kaeruのつぶやき

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「てんがらもんラジオ」 ー文芸の力ー。

2018-09-04 22:25:15 | 「てんがらもんラジオ」

昨日の再放送の録音を今日聴きました。やはり聞き直して良かったのは川柳にとどまらず、文芸の力を考えることができたことです。

まず、前迫さんが障害児保育の現場から怒りの声をあげた、中央省庁での障害者雇用水増し偽装問題です。前迫さんは「怒りを通り越して虚しくなってしまう」とまで言います。そこから「そこを奮い立たせるものは何か」と自問し、話を続けたあと二編の詩を紹介します。

このブログのためにもここに記録しておきます。

 

            今日からはじまる
                                   高丸もと子

         あなたに会えてよかった
         空が青く
         大きいことも
         あなたがいて気づいた
         この光もいま届いたばかり
         一億五千万キロのかなたから
         今日からはじまる
         何かいいこと

         みんなに会えてよかった
         すてきなものが
         そばにあること
         みんながいて気づいた
         いまもどこかで命が生まれる
         子犬も小鳥も草の芽も
         今日からはじまる
         何かいいこと

         わたしに会えてよかった
         胸の鼓動も
         ときめきも
         わたしがいて気づいた
         だれも知らない音だけど
         わたしの殻をやぶる音
         今日からはじまる
         何かいいこと

(前迫さんの言われた詩人名と違いますが、詩は間違いありません)

 

 

    教室はまちがうところだ

 

               まきた しんじ 

  教室はまちがうところだ
  みんなどしどし手を上げて
  まちがった意見を 言おうじゃないか
  まちがった答えを 言おうじゃないか

  まちがうことを おそれちゃいけない
  まちがったものを ワラっちゃいけない
  まちがった意見を まちがった答えを
  ああじゃあないか こうじゃあないかと
  みんなで出しあい 言い合うなかで
  ほんとのものを 見つけていくのだ
  そうしてみんなで 伸びていくのだ

  いつも正しくまちがいのない
  答えをしなくちゃならんと思って
  そういうとこだと思っているから
  まちがうことがこわくてこわくて
  手も上げないで小さくなって
  黙りこくって時間がすぎる

  しかたがないから先生だけが
  勝手にしやべって生徒はうわのそら
  それじゃあちっとも伸びてはいけない

  神様でさえまちがう世のなか
  ましてこれから人間になろうと
  している僕らがまちがったって
  なにがおかしいあたりまえじゃないか

  うつむきうつむき
  そうっと上げた手 はじめて上げた手
  先生がさした
  どきりと胸が大きく鳴って
  どぎっどきっと体が燃えて
  立ったとたんに忘れてしまった
  なんだかぼそぼそしゃべったけれども
  なにを言ったか ちんぷんかんぷん
  私はことりと座ってしまった

  体がすうっと涼しくなって
  ああ言やあよかった こう言やあよかった
  あとでいいこと浮かんでくるのに


  それでいいのだ いくどもいくども
  おんなじことをくりかえすうちに
  それからだんだんどきりがやんで
  言いたいことが言えてくるのだ
  はじめからうまいこと言えるはずないんだ
  はじめから答えが当たるはずないんだ

  なんどもなんども言ってるうちに
  まちがううちに
  言いたいことの半分くらいは
  どうやらこうやら言えてくるのだ
  そうしてたまには答えも当たる

  まちがいだらけの僕らの教室
  おそれちゃいけないワラッちゃいけない
  安心して手を上げろ
  安心してまがえや
  まちがったってワラッたり
  ばかにしたりおこったり
  そんなものはおりゃあせん

  まちがったって誰かがよ
  なおしてくれるし教えてくれる
  困ったときには先生が
  ない知恵しぼって教えるで
  そんな教室作ろうやあ

  おまえへんだと言われたって
  あんたちがうと言われたって
  そう思うだからしょうがない
  だれかがかりにもワラッたら
  まちがうことがなぜわるい
  まちがってることわかればよ
  人が言おうが言うまいが
  おらあ自分であらためる
  わからなけりゃあそのかわり
  誰が言おうとこずこうと
  おらあ根性曲げねえだ

  そんな教室作ろうやあ

 

(この詩はこちらから、頂きました。

 http://kazeninaru.blog46.fc2.com/blog-entry-342.html  )

 

前迫さんはややもすると虚しくなってしまう気持ちを、障害者・児の懸命に生きる姿を前に、このような詩によって奮い立たせているに違いありません、文芸の持つ力です。この詩の持つ力と石神さんが「エッチ川柳」と称した句とはどう繋がるのか、私は自分と他者への「愛(いと)おしさ」だろうと思います。

「今日から〜」は自分と他者の命への讃歌を今日という時間にとらえ、「教室は〜」は子供へ自己肯定を呼びかけ、教室を自己肯定感を育てる場にしようと呼びかけています。

「生命への讃歌」「自己肯定感」という詩心を持って紅雀さんの「エッチ川柳」を読むと句の根底に「愛おしさ」のあることが鮮明になります。

放送で紹介された柳誌「つばさ」の9月号が手元に届きました。

まさにこれは「川柳バンザイ」だと思います。

あわせてこのなかで指摘されている「バレ句」(「破礼句=礼儀を破るという意味、シモネタ句」)への警告は、楽屋吟以上に心しなければならないでしょう。万葉集にも見られるという詩歌の源流である歌垣(うたがき)で、男女の交歓の様(さま)を歌いあげたことを思えば、生きることの根源的な力を現代の個人的感覚にマッチさせ表現することはバレ句的な方向では不可能です。( wikipedia.「歌垣」 )

己とパートナーへの愛おしさを表現すること、消耗し消費する生命力でなく、虚しくなる心を支え日々の活力になり、立つ位置を見つめ歩む方向を示す文芸が求められています。