翔子さんは「無」という字のなかに入り込んでいます。
昨日は「自由」でした、長渕剛の歌の歌詞のなかの「自由、不自由」を紹介しました。
そう叫びたくなったきっかけが、
「自分に肩書きがない」ことでした。
肩書きといえば総理夫人という肩書きがどれほど「威力」をもっているかを曝け出しているのが昨今の政局です。この威力は不自由なことを自由にし、それで勝った者が「正しい」顔をしています。
長渕の「震える手」は私たちの手でもあります。
「俺(たち)はいつまで この雨に 打たれていればいいのか」
翔子さんは「無」という字のなかに入り込んでいます。
昨日は「自由」でした、長渕剛の歌の歌詞のなかの「自由、不自由」を紹介しました。
そう叫びたくなったきっかけが、
「自分に肩書きがない」ことでした。
肩書きといえば総理夫人という肩書きがどれほど「威力」をもっているかを曝け出しているのが昨今の政局です。この威力は不自由なことを自由にし、それで勝った者が「正しい」顔をしています。
長渕の「震える手」は私たちの手でもあります。
「俺(たち)はいつまで この雨に 打たれていればいいのか」