kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

方言の世界、お手玉の世界。

2014-06-12 21:24:18 | 「てんがらもんラジオ」

 どんな世界も広くて深いが、自分の理解はどの分野のことでもいい加減な

ところでとどまっています。今日の「てんがらもんラジオ」120回目ではそんな

ことを気付かせてもらいました。

http://www.ustream.tv/recorded/48677703 (120回放送)

 

 昨日の今ごろ、12日のゲストは「鹿児島お手玉の会」会長の方だということ

は分かっていたのです。「あのお手玉、その会の会長さん、それも男性」という

ようなのが、24時間前の我が心のつぶやきでした。

 お手玉といえば女の子の遊び、それも昔の話でという感じでした。どんな話

をするのかという軽い気持ちで聞いたのですが、これはかなり間違った理解

でした。

 まず、その歴史がエジプトから始まったので、え? それに聖徳太子の使った

お手玉には驚き、それもその時代は水晶の玉がお手玉になっていたとか。布製

のお手玉が出てきたのは江戸の中期だそうです。

 これを読んでるアナタ!こんなこと知ってました? これだけでも知る価値が

あります。 それは「おもちゃ」に対する理解を深めること、それを通じて「子供」

を正しく深く認識することに通じると思うからです。

 「おもちゃ」というと、「おもちゃにされた」とか「たかがおもちゃ」も「まるでおも

ちゃ」も粗末なもの、くだらない物を表現しています。そこには「玩具」に対する

蔑視といっていい気持ちが入っています。それはおもちゃが子供の遊ぶ道具で

あることを通じて子供に対する認識の問題につながっているのではないかと

考えました。

 同時に、山本会長の取り組んでいる高齢者へのお手玉競技の普及にも、お

手玉についての認識を改めさせられました。お手玉、たかがお手玉というので

はなく、なるほどお手玉でした。お手玉については来週も山本会長のお話が聞

けるので、その感想も含めてまた「つぶやき」たいと思います。

 

 向井さんの鹿児島弁は方言の世界の素晴らしさを短い時間でしたが堪能させ

てもらいました。何回も一緒に笑ってしまいましたが、笑いには方言はないので

すね。 

 前回の「かえるのうた」を鹿児島弁で歌ったらどうなるだろう、とも。 この歌はド

イツの民謡だそうですから鹿児島弁でも翻訳してもらえるでしょう。 それでも蛙の

鳴き声は同じになるでしょうね。