kaeruのつぶやき

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『資本論』 の宿題からの課題へ。

2023-11-24 06:15:49 | kaeruの『資本論』

「しんぶん赤旗」を配達し終わって、夜明けのなかで『資本論』そのものに触れようと思ったのです、がある宿題を思い出しました、

これなのです。

 

1862年6月18日付、マルクスからエンゲルスへの手紙 - kaeruのつぶやき

手紙文の写真だけ貼って文字移しをしておきます、少し他のことに手をとらえますので、「つぶやき」は明日以降で……。『親愛なエンゲルス!またも自分の窮状を...

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ここで〝「つぶやき」は明日以降〟と言ってそのままになっていました。

実はマルクスのこの手紙のなかでこう言っている部分、

それはそうと、ぼくはいましゃにむに仕事をしている。妙なことに、ひどい貧乏にとりつかれながら、いまほどぼくの頭がよく働いているときは、この数年来なかったことだ。

妻が死にたくなった、と言うほどの貧困のなかでも「よく働く頭」が当時何を研究していたのだろう、それが『資本論』執筆とどう関わっているのだろう、という疑問が湧いたのです。

それはマルクスの『資本論』を読むということがどういう事か、それにはマルクスの頭とはどういう頭なのか、知っておきたくなります。

この人の言葉から、

Wikipediaの「エンゲルス」からですが、マルクスの死に際して語った言葉です。マルクスの頭脳とは、それを失うことが「人類は頭一つだけ低く」なるそういう頭脳でした。

そういう頭脳だからこそ、悲惨ともいえる苦境のなかでも己の研究課題の追求から離れなかったのですが、その追求課題とは何だったのか。

不破哲三著〝『資本論』全三部を読む 新版 第一分冊〟の年表から、

1862年6月18日、例の手紙が書かれた6月に

ロートベルトゥスの地代論などの研究。
続いて、リカードウの地代論、利潤論、恐慌論などの
集中的な研究。 地代論では、絶対地代論を基本的に完成
させた。恐慌論では、「資本論」準備過程でのもっとも
包括的な研究となる。

とあります。この記載は手紙のこの部分に通じます、

いまやついにぼくはあの不愉快な地代論もかたづけた。……ぼくはずっと前からリカードの理論が完全に正しいということには疑いをもっていたが、ついにそのごまかしを摘発した。

不破さんは同書で、

『資本論』が、経済学にそれまでの歴史の徹底した研究の上に成り立っている」(同種p102)

と述べていますが、この部分もその一端です。

不破さんが同書の、

三 マルクスは、『資本論』をどのように準備したか?

の締めに総括的に述べている次の言葉も『資本論』を読むうえで肝に銘ずるべきものと、あらためて思い自らの課題にしなければと思います。

「このように、『資本論』には、その最初の草稿が書き上げられるまでにも長い歴史があり、第一部を刊行したあとでも、全体を仕上げるためのマルクス自身の苦闘と努力の歴史があり、さらにマルクス死後、残された草稿を編集するエンゲルスらの労苦の歴史がある、文字通り、 それ自身の歴史のなかにある著作なのです。みなさんに、この歴史の全体を自分の手で調べなおすことを注文するわけではありませんが、『資本論』を読む時、そういう歴史をもった著作だということは、ぜひ頭においてほしい、と思います。」(同書p88)