葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「てんがらもん」182回 妻のひと言、夫のひと言。

2015-09-10 20:18:40 | 「てんがらもんラジオ」

このご婦人が「てんがらもんラジオ」182回のゲスト鮫島恵美さん86歳です。絵は来年出品されるものだそうです。村永さんのブログに紹介されています、こちらです。http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/d/20150907

番組は、「てんがらもんラジオ」182回ゲスト鮫島恵美さん  でどうぞ。

今回のタイトルの意味は、夫婦間の一言です。最初に耳に残っているのが、鮫島さんが亡くなった夫を評して「子供を教えることが大好きな男でした」です。それは82歳まで教える現場に立っていた夫への敬意を込めた表現と受けとめました。

妻が夫を一言で評すると、どんな表現になるものでしょうか。そこに夫婦の長い付き合いの結論があるのかと思いました。鮫島さんの場合ご自分が教師を経験していたということもあって、同僚あるいは同志的な思いもあっての表現でしょう。

鮫島さん自身はその教師職を結婚を機に辞められます。子供が上京したあと、夫とのだけの生活になって何かを習おうとし、日本画をと思ったときの夫からのひと言です。「お前の性格なら洋画ではないか」と。そこから洋画の道を歩んで35年になるのです。

もうひと言印象に残っているのが夫が入院していた時、夫が「絵を描いているか」とたずねます。病院に来ているから描けないと言うと「絵を描きなさい」の言葉です。そこから描いた作品が展覧会に出品、その日がお通夜になり、入選作品として仏壇に飾られたそうです。

村永さんの言われていたように、音楽も絵画も自分を表現するものであっても必ず独りでなし得て来たものではない、ということです。

高齢者の積極的な生活がその地域にもたらす豊かさを教えてもらい、あと二年で80歳になるkaeruとしても励みをいただきました、ありがとうございました。

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ブログ旅二日目午後の部の1。

2015-09-10 17:23:36 | ブログ仲間

昨日は昼飯にするところで終わりましたが、さて何を食べるのかこの際考えておくことも旅の楽しみのひとつ。そこで、http://r.gnavi.co.jp/eki/0004229/rs/  こんな所はどうでしょう、と。

やはり信州です、蕎麦でしょうか。

信州信濃の新蕎麦よりは わたしゃあんたの傍がよい  とか、都々逸です。

お前あなたと呼び合う仲か蕎麦の新旧は別にして、気の合った仲間と信州で蕎麦を食べるのが一番「よい」ということになりますね。

蕎麦を食べたことにして、次へ!gooではない、Go! です。

 

奈良井宿平沢を経ち、次は桜沢。ワイコマさんがここで車を停めるのは、これです。

「是より南  木曽路」、この近くの桜沢が昔の尾張藩と松本藩の境界だったそうです。

 

桜沢を発った車は洗馬宿へ、ここも説明と写真をWikiで。

 洗馬宿(せばじゅく)は中山道31番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県塩尻市。古くは洗場とも記されていた。

1614年慶長19年)、中山道のルート変更に伴い、塩尻宿・本山宿とともに設置された。洗馬で中山道から分岐する北国西街道(善光寺街道、善光寺西街道)は、西国から善光寺へ向かう人々が利用した。また街道を通行する伝馬の荷物の重量を検査するために「貫目改所」が置かれた。

 

絵は 歌川広重「木曽街道六十九次・洗馬」です。

この絵と地名から、芭蕉の「奥の細道」の書き出しを思い出すのも旅の一興でしょう。

「舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす」

 

このあと

平出遺跡ー塩尻宿ー塩尻峠ー下諏訪宿ー諏訪大社ーオルゴール館ー宿

となります。かなりな行程で朝の早いのがよく分かりました。

そこで、平出遺跡の紹介で今日は〆に、と言ってkaeruの手抜きです。

平出遺跡はワイコマさんのブログの「平出遺跡」集 でご覧下さい。

では、また明日に。

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