨かれたり、ウルシが塗られたりとで現存しているのがすごいです!

仏像以外にもご位牌など廃仏毀釈の憂き目にあい、うずもれていたものを見つけ出して磨いてみると、千姫やゆかりの方々のものということがわかり、今はきちんと整備され、保存展示されています。


機会がありましたら、ぜひ案内をお願いして拝観なさってはいかがでしょう。 桜のころは又格別と思われます。


40分ほど案内をして頂いた後、御礼を述べ本堂を出ました。


ちょうど昼食時間になりましたので、場所探しをしながら本堂の裏にも回ってみました。
                

結局、本堂の右手の方で食事をさせて頂くことに。 本日の参加者はこちらの3人と私の4人です。


昼食を摂ったところから市の天然記念物になっているという杉の木が見えました。 樹齢は書いてありませんでしたが開基のころからあったようですので、600年以上はたっているかもしれません。高さは33mあるそうです。

根元はこんな太さ。 


千姫ゆかりの寺院ですので、葵のご紋もあちこちにあります。



昼食後、千姫のお墓にお参りをしました。


後ろの墓地の方に行くと、木彫りの鬼瓦?が保存されていました。 一部銅版と思われるものがついていますが、すっぽりきれいにというわけではないので、これではそのうち朽ちてしまうのでは・・・と心配です。




帰りは、朝集合した一つ手前の駅、北水海道に向かって歩くことにしました。


来た時は寺の横からやってきましたが、帰りは正面の参道を通って帰ることに・・。


ツルボが咲くのもこの時期でしたね。
           


途中、水海道大橋に続く道路の下のトンネルをくぐるのですが、こんなかわいい絵が描かれています。


壁や塀の落書きが問題になったりしていますが、こんな絵なら大歓迎ですけれどね。



トンネルを抜けた林のふちにきれいなミズヒキが咲いていました。



少し行くと、白菜の植え付けをしている方がいらっしゃいました。


その畑にあったこれは、小豆だそうです。 花が黄色だったなんて・・ 見た記憶がないような。



畑の奥さまとお別れし、午前に通った製紙会社を反対方向から歩き、朝渡った水海道大橋に向かいます。


この消火栓のふたはあちこちで見かけますね。(全国共通?)
         



北水海道駅に近くなってから見かけたマンホールの鳥は「ウグイスかしら?」といいながら、通りかかった地元の男性に聞いてみましたがわからないとのこと。
                  


北水海道駅に着いたのは14:30分過ぎだったかもしれません。 20分ほど待って、やって来た電車に乗り、家路につきました。