4月18日(2014-04-18) につぶやきましたが、長谷川櫂さんは、遊女と
の別れをはじめとして五つの別れが書かれていると述べています。 五番目・
最後の別れが終章の大垣での別れですが、その前に北枝(ほくし)との別れ
について触れられています。
北枝は金沢の俳人で、金沢から天龍寺まで 「かりそめに見送りて、此処
までしたひ来る。(ほんのそこまでといって付いてきてくれた北枝も、とうとう
此処まで一緒に来てしまった)」。
ここでの別れにのぞんで、
物書て扇引きさく余波哉
(ものかきておおぎひきさくなごりかな)
この扇には芭蕉が発句として先の句を書き、北枝が脇句を記します。それを
二つに裂き発句の部分を北枝が持ち、脇句の部分を芭蕉が持つのです。
今でも別れがたき者同士が所縁のものを二つに分け各々が懐にする、その光
景です。
芭蕉はこのあと、5キロ以上も山に入って永平寺を訪問します。
この章に出てくる天龍寺も永平寺も古刹ですが、そのことにあまり触れてい
ないのは、この別れに焦点をあてるためで、この句を引き立たせています。