■奥の細道の旅 (6/7)
○現在地 敦賀に到着しました。
○次の目的地 色の浜
○次の目的地までの距離 51.0km
○次の目的地までの歩数 68,391歩で達成です。
前回(5/25)は全昌寺着で、次の目的地は永平寺でした。 この間PCの
不調などあり永平寺につぎ福井着も報告なしに来てしましました。
敦賀から色の浜(種の濱)までかなりの距離がありますし、このところ当
地も雨で歩くことがすくなくなっていますので、色の浜着まで日数がありそ
うです。 その間に、永平寺と福井について「つぶやく」ことにして、ここでは
長谷川櫂さんのテキストから「敦賀の部分」を記します。
≪芭蕉は中秋の名月の前日(旧暦八月十四日、敦賀に到着しました。
この夜はきれいに晴れて十四日の小望月(こもちづき)を仰ぐことができま
した。 芭蕉は月のあかあかと照らす気比(けひ)神宮にお参りしました。≫
この部分を「おくのほそ道」本文より。
≪~十四日の夕ぐれ、つるがの津に宿をもとむ。
その夜、月殊晴(ことにはれ)たり。「あすの夜もかくあるべきにや」
といへば、「越路(こしじ)の習ひ、猶明夜(なおめいや)の陰晴はかりが
たし」と、あるじに酒すゝめられて、けい(気比)の明神に夜参す。≫
十四日の夜のみごとな月のもとで、芭蕉が 「あすのよるもこんな風に
照るでしょうか」 と聞けば、宿の主は 「北陸地方の天候は変わりやすさか
ら、明日八月十五日の空が曇るか晴れるか予測は難しいです」といわれま
した。 さて翌日の夜の空模様は、本文によると、
≪ 十五日、亭主の詞(ことば)にたがはず雨降(ふる)。
名月や北国日和(ほくこくびより)定(さだめ)なき≫
テキストより、
≪「北国日和定なき」の「定なき」は表の意味は北国の天気のとりとめなさ、
変わりやすさのことです。しかし、この言葉は本来、人の運命の定めなさを
いう言葉です。この「定なき」とはこれまでみてきた人の世のさまざまな別れ
をひとまとめにした芭蕉の感慨です。この言葉は日和のことをいいながら、
そこに定めなき人の世に対する芭蕉の嘆きの声がひそんでいます。≫