タイトルにしました言葉、今朝がた何かのチラシに書かれていたのです。それをここでもチラシごと紹介しようと思って、机の周辺の紙の重なりや本やノートの間を……、見当たりません。
今の世の中、あれだこれだの現象を追っていては見えない変化に気付かず過ぎて行く。こんな時こそ、時代の本質的な変化を見抜く眼力が必要、というような意味のことが書かれていて、「『資本論』を身につける」という趣旨の言葉があったのだと思います。
これはなかなか面白い、「『資本論』を読みましょう」でも「学びましょう」でもなく「身につける」のです。身というと身体ですから、発言やお喋りまたは書く事が『資本論』的だけでなく、日常の身体の動き言うならば生活が『資本論』的になる、ということでしょう。
エンゲルスが「『資本論』は労働者階級の聖書」と言ったことがありますが、要はキリスト教を信じ日常生活も聖書に依拠する信徒のように、労働者階級の一員として自ずから『資本論』的日常生活になっている、また日常的に己の生活を『資本論』によって律していく、そんなイメージが「『資本論』を身につける」事なのでしょう。
日本共産党の29大会決議案の『資本論』に触れたヶ所、
日本共産党がその理論的基礎を科学的社会主義に置いているわけですから、その理論的な要の書としての『資本論』を身に付けることを意識して読み、「学習に挑戦しよう」は理にかなっています。