明治三十五年発行の 『鎌倉大観』 に 「鐵道踏切を越えて右の方二町
(220m弱)許の奥にあり」 と記されているのはこの石柱から先という意味
でしょうか。 石柱はかなり新しいものです。
『大観』 には明月院の章の前に 「管領屋敷跡」 とありその地名についての説
明があります。 室町時代、鎌倉公方の執事をつとめた山ノ内上杉氏の屋敷跡
であったからだといいます。
石柱から見ての通り人影が見えません。 30日の15時少し前の時間です。
たぶん半月も先の同じ時間でしたら人の背中 ・お腹で路面も見えなくなって
いるでしょう。 それと同じように境内もゆっりとまわることができました。
なかには咲いているものもあります、
全体としては、こんな様子です。
実はここまで 「つぶやく」 に3時間ほどかかりました。
一昨日と同じように凍結し、解凍をまちしばらくするとまた凍るの繰り返し
でいささかげんなりです。 とりあえずここまでで終えます、明日は明日の
風が吹くでしょう。