junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

ガイドのディネシュさん

2010-08-11 22:16:17 | ネパール
 街に出る前に、以後ずっとお世話になることになったガイドのディネシュさん(写真右)の紹介をいたします。


 
 フルネームはディネシュ・マハルジャンさんです。 私はいつも 「ディネシュさん、ディネシュさん」と呼んでいます。

 3年も経ってからディネシュさんは 「ディネシュさん」という呼び方はおかしい・・というのです。 私はすっかりその呼び方に慣れてしまったというのに・・・ 呼び名のことはこれから又相談して考えたいと思っています。
 

 ディネシュさんはとても真面目で礼儀正しい青年で、いつも約束の15分前には迎えにきてくれます。

 時にはデモ隊に巻き込まれ30分も遅れることもありますがそんな時は必ず電話を入れてくれるので安心して待つことができます。 ネパールのケータイの普及率も大変なものです。

 勉強家のディネシュさんはネパールの日本語学校で日本語の勉強をしガイドの資格を取ったとのこと。今でも毎日勉強しているそうです。

 我が家の娘たちよりずっと難しい日本語を知っていて、流暢な日本語でガイドをしてくれます。


 初めてのネパール訪問時の客は私一人だけでした。 大勢のツアーだとのろまな私はいつも後ろのほうでガイドさんの説明の半分は聞き落していたかもしれないけれど、この時ばかりはマンツーマン。 これはうれしいことでした!

 何せ見るもの聞くものすべて初めてのことばかり。 「えっ、それ何? どんなもの? 色は? 形は? 味は?」とうるさく質問するので 「うるさい客だな」と思ったかもしれません。 だけどいやな顔ひとつせず丁寧に答えてくれます。

 自分でわからないことがあると次に会う時までに調べてきてくれたり、著名な方に電話で確認してくれたりとそれはまぁよくやってくれます。

 日本語ガイドになる前は、中学校の教師をやっていたということと、歴史や文化に興味があると聞き、「勉強家」「教え上手」も納得でした。


 ディネシュさんはトレッキングのガイドもしています。
日本のお客さんの中に楽しい人がいて、40年前の日本のデモの歌を教えてくれたと私に聞かせてくれました。 デモはデモでも・・・♪♪♪ で~  ?

 ネパールでは学生デモがしょっちゅうで、そのため街は毎日のようにどこかで交通渋滞がおこり、運悪くそれにはまると車はそれが終るまで動けなくなってしまうのです。

 トレッキングでは何日も同じ人と一緒ですから、きっとそんな話が出たときに、その日本の方が40年前?に日本ではやったデモの歌を歌ってくれたのでしょう。


 ディネシュさんの夢は、「頑張って仕事をして、今まで自分を育ててくれ、事情があって教師を辞めた時も何かにつけ応援をしてくれた両親はじめ家族のみんなに恩返しをすること」だそうです。

 ネパールに生まれ、すばらしいご両親に育てられたことがうかがわれ、さすがにディネシュさんらしいと思いました。

 本当はもっと大きな夢もあるけれど恥ずかしいのでそれは内緒に・・・と言われました。 私は聞いているので知っていますけれど!


 そんなディネシュさんの悩みは日本からの観光客が極端に少ないこと。

 一年365日のうち仕事が入るのはわずか90日ほどだそうです。
ディネシュさんに限らず日本語ガイドの人たちはみんな同じ状況のようです。

 緊迫したニュース等が流れると、日本人は一斉に旅をキャンセルし、その後めっきり訪問が減ってしまうそうです。

 ヨーロッパの人たちはそんなときでもじきに訪問を再開し、ネパールの人々を元気づけてくれるという・・・。

 この違いは何なのでしょう・・・
国民性といわれればそれまでですが、国民性が変えられないものであるならば「個(一人一人の考え方)」を変えましょうか!?

 

両替時もご用心

2010-08-09 12:02:34 | ネパール
 二日目の朝食後、両替えをしなければとホテルのフロントに行った時のこと。

 若い女性でしたが、手元の15000円をネパールルピーに替えてもらったまでは良かったのですが、細かいお金も必要だからと3000ルピーを500ルピー札に替えてもらうことにしました。

 3000ルピーを500ルピー札にくずしてもらうわけですから、500ルピー札は6枚あればいいわけですが、5枚しか渡されませんでした。

 その場ですぐ気がついたのですぐに 「うっ? おかしい・・」と言って数えなおしてもらったらやっぱり1枚足りませんでした。 なんでもないかのようにすぐに1枚増やしてくれましたが・・・

 「あぶない・・あぶない・・」 すぐに気がついて彼女の目の前で言えてよかった! 皆様もご用心、ご用心。

 こんなことのあったホテルなのでホテルの名前は出せません。スタッフ全員がそんな人ばかりではないでしょうから・・・

 4回目の訪問までは(2年間も)両替えはホテルでするものと思っていましたが、よく見れば街なかには両替屋さんがいっぱいあるではありませんか・・・ さらによく見ると外の両替屋さんのほうがレートがグッといいのです。

 あ~知らないって何てこと!  3年目でやっと気がつきました。

 外の両替屋さんはどこもほぼ同じレートですが、一軒だけ少し奥まったところの両替屋さんで心持ちレートのいいところがありました。  

 たまたまそこはその時泊ったホテルへの通り道だったので毎日見ていて気がつきました。

 あれ以来両替えしてもらう時はいつもそれとなく目を皿のようにして一緒に数えるのが習慣になってしまいました。(笑)

 その後両替えは何十回としましたがあんなことは一度もありません。どこもみな親切です。


 参考までに… 

 2007年4月のレートは10000円で5500ルピーでしたが、年々徐々に円の価値が上がり、2009年10月には8300ルピーでした。(2012年にはなんと、10000円が11000ルピーにも!)

 ネパールのお金の価値の参考として、数年前には7000ルピーで家族4人が一ヶ月生活できたという話を聞きました。 物価が高騰した今(2007年)ではそれではとてもやっていけないということです。 (2010年には、12000ルピーでは厳しい・・という話を聞きました。)

 どこの国でもそうですが、生活費といっても家庭により全然違うかもしれませんので上を見ればきりがありませんが・・・。




ネパール 2日目

2010-08-08 23:14:03 | ネパール
2007.4/16(月) 

 昨夜は夜中の11時頃にネパールに着きましたので、今朝は日本をを発って2日目、ネパールに着いても2日目になります。

 昨夜のうちに時計をネパール時間にセットして寝ました。

 朝7:30分、昔々の小学校のなつかしい鐘の音(チリンチリン)で起こされました。あれは食事の合図なのだろうかと思いつつも全身に疲れが・・・

 ベッドの中でうだうだしているうち徐々に疲れもとれて8:00には起きることが出来ました。それでも4時間は寝られ、満足の目覚めとなりました。

 身支度、荷物の片づけをして9:00に食事のために1階(日本でいう1階:ネパールでは1階はGraundで日本の2階が1Fとなります)に降りてびっくり。
 
 レストランはヨーロッパ系の人でごったがえしていました。 そうか・・昨夜は夜中の到着だったのでみんな寝静まっていてこんなにたくさんのお客様がいるということに気がつかなかったのだ・・・。

 朝食はビュッフェスタイルなので好きなものが食べられるのでうれしい。ここのポテト料理はいつもとてもおいしかったです!

 食事を終えてロビーに戻ったら日本語も聞こえてきました。 みなさん大きなザックスタイルなのでトレッキングに行くらしいとわかりました。

 今日の予定は、疲れもあるだろうからと午後からの「ウォーキング カトマンドゥ・3時間コース」にしておきました。

 たっぷり時間があるのでノートの整理などをして過ごす私には好都合。 何よりトイレタイムもゆっくりとれるのがいいですね。 年配の方にはこのゆったりスケジュールがお勧めです。


  

上海からネパールまで 1日目つづき

2010-08-06 15:03:40 | ネパール
2007.4/15(日) 

 上海ではちょうど1時間くらい待ち、再度飛行機に乗り込みましたがなかなか出発しません。 こんな時も一人だと特別長く感じるのかもしれません。

 なんだかんだと再び飛び立ったのは20:00近かったかもしれません。(時計はまだ日本時間のまま)

 幸い私の列は三人がけのところ私一人だけ・・ ラッキー、ネパールまで横になっていけるぞ!

 さあこれから5時間半ほど寝て、目が覚めたらネパールだ。

 ところが3、40分うとうとしたら「お茶はいかが」と起こされてしまいました。

 熱いお茶がいいとお願いしたら冷たいものしかないという。それではとオレンジジュースにしました。 しばらくしたら熱いお茶も持ってきてくれました。 「なんて親切」と感心したものです。

 これで寝られるのかと思ったら、22:00少し前に、こんどは夕食が届いてしまいました。 眠いのが先だったのでほんの少しだけ食べてすぐ横になってしまいました。

 結局トリプヴァン空港(2009年春王制でなくなってからは”カトマンドゥ国際空港”)に着いたのは、私の時計で午前2時を過ぎていました。(ネパール時間では-3時間15分なので午後11時頃) 
 
 ビザは日本でとっておいたので入国審査は1番に通過。 でもでも・・・預け荷物がなかなか出てこない・・・結局外に出られたのは最後の方でした。

 ガイドさんと運転手さんにはすぐに会うことが出来ました。

 そこへ二人のネパール人が駆け寄ってきて、私の手に持っていたバッグと背からおろしたザックを目の前の車のトランクにホイホイといれてくれた・・・と思ったら、「1000円、1000円」と。「ありゃーしまった、やられた」。 すぐにスタッフではなかったことに気がつきましたがもう遅い。 寝ぼけた頭ながらも「あれだけで一人1000円は何ぼ何でも高すぎる」と考えられました。

 夜中の到着のことで両替もできていない・・・ 何かの時の為にと持っていた500円玉がいくつかあったのでそれを一人づつに渡してお引き取りいただきました。

 「待てよ、あれだけの作業で一人500円?」 日本との物価の差から考えて、かなり高額だったと気がついたのは大分後になってから。

 空港からホテルまでは20分くらいで着きました。 私の時計で午前3時近く(ネパール時間で夜中の12時近く)。 ガイドさんと翌日の打ち合わせをして部屋に入りました。

 幸いお湯が出たのでシャワーを使い、ベッドに入ろうとしたら停電になってしまいました。

 停電のことはよく聞いていたので驚きはしませんでしたけれど、懐中電灯の電池がセットしてなかったのは失敗でした。 暗闇で何とかセットすることができたので良かったですけれど・・・。

 以後、懐中電灯には、日本を出る前に電池を入れておくようにしています。



 余談ですが・・・

 500円玉はガイドさんと運転手さんにもあげてしまったのですが、2年もたった2009年になってから知ったこと・・・。 

 両替できるのはお札だけでコインは両替え出来ないと・・・。

 「じゃあ、あの500円玉はどうしたの?」と聞いたら、ガイドさんは「自分の部屋に飾ってある」 運転手さんは「人にあげてしまった」とのことでした。

 他の国でも同じなのでしょうか? 海外に出ることがほとんどなかった私は知りませんでした。


ネパールに向け・初一人旅 1日目

2010-08-05 22:20:38 | ネパール
2007.4/15(日)


 私が海外に出るのはこのネパール訪問が二度目。

 あとにも先にも海外旅行は10年以上も前に大学の同窓会で一回、香港に行ったことがあるだけなのです。

 心細くはありましたが、ネパールへ行けるという楽しみのほうが大きかったです。 


 2007年4月にはまだ関西空港からネパールまで、ネパール航空(当時はまだ王制の国だったためロイヤルネパール航空といっていたかそろそろロイヤルとは言われなくなっていたころか)の直行便がありました。 直行便といっても上海で一度飛行機を降り、空港待合室で1時間ほど時間待ちをして又乗り込むというものでした。

 残念ながらその年の秋には直行便はなくなってしまい、その後はバンコク経由や香港経由で行っています。

 朝5時に家を出て1番の飛行機で羽田から関西空港に向かい、関西空港に着いたのが8:30分ころ。 

 13:30分出発予定のネパール航空は2時間以上も遅れて15:45分頃になってしまいました。昼食時間をはさんでの2時間遅れということだったからなのか1000円のお食事券がもらえました。

 だが、この間の待ち時間、トータル約7時間の長かったこと。

 ラウンジで2時間、アーケードで1時間、予定通りならこれくらいの待ち時間で何とかなったはずですが、その先の4時間をどうやって時間をつぶそうか・・・ 本を読むにも目が疲れてしまうし・・・ 朝も早かったので頭もボーッとしてくるし・・・ 


 この時ばかりは、一人というのはつまらないものだと思ったものです。

 何とかぶらぶらしてチェックインの時間までを過ごし、早めにチェックインして搭乗待合室まで進んでしまうことにして・・・。

 搭乗口の前にあるたくさん並んだ椅子がガラガラだったので1時間ほど横になって休むことができました。


 このときの経験から、時間待ちをするときはいつもこの方法で休むことにしています。横になって休むとうそのように疲れがとれるのです。

 その後も、往復はずっと一人ですが慣れてしまうと気楽でいいかもしれません。

 朝5時に家を出てかれこれ11時間近くもたった15:45分頃ようやく関西空港からネパールに向け飛び立つことができました。 動き出すとすぐモーレツに眠くなり1時間ほどぐっすり眠ってしまいました。 間もなく遅い昼食がきましたが少しもお腹はすいていず全く食欲はありません。 少しだけ食べて又眠ってしまいました。 

 まもなく上海空港に到着。

 飛行機を降りてバスで空港待合室まで移動。 そこで1時間ほど待つということでした。 私は初めてのことで、乗り遅れてはいけないと心配でトイレにもいかず入口近くで待つことにしました。