2015.1.4(日)
1月2日、3日は箱根駅伝があるため午後2:00ころまでは家を空けられず、まだ初詣もしておりませんでした。
そこで今日は我が家から一番近くで、歩いて10分ほどの寺院にお参りすることにしました。
近くなのですが、いつもはバスか自転車で通り過ぎてしまうのとなかなか縁もなく40年もこの地に住んで今回が2度目の参詣です。
途中の歩道には数年前に?いつのまにか・・・張り替えられたタイルが埋め込まれています。 (東日本大震災の後かもしれません)
自転車で通る時、目にはしていましたが、カメラに納める機会がありませんでした。
習志野市の花はアジサイです。
昔話のタイルもいくつか・・・
30年前も歩道のタイルは斬新と思いましたが、その頃のタイルは今ではこんなふうに消えてしまっています。
バス通りだというのに排ガスにも負けず頑張ってきれいな実をつけたナンテン。 これも以前から目にしていましたが、写真に撮るチャンスがありませんでした。
実はだいぶ落ちたようです。
京成津田沼駅の近くにある東漸寺は真言宗・豊山派の寺です。
山門は2011年の東日本大震災の時に壊れてしまい、まだ修復できていません。
山門の手前・左手に六地蔵が祀られていました。以前訪れたのはもう20年以上も前かもしれず、そのときにはありませんでした。
山門を入った右手には習志野七福神の 福禄寿 が祀られています。
窓のすきまから中を覗いてみると3体の像が見えました。 写真に撮れたのは右の2体だけ。 どちらかが 福禄寿? 福禄寿ってこんなお姿でしたっけ!? 福禄寿は一番左のよく見えない物かもしれません。
本堂に向かって左手にある松も立派なものです。 松の下に小さく見える銅像は弘法大師のよう。
福禄寿のお堂(大師堂)の向かいにある鐘楼の彫り物、、本堂庇部分の彫り物、ガラス戸下部の、板戸部分の彫り物にも目を奪われました。
今回初めて、裏の墓地の方にもまわってみました。
すると、ピラミッドのように高く積まれた無縁仏の塔が二つもできていました。これはその一つ。
よく見ると、享保(1716-1736)や宝暦(1751-1764)の文字が見えます。 300年前にはあった寺なのでしょうか、聞く人もいなかったため確認はしていません。
しばらくして東漸寺をあとにしました。
近所の住宅の高い植え込みに咲くスイセン。
帰りは、いつも自転車で通るときに気になっていたバス通りの一本奥の細い道を歩いてみることにしました。
その道は東漸寺の後ろを通るようになっていました。
裏から見た東漸寺の墓地はかなりの広さがありビックリ。 バス通りからは全く見えない光景です。
裏通りで見かけたマンホールは、昔からあるごく普通のもの。
我が家からはすぐ近くだというのに、1時間半もかけてぶら~り回って帰ってきました。
いつもは自転車かバスで通り過ぎてしまうところですが、歩きでなければ見えない風景ってありますね。それもゆ~っくりでないと・・・。
1月2日、3日は箱根駅伝があるため午後2:00ころまでは家を空けられず、まだ初詣もしておりませんでした。
そこで今日は我が家から一番近くで、歩いて10分ほどの寺院にお参りすることにしました。
近くなのですが、いつもはバスか自転車で通り過ぎてしまうのとなかなか縁もなく40年もこの地に住んで今回が2度目の参詣です。
途中の歩道には数年前に?いつのまにか・・・張り替えられたタイルが埋め込まれています。 (東日本大震災の後かもしれません)
自転車で通る時、目にはしていましたが、カメラに納める機会がありませんでした。
習志野市の花はアジサイです。
昔話のタイルもいくつか・・・
30年前も歩道のタイルは斬新と思いましたが、その頃のタイルは今ではこんなふうに消えてしまっています。
バス通りだというのに排ガスにも負けず頑張ってきれいな実をつけたナンテン。 これも以前から目にしていましたが、写真に撮るチャンスがありませんでした。
実はだいぶ落ちたようです。
京成津田沼駅の近くにある東漸寺は真言宗・豊山派の寺です。
山門は2011年の東日本大震災の時に壊れてしまい、まだ修復できていません。
山門の手前・左手に六地蔵が祀られていました。以前訪れたのはもう20年以上も前かもしれず、そのときにはありませんでした。
山門を入った右手には習志野七福神の 福禄寿 が祀られています。
窓のすきまから中を覗いてみると3体の像が見えました。 写真に撮れたのは右の2体だけ。 どちらかが 福禄寿? 福禄寿ってこんなお姿でしたっけ!? 福禄寿は一番左のよく見えない物かもしれません。
本堂に向かって左手にある松も立派なものです。 松の下に小さく見える銅像は弘法大師のよう。
福禄寿のお堂(大師堂)の向かいにある鐘楼の彫り物、、本堂庇部分の彫り物、ガラス戸下部の、板戸部分の彫り物にも目を奪われました。
今回初めて、裏の墓地の方にもまわってみました。
すると、ピラミッドのように高く積まれた無縁仏の塔が二つもできていました。これはその一つ。
よく見ると、享保(1716-1736)や宝暦(1751-1764)の文字が見えます。 300年前にはあった寺なのでしょうか、聞く人もいなかったため確認はしていません。
しばらくして東漸寺をあとにしました。
近所の住宅の高い植え込みに咲くスイセン。
帰りは、いつも自転車で通るときに気になっていたバス通りの一本奥の細い道を歩いてみることにしました。
その道は東漸寺の後ろを通るようになっていました。
裏から見た東漸寺の墓地はかなりの広さがありビックリ。 バス通りからは全く見えない光景です。
裏通りで見かけたマンホールは、昔からあるごく普通のもの。
我が家からはすぐ近くだというのに、1時間半もかけてぶら~り回って帰ってきました。
いつもは自転車かバスで通り過ぎてしまうところですが、歩きでなければ見えない風景ってありますね。それもゆ~っくりでないと・・・。
只今修正致しました。
「時」があと2つ残っています。
境内もどちらかというと狭いので、あれほど大きな寺とは思いませんでした。
裏に回ってビックリです。
字の間違い、全く気がつきませんでした。 さっそく直しました。
寺を出た帰り道からは、「寺」が「時」になっています。