信州信濃の新蕎麦よりは わたしゃあんたの傍がよい
この都々逸をこの旅風によみけかえれば、
信州信濃の新蕎麦食べて わたしゃ仲間の傍がよい
さてそんな旅の後半に移ります。
塩尻宿についてWikipediaには次の写真と説明があります。
平出一里塚
街道を挟んで北側(右)と南側(左)の一里塚が保存されている。
また、塩尻の地名に関連してこんな説明も、
塩の道と呼ばれる三州(伊那,飯田)街道の分岐点でもあり、三河国からは南塩が、また糸魚川からは松本経由で北塩が運ばれた。
塩尻の名を持つ峠の現在は、
中央分水嶺の峠の一つで、岡谷側に降った雨は天竜川(太平洋)へ流れ、塩尻側に降った雨は、犀川(信濃川(千曲川)へ合流、日本海)へ流れる。
塩の流通からみても日本列島の構造からみてもここが日本の屋根の棟なのです。そしてワイコマさんのブログ名屋根裏人の由来と、あの行きとどいた気配りはここからの視線にありました。
そのワイコマさんに導かれ、下諏訪宿へ。
やはりWikipediaによる写真です。
木曾街道六拾九次 下諏訪宿(歌川広重画)
本陣 岩波家
この門前を最近写した写真があります、とはいえテレビ画面ですが。
この日(8月24日)夜8時過ぎにchidoriさんから「見て!見て!テレビ!」と言うような調子の電話がかかってきました。何事かと聞けば鶴瓶の「家族に乾杯!」が中山道編をやっていると言うのです。そりゃ急いで見なければと階段を駆け下りたわけです。
その時の写真をあと2枚。
このご婦人は下諏訪本陣岩波家の27代目のお嫁さんで80歳を過ぎているそうで、字幕に「主人は亡くなっていないんです」とあります。
他の画面に「関札といいます 当時使われたもの」とあります。
下諏訪宿から諏訪大社へ。ここも頼りはWikipediaです。
まずは写真を、
これは上社 本宮
ここは下社 秋宮
さて両方を周るのか、ひとつだけか、これは現地でワイコマさんの説明も含めて現地でのお楽しみに。
宿に入る前に寄るのはオルゴール館、ここもテレビ画面があります、鶴瓶さんがいます。
「諏訪地方は時計のセイコーをはじめ……」という説明は現地でワイコマさんが詳しくされるでしょう。遺跡から諏訪大社も含め日本の古代から、現代科学による産業のトップクラスの企業まで存在しているこの地方の魅力の一端に触れる一日です。
今回の旅は勉強会とも銘打っています、その辺は夜の懇談で深まるでしょう。
それでは明日も。