長谷川さんのテキストには「福井」について触れられていません。なにせ
100分間で古今東西の名著を語ろうという趣旨の番組のテキストですから
全面的に語れば内容が薄くなるでしょう。
長谷川さんがこのテキストで分かってもらおうとしていることは、表紙に
「人生はかるみだ。世界はたえず変化する。しかし永遠不変でもある。」
と大きく書かれている部分です。
それは最終の「大垣での別れ」について語るとき、まとめて論じられています。
ここ「福井」では「別れ」話でなく再会の喜びです。
このところの本文をあげておきます。
≪福井(ふくい)は三里(さんり)計(ばかり)なれば、夕飯(ゆうめし)したためて
出(い)づるに、
たそがれの道たどたどし。
ここに等栽(とうさい)といふ古き隠士(いんじ)あり。
いづれの年にか江戸(えど)に来たりてよを尋(たず)ぬ。
遥(はるか)十(と)とせあまりなり。
いかに老(おい)さらぼひてあるにや、はた死(しに)けるにやと人に尋(たず)
ねはべれば、
いまだ存命(ぞんめい)してそこそこと教(おし)ゆ。
市中(しちゅう)ひそかに引入(ひきいり)て、あやしの小家(こいえ)に夕顔(ゆうがお)・
へちまのはえかかりて、鶏頭(けいとう)はは木々(ははきぎ)に戸(と)ぼそをかくす。
さてはこのうちにこそと門(かど)を扣(たたけ)ば、侘(わび)しげなる女の出(い)でて、
「いづくよりわたりたまふ道心(どうしん)の御坊(ごぼう)にや。
あるじはこのあたり何がしといふものの方(かた)に行(ゆき)ぬ。
もし用あらば尋(たず)ねたまへ」といふ。
かれが妻(つま)なるべしとしらる。
むかし物がたりにこそかかる風情(ふぜい)ははべれと、やがて尋(たず)ねあひて、
その家に二夜(ふたよ)とまりて、名月(めいげつ)はつるがのみなとにとたび立(だつ)。
等栽(とうさい)もともに送(おく)らんと、裾(すそ)おかしうからげて、道の枝折(しおり)と
うかれ立(たつ)。≫
インターネットで「おくのほそ道」を検索すれば原文も現代文も読めます。
学生時代と違って、古文を現代文に訳す必要もないわけですから、文を味合っ
てください。
鹿児島の方言を聞いてみてまったく意味が分からなかったのですが、たいへ
ん面白かったのです。そのとき なにかで読んだことを思い出しました。
江戸時代幕府の隠密が各藩に内偵で入り込んでいたが薩摩藩に行った者でも
どって来た者がいない、というようなことを。
もちろん、薩摩藩の武芸の高さがそこにはあるでしょうが、薩摩言葉に通じる
ことができず、見破られてしまうということでした。
言葉は人と人を結ぶ、その心を結ぶものですから言葉そのものを丸ごと受け
入れたいものです。その人を、その地方(国)を、その時代をまるごと受け入れる
ように。