junjunのはなまる日和&ときどきネパール

日々の暮らしとネパールのことなど・・・。

17度目のネパール ③グレの小学校めざして

2016-12-17 18:36:54 | ネパール
 2016.11.25(金)

朝7:00過ぎ、いよいよグレの小学校目指して出発です。

私と大学生のあやさん、それにこの村で育ち、村の隅々まで知り尽くしているというパンネくんの三人です。

(あとで聞いた話ですが、ミナちゃんも小さいころから薪を拾うためにけっこう歩き回ったので村の隅々まで知っているとのことでした。)


ところが、ブログを書こうとして、写真があまりないことに気がつきました。

私にとって山を登ることがあまりに大変で、写真を撮るどころではなかったのです。

ラムチェ村のミナちゃん、パンネくんの家の後ろに見える山の稜線に出るだけでホントに大変な思いをしました。

途中で一休みして見下ろしたところ。


やっと登りきったところで、パンネくんが 「あれがズガルヒマール」と教えてくれました。



ちょっと平らなところに出ました。

そこには大きな木があり、神さまとして祀られています。


稜線をさらに少しづつのぼり、途中、お坊さんが描いたというお釈迦様の絵の描いてある板石の置いてある休憩場所で一休み。ここまで来るのにもう何度休憩したことでしょう!


その先も少しづつですが、上り、のぼり、登り・・・


山には松がたくさん植えられています。

山は国の物だけれど、村で管理しているとのこと。


そしてやっと着いたところがチュルチェの小学校。 10時10分ほど前。 ここまでで約3時間も登ってきました。

こんなに登ってきた遠い山の上もラムチェ村の一部だそうです。

校舎の外見はそれほど痛んでいるようには見えないのですが、この校舎も使えないとのこと。


校庭から見えるズガルヒマールと村の風景。


昨日のうちに先生には連絡をしてあるとのことでしたので、30分ほど待ちましたが誰も来る様子もないので次の小学校グレに向かうことにしました。


ここから遠くに見える一つ向こうの山の上にあるのがグレの小学校です。(かなりズームしています)


パンネくんを知っている人たちが声をかけてくれたりしました。


又、別の方は 「お茶を飲んでいけ」 と熱心に言ってくださいましたが、「先を急ごう」 とお断りして通り過ぎました。

大変な思いをしながら歩いていても花には目が行きます。


             


山の上からはるか下の谷にサクラが見えました。


谷に下り切って見上げたヒマラヤザクラはホントにきれいでした。


ここから又登らなくてはなりません。 もう足がよたよたです。


谷から少し登って、上を見上げるとどこかで見たことのある風景。 

以前テレビで見たハニーハンターの番組だと、ピンときました。 

パンネ君に 「あれはハニーハンターの崖では?」と聞くと 「そうだ」 とのこと。


左上の方に半円形にぶら下がっているのが蜂の巣とのこと。 

あのハニーハンターの番組はこんなところまで来て撮ったのかと感心したものです。

私としてはこんなところでゆっくり休みたいところですが、同行者がいるとそうもいきません。休むことなくさらに登ります。

こんな山間の段々畑でもコド(ヒエ)が栽培されています。 

夜、動物たちに食べられないよう泊まり込みで監視するための小屋がところどころに作られていました。 

そうこうしているうちに集落と学校が見えてきました。 やっと目的のグレに到着です!!  12:00ころになっていました。


なんと、なんと遠かったことでしょう・・・。 


続きは次回になります。


17度目のネパール ②ラムチェ村の学校

2016-12-08 20:50:38 | ネパール

2016.11.23(水)

朝7:00過ぎに自宅を出、ネパールの銀杏旅館には夜遅く、現地時間夜中の0時ころ(日本時間;24日午前3:15ころ)に到着しました。 荷物を開いてラムチェ村に出発する準備をしてすぐにベッドに入りました。


2016.11.24(木)

ネパール到着2日目はラムチェ村へ。

8:30にラムチェ村に行くためのジープが迎えに来るというので、起床は7:00。
6時間くらいは眠ることができました。



途中、ドゥラルガルというところで、泊めて頂く間に必要な食料品(野菜、果物等)を買い込みます。

ラムチェ村の下の街バラビシェには12:00頃到着。 

以前はここでジープを乗り換えていたのですが、最近は馬力のあるジープでバラビシェから銀杏旅館まで迎えに来てもらう為乗り換える必要がなくなったとのこと。 この方が少々安く上がるとか・・・。


ラムチェ村到着。

先に、筋田さんが改めて支援をすることになったラムチェ村の学校に寄りました。

ラムチェ村の学校は筋田さんが10年前に支援をしていた学校ですが、3年支援した後、他の学校の支援に移りましたが、2015.4.25の大地震のあと、10年ぶりに改めてラムチェ村の学校の支援をすることにしたようです。


前回2015.11月に伺った時とあまり変わらない、仮設の建物が目立ちます。





学校では花輪(フルコマッラ)の大歓迎。




筋田さん、今回同行した大学生のあやさん、銀杏旅館の長男パンネくんです。


私も顔が埋もれそうに・・・。



すでに制服や衣類を何度かに分けて届けているため、子供たちはほとんど制服で学校に通っているようで、みんなこざっぱりしているように見えます。





今日の訪問はご挨拶だけ・・・。 

(翌日、私が青息吐息でヒーヒー言いながらチュルチェとグレの学校訪問をしてくる間に筋田さんは、来年支援する子供たちに制服やカバンを届けに行かれたということです。)


ラムチェ村の学校訪問の後、筋田さんと同居のミナちゃん・パンネくん姉弟の実家に移動。まだ仮設暮らしです。


昨年は見られなかったトウモロコシが、今年は屋根の下いっぱい干してありました。

昨年11月は、かまどの前は土のままで、雨が降ると滑りやすくて危ないと言っていましたが、今回は石が敷かれ、屋根もできていました。

私たちが首にかけて頂いた花輪はミナちゃんの実家でこんなふうに飾られました。

牛にも幸あれ・・・。







このあと、ミナちゃんの実家が村のモデルハウスになるという、建築中の家を見に行きました。 あと3週間くらいで出来上がるとのこと。 お客さまは2Fに、屋上にもテントで泊まれるようになるそうです。


以前の土地は狭かったので、ミナちゃんのおばあちゃんの土地を売ってもらったとのこと。

段々畑の一段に建てるため、2Fが道路と同じ高さになりそうです。そのため道路側から出入りするように造るらしいです。楽しみ。



標高の高いことがわかります。



あすは7:00出発ということなので夕食を食べて早くに休みました。

チュルチェとグレの学校のことは次回になります。 

週末には孫たちが来るというのでブログは書けません。 しばらく後になります。

 

17度目のネパール ①新たな支援に向かって

2016-12-06 19:05:19 | ネパール
 2016.11/23(水)~12/2(金)

今回のネパール訪問は、次に支援する学校の下見ということになるでしょうか。

以前支援していたメールダラの学校は大地震とそのあとのがけ崩れで校舎はすっかり取り払われてしまい、そこはすでに別の団体の支援で新しくなるらしいということですので、そこからは手を引くことになりました。

そのため、新しく支援する学校を探さないといけないな~と思っておりました。


もともと10年前に計画を立てたときから、10年で一校、できたらさらにその先10年でもう一校と思っていましたので、私としてはそう急ぐつもりはありませんでした。

ところが、地震のために身近に一つの候補がでてきてしまいました。(候補は数えきれないほどあるわけですが)

それは、私のお世話になっている、ネパールの子供を5人(現在は長男のお嫁さんとその子供を入れ7人)を引き取り、学校に出したり家で働いてもらったりしている銀杏旅館の筋田さんのブログにあった山の学校です。

資金の都合もあり、私も今すぐなにかができるというわけではないのですがとお断りをし、一応見ておきたい・・・と訪問することにしました。


筋田さんと同居の子供たちの実家のあるラムチェ村の学校↓の後ろに見える山のてっぺんまで登り、


さらに登って登って行った先のチュルチェの学校。


そこから谷までグングン下り、又、登って、登って、登ってようやくたどり着いた山のてっぺんにあるグレの小さな小さな学校です。



今回はそのことを書きたいと思います。

続きは又後日になります。