2018.11/29(木)~12/7(金)
20度目のネパール訪門をしてきました。
春・秋と年2回は行きたいと思っているのですが、都合で行けないこともあります。
今年も春から夏にかけていくつか他の予定が入って春は伺えず、約1年ぶりの訪問となりました。
ここ数年ずっとお世話になっていた銀杏旅館の長女ミナちゃんが12/15日の結婚式を控え、とても忙しいのと、ミナちゃんが友人と共同でカトマンドゥにお店を開くとかで、その準備でも忙しそうでした。
さらにさらにみんながお父さんと呼んでいる銀杏旅館の主の筋田さんのがん治療のためタライの病院にも同行するということで(2泊3日)、とてもミナちゃんの実家のあるラムチェ村訪問の予定はとれませんでした。もちろんその山またむこうの山の上のグレ村にも行けませんでした。
ということで、あまりご報告することもないのですが、少しだけ・・・
2014年から始め2015の大地震をはさんだ建て替えもすっかり終わった銀杏旅館。
前から見ると・・・(ちょっとかすんでいますが)
かすんでいるといえば、銀杏旅館から良く見えるはずのヒマラヤが今回7日間の滞在で一度も見られませんでした。こんなこともありますので、ヒマラヤが見たいという人はよほど心がけがいいか、時期(普通だったらこの時期は良く見えるはずなのですが)を選ばないといけないかもしれません。
銀杏旅館では次女ラスミちゃんがボウダナート住まい、次男サロジ君は日本住まいなので、ミナちゃんの兄弟姉妹5人のうち3人と長男のお嫁さん(ウルミラちゃん)・子供(リョウマくん)のほかに、私が以前、学校修復でお世話になったメールダラの学校の管理人さんのお嬢さん2人(サルミラちゃん、パルミラちゃん)の計7人と筋田さんの古くからの友人の安部先生が支援していたというバサンティちゃんが今年の春ころから加わって8人、それに5人兄弟のお父さんとしてがんばっている筋田さんを入れてトータル9人で暮らす大家族になっていました。
メールダラの姉妹2人は来年4月ころには日本に行く予定とか、バサンティちゃんは今年から中学に通っているとのこと。
筋田さんは3年前に癌にかかり、良くなっていたと思っていたのですが、どうも再発したらしく抗がん剤治療後、体調が思わしくないとのことで、年明けには日本に里帰り、2月いっぱい日本で過ごすそうですがとても心配です。
サンガのバス停から銀杏旅館までは山道を登るのですが、なんと! 山道が石の階段に変わりつつありました。
上のほうを少し残すだけでもう少しで完成です。
木の枝が置いてあるところは前日作業のところ。そこはまだ通らないようにと枝が置いてあるようです。
毎日のようにこの山道を登り降りしましたが、階段になったらそれまで20分かかっていた登りが15分で登れるようになりましたので、やっぱり階段にする意味もあったのかなあと思いますが、ホンネを言うと私は前のままのデコボコした山道が好きですね~、ただし雨の日に登り降りしたことはないので地元の人やハイキングの人たちの気持ちとは別かもしれません。
銀杏旅館のまわりの家もどんどん新しくなっていました。
ここの家もあそこの家もあっちの家も・・・
屋上のわらボッチのように見えるのはとうもろこしです。
ラムチェ村にもグレ村にも、前回ハイキングの途中で会った人にも会いに行くことができないので(一人では危険かもしれないので)、一人で行動できることをして過ごしました。
銀杏旅館のあるサンガから片道1時間以上(時には1時間半)もかけてバスでカトマンドゥまで出、ネパール語の先生のところに行ったり、前々からの知り合いを訪ね歩いたりして過ごしていました。
途中の道路は私がネパールに行き始めたころに日本の支援で工事をしていた道路の拡張や整備でとてもいい道になっています。(カトマンドゥ~バクタプルまで)
カトマンドゥの街なかに一部、街路樹として合歓の木が植わっているところがありました。
バスが揺れたり、風で木が揺れているのでなかなかうまく撮れませんでしたが、カトマンドゥは今乾季のため緑の街路樹はほこりで真っ白になっているのですが、これはそれほどでもなくきれいな花を見せてくれていました。
私が初めてネパールを訪問したのが、2007年の4月でしたから今年で12年が過ぎたということになります。
2015年には大きな地震が起こりびっくりしましたが、町も村も少しづつ、ゆっくりと修復されつつあるように思います。 でもそれもほんの一部なのかもしれませんが・・・。
アサンチョークの野菜売りのかたがた(露天)の顔ぶれは12年前の顔もあったり、すでに見えなくなっている人もあったりです。(いつもの顔が見えなくなっているのはさびしいです)
この方は初めてお話ししたので写真を撮らせていただきました。次回お届けしなくては・・・。
香辛料を売っている間口半間ほどの家がずらっと並んでいるこの建物、いつも下ばかり見て歩いているらしくふと見上げると、まだひどい状態のままでした。びっくりです。
キランさんのお店がない!
タンヒティチョーク近くの寺院の本当の名前はカシ・スヤンブーと教えて下さったキランさんのお店がなくなっていました。
このカシ・スヤンブー寺院↓の前にキランさんのお店や紅茶を売っていた方のお店があったのに・・・
一年前には建て替えをしているなあと思ったのですが、新しくなったその建物はドアが閉まっていました。
左隣のシャッターの閉まったところに、地震後奥様もアクセサリーのお店を開いたというのにそれもありませんでした。 どちらも TO LET となっていました。
どうやらお店はやめてしまったようです。
キランさんのお父さんのころからこの近くに住んでいたらしく、このあたりのことをとてもよくご存知でいろいろ教えて頂いたりしたのですが、いつ行っても会えたものが、いつ行っても会えないんだと思うと寂しくなりました。
変わらぬ景色
カトマンドゥ市内では12年前も今も全く変わらない風景があります。
それはこのおびただしいむき出しの電線(電話線?)
この光景は市内のあちこちで見られますが、これでもなんとかなっているのでこれでいいということなのでしょうね。
奇遇な出来事
私がカトマンドゥに出るため、銀杏旅館から山道を下りていき、途中、車の上がる道を横切るのですが、そこを下から上がってくるヨーロッパ人の二人連れがありました。
あら、この人どっかで会ったことがあるかな?と思ってじっと見つめてしまいました。 あちらのほうが先に思い出してくれ、3年前に会ったね~ と言ってくれました。
2015年、地震のあった年の秋にメールダラを一緒に訪問した、筋田さんとは古い付き合いのベルギー人のフランソワーズさんとエディさんのカップルでした!
その日の2時間後には筋田さんはタライに行くことになっていましたが、電話がつながらないので来てしまった とのこと。
今から上がっていけばまだ間に合うといって、写真を一枚撮らせて頂き私はカトマンドゥに向かいました。何とかセーフのお二人でした。
10秒でもずれていたら私は会うことはできなかった・・と思うと奇遇な出来事でした。お二人は山道のほうでなく車の通る道を上がっていくようでした。
別の日
近所でもめったに会うことはない銀杏旅館の近所のおじさんに2日続けてお会いしました。 かつて写真を差し上げたことがある方で、私のことを覚えていてくれて、ミナの・・・と声をかけてくれました。
おじさんはヤギに草を食べさせるために散歩をさせているところでした。
最初の日はあの石の階段の途中でした。
2日目は山道を登りきったモデルハウスのあるとことろでした。
こうして毎日行ったりきたりしていると村にも知り合いが出来て楽しくなります。これも写真が縁ですね。
新しい日本食レストラン「和み(なごみ)」
銀杏旅館に泊まりにきていたJICAの職員で、1年前からカトマンドゥに滞在しているという方から、「1年ほど前に新しくできた日本食レストラン「和み」がおいしい・・シェフは元おふくろの味のシェフだった人」と教えていただいたので「それならおいしいかも・・」と行ってみました。
路地を少し入ったところなのでわかりにくいかもしれませんが、私はすぐに見つけることができました。
2日続けて行くことになってしまったのですが、一日目に、厨房に山芋があるのを私が見つけ、「どこで買ったの?毎日のようにバザールで探していたけどなくって・・・」というと、「買っといてあげますよ」という話になり翌日もまた行くことになったのでした。
その山芋はお金は要らない・・・と無料で戴いてしまいました。(それほど大きくはないけれど3本も!)
写真はとらなかったのですが、筋田さんやミナちゃんがタライに行っているときだったので、サルミラちゃんがボイルしてくれたものをみんなでおやつに食べてしまいました。
肝心のお食事ですが、1日目は私のおなかの調子が悪く単品で、焼き鳥とあげだし豆腐を頂きましたが、これにも向こう付け、お汁粉のサービスが付きました。
2日目は肉じゃがセットにしました(右端の山芋のすりおろしは特別サービスでつけて下さったもの)。漬物はぬかづけでしたよ。
前日の焼き鳥や揚げげだし豆腐もすごくいい味でしたが、肉じゃがも味噌汁もほんとにいいお味、ぬかづけもちょうどいい漬かり具合でそれはおいしかったです。
向こう付けもサービスで付きましたが写真は撮り忘れました。たしか酢の物だったと(前日と違ったのでこれは日替わりのよう・・)。
ご飯と味噌汁はおかわりできるそうですよ!
ご飯だけは減らし頂きましたが、完食。 とにかくおいしかったです!!
最後のお汁粉も必ず付くそう。(これは私の作るものよりかなり甘さ控えめ。)
銀杏旅館では毎晩ネパール料理、おいしいのでつい食べ過ぎていましたが、外では日本料理でちょっと胃を休ませたのも良かったかもしれません。
ちなみに以前からあった おふくろの味 というお店は、昔、私が風邪を引いて食欲のないときに食べた酢の物が超おいしかったのですが(ほかの料理もおいしいかったですが)、一時閉店してしまい再開したと聞いてそこにも足を運んでみましたが、味が濃すぎて(特に味噌汁)以前とは雲泥の差、全く私の口には合いませんでした。
それもそのはず、かつてのあのおいしい日本料理を作っていたシェフが出て行ってしまって「和み」を開店したのですからね。
こんな一週間で、あまり実のないものでしたが、わたしはそれでもいいと思っています。ゆっくり、じっくり、カタツムリのようにアンテナを張って過ごすのが好きなので・・・。
以上で今回の報告を終わりにいたします。
20度目のネパール訪門をしてきました。
春・秋と年2回は行きたいと思っているのですが、都合で行けないこともあります。
今年も春から夏にかけていくつか他の予定が入って春は伺えず、約1年ぶりの訪問となりました。
ここ数年ずっとお世話になっていた銀杏旅館の長女ミナちゃんが12/15日の結婚式を控え、とても忙しいのと、ミナちゃんが友人と共同でカトマンドゥにお店を開くとかで、その準備でも忙しそうでした。
さらにさらにみんながお父さんと呼んでいる銀杏旅館の主の筋田さんのがん治療のためタライの病院にも同行するということで(2泊3日)、とてもミナちゃんの実家のあるラムチェ村訪問の予定はとれませんでした。もちろんその山またむこうの山の上のグレ村にも行けませんでした。
ということで、あまりご報告することもないのですが、少しだけ・・・
2014年から始め2015の大地震をはさんだ建て替えもすっかり終わった銀杏旅館。
前から見ると・・・(ちょっとかすんでいますが)
かすんでいるといえば、銀杏旅館から良く見えるはずのヒマラヤが今回7日間の滞在で一度も見られませんでした。こんなこともありますので、ヒマラヤが見たいという人はよほど心がけがいいか、時期(普通だったらこの時期は良く見えるはずなのですが)を選ばないといけないかもしれません。
銀杏旅館では次女ラスミちゃんがボウダナート住まい、次男サロジ君は日本住まいなので、ミナちゃんの兄弟姉妹5人のうち3人と長男のお嫁さん(ウルミラちゃん)・子供(リョウマくん)のほかに、私が以前、学校修復でお世話になったメールダラの学校の管理人さんのお嬢さん2人(サルミラちゃん、パルミラちゃん)の計7人と筋田さんの古くからの友人の安部先生が支援していたというバサンティちゃんが今年の春ころから加わって8人、それに5人兄弟のお父さんとしてがんばっている筋田さんを入れてトータル9人で暮らす大家族になっていました。
メールダラの姉妹2人は来年4月ころには日本に行く予定とか、バサンティちゃんは今年から中学に通っているとのこと。
筋田さんは3年前に癌にかかり、良くなっていたと思っていたのですが、どうも再発したらしく抗がん剤治療後、体調が思わしくないとのことで、年明けには日本に里帰り、2月いっぱい日本で過ごすそうですがとても心配です。
サンガのバス停から銀杏旅館までは山道を登るのですが、なんと! 山道が石の階段に変わりつつありました。
上のほうを少し残すだけでもう少しで完成です。
木の枝が置いてあるところは前日作業のところ。そこはまだ通らないようにと枝が置いてあるようです。
毎日のようにこの山道を登り降りしましたが、階段になったらそれまで20分かかっていた登りが15分で登れるようになりましたので、やっぱり階段にする意味もあったのかなあと思いますが、ホンネを言うと私は前のままのデコボコした山道が好きですね~、ただし雨の日に登り降りしたことはないので地元の人やハイキングの人たちの気持ちとは別かもしれません。
銀杏旅館のまわりの家もどんどん新しくなっていました。
ここの家もあそこの家もあっちの家も・・・
屋上のわらボッチのように見えるのはとうもろこしです。
ラムチェ村にもグレ村にも、前回ハイキングの途中で会った人にも会いに行くことができないので(一人では危険かもしれないので)、一人で行動できることをして過ごしました。
銀杏旅館のあるサンガから片道1時間以上(時には1時間半)もかけてバスでカトマンドゥまで出、ネパール語の先生のところに行ったり、前々からの知り合いを訪ね歩いたりして過ごしていました。
途中の道路は私がネパールに行き始めたころに日本の支援で工事をしていた道路の拡張や整備でとてもいい道になっています。(カトマンドゥ~バクタプルまで)
カトマンドゥの街なかに一部、街路樹として合歓の木が植わっているところがありました。
バスが揺れたり、風で木が揺れているのでなかなかうまく撮れませんでしたが、カトマンドゥは今乾季のため緑の街路樹はほこりで真っ白になっているのですが、これはそれほどでもなくきれいな花を見せてくれていました。
私が初めてネパールを訪問したのが、2007年の4月でしたから今年で12年が過ぎたということになります。
2015年には大きな地震が起こりびっくりしましたが、町も村も少しづつ、ゆっくりと修復されつつあるように思います。 でもそれもほんの一部なのかもしれませんが・・・。
アサンチョークの野菜売りのかたがた(露天)の顔ぶれは12年前の顔もあったり、すでに見えなくなっている人もあったりです。(いつもの顔が見えなくなっているのはさびしいです)
この方は初めてお話ししたので写真を撮らせていただきました。次回お届けしなくては・・・。
香辛料を売っている間口半間ほどの家がずらっと並んでいるこの建物、いつも下ばかり見て歩いているらしくふと見上げると、まだひどい状態のままでした。びっくりです。
キランさんのお店がない!
タンヒティチョーク近くの寺院の本当の名前はカシ・スヤンブーと教えて下さったキランさんのお店がなくなっていました。
このカシ・スヤンブー寺院↓の前にキランさんのお店や紅茶を売っていた方のお店があったのに・・・
一年前には建て替えをしているなあと思ったのですが、新しくなったその建物はドアが閉まっていました。
左隣のシャッターの閉まったところに、地震後奥様もアクセサリーのお店を開いたというのにそれもありませんでした。 どちらも TO LET となっていました。
どうやらお店はやめてしまったようです。
キランさんのお父さんのころからこの近くに住んでいたらしく、このあたりのことをとてもよくご存知でいろいろ教えて頂いたりしたのですが、いつ行っても会えたものが、いつ行っても会えないんだと思うと寂しくなりました。
変わらぬ景色
カトマンドゥ市内では12年前も今も全く変わらない風景があります。
それはこのおびただしいむき出しの電線(電話線?)
この光景は市内のあちこちで見られますが、これでもなんとかなっているのでこれでいいということなのでしょうね。
奇遇な出来事
私がカトマンドゥに出るため、銀杏旅館から山道を下りていき、途中、車の上がる道を横切るのですが、そこを下から上がってくるヨーロッパ人の二人連れがありました。
あら、この人どっかで会ったことがあるかな?と思ってじっと見つめてしまいました。 あちらのほうが先に思い出してくれ、3年前に会ったね~ と言ってくれました。
2015年、地震のあった年の秋にメールダラを一緒に訪問した、筋田さんとは古い付き合いのベルギー人のフランソワーズさんとエディさんのカップルでした!
その日の2時間後には筋田さんはタライに行くことになっていましたが、電話がつながらないので来てしまった とのこと。
今から上がっていけばまだ間に合うといって、写真を一枚撮らせて頂き私はカトマンドゥに向かいました。何とかセーフのお二人でした。
10秒でもずれていたら私は会うことはできなかった・・と思うと奇遇な出来事でした。お二人は山道のほうでなく車の通る道を上がっていくようでした。
別の日
近所でもめったに会うことはない銀杏旅館の近所のおじさんに2日続けてお会いしました。 かつて写真を差し上げたことがある方で、私のことを覚えていてくれて、ミナの・・・と声をかけてくれました。
おじさんはヤギに草を食べさせるために散歩をさせているところでした。
最初の日はあの石の階段の途中でした。
2日目は山道を登りきったモデルハウスのあるとことろでした。
こうして毎日行ったりきたりしていると村にも知り合いが出来て楽しくなります。これも写真が縁ですね。
新しい日本食レストラン「和み(なごみ)」
銀杏旅館に泊まりにきていたJICAの職員で、1年前からカトマンドゥに滞在しているという方から、「1年ほど前に新しくできた日本食レストラン「和み」がおいしい・・シェフは元おふくろの味のシェフだった人」と教えていただいたので「それならおいしいかも・・」と行ってみました。
路地を少し入ったところなのでわかりにくいかもしれませんが、私はすぐに見つけることができました。
2日続けて行くことになってしまったのですが、一日目に、厨房に山芋があるのを私が見つけ、「どこで買ったの?毎日のようにバザールで探していたけどなくって・・・」というと、「買っといてあげますよ」という話になり翌日もまた行くことになったのでした。
その山芋はお金は要らない・・・と無料で戴いてしまいました。(それほど大きくはないけれど3本も!)
写真はとらなかったのですが、筋田さんやミナちゃんがタライに行っているときだったので、サルミラちゃんがボイルしてくれたものをみんなでおやつに食べてしまいました。
肝心のお食事ですが、1日目は私のおなかの調子が悪く単品で、焼き鳥とあげだし豆腐を頂きましたが、これにも向こう付け、お汁粉のサービスが付きました。
2日目は肉じゃがセットにしました(右端の山芋のすりおろしは特別サービスでつけて下さったもの)。漬物はぬかづけでしたよ。
前日の焼き鳥や揚げげだし豆腐もすごくいい味でしたが、肉じゃがも味噌汁もほんとにいいお味、ぬかづけもちょうどいい漬かり具合でそれはおいしかったです。
向こう付けもサービスで付きましたが写真は撮り忘れました。たしか酢の物だったと(前日と違ったのでこれは日替わりのよう・・)。
ご飯と味噌汁はおかわりできるそうですよ!
ご飯だけは減らし頂きましたが、完食。 とにかくおいしかったです!!
最後のお汁粉も必ず付くそう。(これは私の作るものよりかなり甘さ控えめ。)
銀杏旅館では毎晩ネパール料理、おいしいのでつい食べ過ぎていましたが、外では日本料理でちょっと胃を休ませたのも良かったかもしれません。
ちなみに以前からあった おふくろの味 というお店は、昔、私が風邪を引いて食欲のないときに食べた酢の物が超おいしかったのですが(ほかの料理もおいしいかったですが)、一時閉店してしまい再開したと聞いてそこにも足を運んでみましたが、味が濃すぎて(特に味噌汁)以前とは雲泥の差、全く私の口には合いませんでした。
それもそのはず、かつてのあのおいしい日本料理を作っていたシェフが出て行ってしまって「和み」を開店したのですからね。
こんな一週間で、あまり実のないものでしたが、わたしはそれでもいいと思っています。ゆっくり、じっくり、カタツムリのようにアンテナを張って過ごすのが好きなので・・・。
以上で今回の報告を終わりにいたします。