kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「がん」を読む ー32ー 1970年代なかば……。

2019-03-20 21:29:13 | 「がん」を読む

のp81に

「さて、ここまでの話をまとめたのが図2ー7です。ここまでは、ゲノムやエピゲノムの変化ががんを引き起こすという話をずっとしてきましたと書かれているのがこれで、

「ここからは、おもな環境要因を取り上げ、それがどのようなしくみで発がんにかかわるのかをみてみましょう」ということです。

おもな環境要因とはこれです。

     

   1775年にイギリスの外科医が煙突清掃員に陰のうがんが多いことを報告したことは以前に「つぶやき」ました。この「化学発がん説」を世界ではじめて実験で証明したのは日本人の山極勝三郎です。

    wikiに「上田市城跡公園」とあるように長野県上田市の出身で、確かに公園で見た記憶があります。次の機会にはしっかりと見て来なければと思います。  https://ja.m.wikipedia.山極勝三郎 

   山極はノーベル賞の候補にあがりました、wikiでも書かれていますが、ここでは本のp84-85の該当部分を紹介しておきます。

    世界ではじめて発がんに成功したのは、「刺激説」を唱えたウイルヒヨウのもとに留学した経験もある東京大学の山極勝三郎でした。山極は煙突内のススに似たコールタールに着目し、協力者の市川厚一とともに300日以上の長期にわたってウサギの耳にコールタールを塗りこむ実験を続け、1915年、がんを人工的につくり出すことについに成功したのです。

   コールタールにはさまざまな化学物質が含まれていますが、そのなかで、ジベンツ [a,h] アントラセンという物質が発がん性をもつことが、後年、イギリスの研究グループによって明らかにされました。彼らはコールタールに含まれる成分をひとつずつマウスの背中に塗り、がんができるかを、丹念に調べていったのです。こうして、「化学発がん説」の大きな証拠が得られました。                                                    

   実は、「寄生虫発がん説」のフィビゲルがノーベル賞を受賞した1926年には、山極も受賞者の候補となっていました。後に、フィビゲルの業績は誤りだったとわかった一方で、山極の業績はその後の化学発がんの研究に大きな道を開いたのですから、歴史は皮肉なものです。

このあと本では動物実験での発がん物質の特定と違ってヒトにとってある物質が発がん物質であるかどうかを特定するのは大変難しいことだと述べています。

   なぜならば、動物を用いた発がん実験では単独の化学物質のみを実験動物に与えて発がん性の有無を調べるので、化学物質とがんとの関係が明白です。一方、ヒトは日常生活を介してさまざまな物質に複合的にさらされています。つまり、複合曝露環境下で生活をしているヒトでは、疫学調査などで候補となった発がん要因(化学物質)が本当にヒトのがん発生に関係しているのかを証明するのはとても難しいことになります。実験動物のように直接的に証明することはできないので、いろいろな状況証拠を集めて間接的に証明するといった手法を取ることになります。候補となる化学物質の曝露量やそれに伴って生じるDNAの傷を定量し、特定の集団のがん発生と関係を明らかにすることもそのうちのひとつです。

ある物質が発がんの原因になっているかどうか、を確かめるためにはその物質でDNAに突然変異が起こるかどうかを確かめることです。その検査方法が確立したのが1970年代でした。

引き続き本のp88の引用です。

   動物の体内で代謝され、化学物質は、その代謝物ががんを引き起こすことが多いのです。そこで、代謝も含めて変異原性を調べられるようにエームス・テストが改良され、変異原性をもつ物質と発がん性を示す物質は、多くが重なることが明らかになりました。

こうして、1970年代の半ばに、「化学物質がDNAに突然変異を起こし、それによってがんが発生する」というメカニズムが広く受け入れられるようになったのです。


「がん」を読む ー31ー 続・一条会クリック行き

2019-03-18 20:43:06 | 「がん」を読む

    一条会クリックの高橋医師に薬を処方してもらい、ベンズアルデヒドは一条会病院の薬局から受け取りますが、他の薬は外部の薬局で購入します。

    一条会病院の隣にある薬局でそれらの薬を渡された時、薬剤師さんが娘の「おくすり手帳」の住所を見ながら「かなり遠くから来ておられるのですね、一条会の薬はどうですか?」と尋ねられました。ベンズアルデヒドのことでしょう、思わず口から「この薬が頼りですから」と答えていました。

昨日紹介した(https://ameblo.jp/kurosukehazama/entry-12418796594.html)「ガン治療研究ブログ」さんは

こちらの本の岡崎医師の薬についてですが、ベンズアルデヒドのことです。

   ベンズアルデヒドを「奇跡の治療薬」と言おうと「特効薬」と表しようと要は「がんで苦しんでいる」本人と家族にとって「一条の光」なのです。

岡崎さんの『がんの特効薬は発見済みだ!』も高橋さんの『「奇跡の治療薬」への挑戦』も一通りは読みベンズアルデヒドへの理解を得た積もりでしたが、『「がん」はなぜできるのか』を読み進めているとその理解が深まっていく感じがします。

 

まことにたどたどしい読み方ですが、あらためてたどり続けて行こうと思います。


「がん」を読む ー30ー 一条会クリック行き

2019-03-18 20:43:06 | 「がん」を読む

今日は一条会クリックの高橋医師に診察を受け薬を受け取る日なのでしたが、運転する予定の兄(我が家の息子)の都合が悪くなり私だけで松戸まで行って来ました。

12月はじめて私たち夫婦と娘の3人で行った時は、バスと電車を乗り継いで行けたのですが、1月は本人は行けず、薬だけを私がもらって来たのでした。2月は兄の運転で出かけ、親子4人のドライブという形ではあっても娘はシートを倒して寝ながらで、横浜川崎の工場地帯を通る時は、見ているだけで気分が悪くなると言いながら……

4月は上旬に予定されています、バス電車は無理だとしてもまた「親子ドライブ」ができればそれだけでも良い治療につながると言うべきでしょう。

ネットにこんな情報がありましたのではっておきます。

関連したことは明日「つぶやき」ます。

 https://ameblo.jp/kurosukehazama/entry-12418796594.html


「がん」を読む ー29ー 汚染がん

2019-03-17 15:26:05 | 「がん」を読む

今日の「しんぶん赤旗」潮流欄、

「家族·親戚の16人。16人が、がんと診断された」。米下院監視·改革委員会の小委員会でルダ委員長(民主党)にそう紹介されたのは、元陸軍兵フェイバーズさん。米軍基地による環境汚染などをテーマにした公聴会(6日)でのことです

▼コロラド州ピーターソン空軍基地の近くで育ったフェイバーズさん。がんになった! 6人も同地域に住んでいたといいます。米軍事専門紙ミリタリタイムズ(電子版)によると、16人のうち10人が死亡 2人のいとこは38歳と54歳の若さでした

▼基地周辺の水源から環境基準値を超える有機フッ素化合物PFOAなどの汚染が見つかっています。同じ有機フッ素化合物のPFOSとともに米軍基地では泡消火剤に使われ、発がん性などが指摘されていました

▼同紙でフェイバーズさんは「5人は腎臓がんで亡くなった。汚染地域に住んでいただけなのに」と語っています

▼米国防総省は4 0 1カ所の米軍基地·跡地(米国内)で同様な汚染の危険があるとしており、米国で問題になっています。公聴会ではフェイバーズさんら被害者も出席。ルーダ委員長は「彼らは)ただ水を飲んだだけなのだ」と強調し、対策を求めました

▼これは人ごとではありません。沖縄の米軍嘉手納基地周辺などでも同じ汚染が見つかっているからです. PFOSは日本では製造·使用が原則禁止。それでも自治体による基地内立ち入り調査は日米地位協定が壁になっています。ここにも従属国家の恥ずべき姿があらわれています。


「がん」を読む ー28ー 遺伝子変異とは③ 「多段階発がん」

2019-03-16 23:02:16 | 「がん」を読む

「多段階発がん」については、

 

https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/c54642869a783fbc82257cf172fce3f2

で「つぶやき」ました。

一昨日診療所の定期的な診察に、体重がかなり減っていて、看護婦さんが1月の数値と比べ見て「どうかなされましたか?」と……、娘が……、と言うと「そうでしたね」と言われます。

娘の主治医もケアマネの紹介もこちらの診療所からでしたので、我が家の「健康情報」が共有されているのだ、大変有難く頼もしく感じ「4月に健診を」と言われ「宜しく」と答えて来ました。

 

さて、そんな体調のなかで「多段階発がん」の話です。

まずこの図から、

この図の説明文は次の通りです。

    では、遺伝子はどのような順序で変異していくのでしょうか。それがよくわかっているのは大腸がんです(図2-3)。大腸がんでよく変異のみられる遺伝子は数個あります。それらのうちのどれが変異しているかを、腺腫や早期がんなどさまざまな状態の組織で調べた結果、典型な場合は、図2-3のような順序で変異していくと考えられました。この図は、ひとつの遺伝子の変異で増殖能を獲得した細胞が、増殖を繰り返すうちにほかの変異も起こして增殖能がもっと強化され、さらには、浸潤・転移に必要な変異も起こすことを示しています。ひとつ変異が加るたびにステップがひとつ進み、最初は良性だった腫瘍が次第に悪性化していくのです。(赤字はkaeru)


「エピゲノムの変化」について、

    エピゲノムとは、ある遺伝子からタンパク質をつくるかどうかを決める機構の全体を指す言葉です。(略)細胞の悪性化が進む際には、エピゲノムの変化によるこのような遺伝子の不活化もかかわっていると考えられています。ですから、図2-3のの図に、「エピゲノムの変化」を加えてあるのです。(「このような遺伝子の不活化」については本のp75〜76)


「ミスマッチ修復遺伝子の不活化」について、

    ミスマッチとは、CとAのように相補的でない2個の塩基がDNA二重鎖のなかで向き合っている状態を指します。ミスマッチ修復機構は数個のタンパク質からなり、ミスマッチを含むDNA領域をいったん除去して、その部分を新たに複製します。複製中の校正機構と、複製後のミスマッチ修復機構により、DNAの複製時の間違いはほとんど取り除かれ、10億塩基にひとつくらいしか変異が起こらないのです。
   しかし、これを裏返せば、これらの機構に異常が生じてちゃんと働かない場合は、変異の確率が高くなるということになります。実際に、ミスマッチ修復遺伝子のひとつが変異を起こして働かなくなった場合に起こる大腸がんが知られています。図2ー3にはそのことを書き加えたのです。
(この件については本のp78〜80)


「がん」を読む ー27ー ちょっと寄り道

2019-03-15 23:55:26 | 「がん」を読む

    接続可能なのはドコモに行ったからではなく、偶々なのでしょう。ドコモでは「よく分からん、ここに電話してみて」という感じで電話番号記載の紙をくれました、明日電話してみましょう。

今夜は本を離れて寄り道、

 

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59446?page=3

多くのがん治療情報が「ウソ情報」か判断する基準がはっきりしていない現在の私ですが、がん治療を探る「歴史」に触れはじめて受ける感じは、この研究者としての大須賀さんの「訴え」には耳を傾けるべきと思います。

同時に、こうしてがん研究者が注意を促さねばならないほど、「ウソ情報をクリック」する人が多いという現状をどうみるか、そこにはがん治療の特別な問題があります。「がん」は重苦しい響きを持ち、口にするのもはばかれるという感じがあります。日本人の2人に1人は一生に一度は罹ると書かれていれば、そんな思いになるのもうなずけます。

だからこそ、藁をも掴む思いになって「情報」の間をさまようのです。そして情報収集の段階から実践(治療)に入ると自ら信ずるようになっていきます。「信ずる者は救われる」という言葉がありますが、この種の信念が患者を支えています。

同時に確かなことは一人のがん患者は、長い歴史を持つがん治療の過程になかの一人だということです。「信ずる者も信じない者も救わなければならない」のが科学としての医学だと思います。科学の視野はその科学を否定する者を含めて、救える基盤の上に立っているものだと思います。「がん治療」で言えば4000年の歴史を持っているという治療史の上に方向付けられているものだと思います。


「がん」を読む ー26ー 男性高齢期はがん罹患期。

2019-03-13 22:19:50 | 「がん」を読む

タイトルを表で示しているのがこれです、

ですから死亡率も、

ご自分のがん体験の例で、がんになるリスクが一年間に11%増え、この年齢層では毎年10%前後ずつ増えていると書かれているのがこちらの本、

 書かれた黒木登志夫さんは、

 
 
 
こちらの本に戻って、
なぜ高齢期にがん罹患が増加するのかについてはp69の
 
ひとつの遺伝子異変ではがんにはならない
 
iPad、又や接続不調にこのあとは明日にします】
 

「がん」を読む ー25ー 遺伝子の異変とは?②

2019-03-12 20:38:28 | 「がん」を読む

「遺伝子の異変とは?①」で、    

「それではなぜBはウソつくのでしょう、第2章のはじめ「少し詳しくみてみましょう」と書かれていたのはそのことでした。そこの部分は明日にします、そろそろ接続が不安定に……、ネットもアタマも」

 と「つぶやき」をしめました、が昨日はがんを患ったきたがわさんの書かれたものと坂本さんのインタビュー記事を紹介しただけでした。

では「そこの部分」を「つぶやき」ます。

まず①で紹介済みのこの図、

 BのウソとはAからBを「リン酸化する」という刺激を受けていないのに、Cに対して「リン酸化する」という刺激を伝え続けることです。すると当然CはDに対して「リン酸化」刺激を伝え続けて、結果Dが核内で分裂に必要な遺伝子のスイッチを入れ続け細胞は分裂していきます、ウソつきはがんのはじまりなのです。

それでは、なぜBがウソツキになるのでしょう、それは突然変異です。その変異について本

のp66からの引用(太字)です(一部略)。

遺伝子の変異とは、遺伝子の塩基配列のどこかが本来とは違うものになったり、欠けたり、余分な塩基が挿入されたりすることです(図2-1)。染色体欠失といって、染色体のうち、遺伝子が含まれる部分が大きく失われてしまう場合もあります。変異のなかでも、よくみられるのは、1個の塩基が別の塩基に置き換わってしまう「点変異( 一塩基置換)」です。点変異が起こると、コドンが変わり、コドンで指定されるアミノ酸の種類も変わってしまいます。その結果、アミノ酸がつながってできるタンパク質の形や機能も変わってしまいます。がん遺伝子に点変異が起こると、タンパク質の機能が変化し、増殖のシグナルを送り続けるようになる場合があります。第1章で説明した、精鋭部隊のなかのうそつきは、こういうしくみでできてきます。

図2-1

 

 本ではこのあと(p68)KRAS(ケーラス)という大腸がん、肺がんなどで変異している割合の高いがん遺伝子について図により説明し、図1-10のB(うそつき)の具体例になると書かれています。

該当の図(p68)を紹介しておきます。


「がん」を読む ー24ー がんを患って、ソングのふたり。

2019-03-11 17:24:24 | 「がん」を読む

これは今日の「しんぶん赤旗」でシンガー・ソングライターのきたがわてつさんの寄稿です。

 

 以下寄稿文全文。

 

 

「肺ガンの疑いが強い」と言われた時は、やはりショックでした。

 

 

   実は45年前も

   昨年10月、いま住んでいる東京都武蔵野市の健診を受け、お世話になっている先生から「肺に腫瘍があるらしいので、CT検査を…」と勧められた検査の結果は「右肺に初期の腫瘍があり、悪性の可能性が高い」とのことでした。PET(ペット)検査を行い「転移は認められないので、ロポット手術で切除しましょう」となり、最新医療機器ダヴィンチで3D遠隔手術をすることになりました。

   実は45年前、20歳の誕生日を迎えてすぐに腹痛を覚え、検査結果はそのころ日本では15人ぐらいしか例のない特殊な腫瘍でしたが、手術で摘出しました。当時は告知という習慣はなく、先生からは「良性です」と言われていました。20年以上経過して母から「あれは実は悪性で、再発の心配をしてた」と聞いてピックリ。

   この経験から、僕はシンガーソングライターの路を選びました。ちなみにスケートの羽生結弦さんも同じ病気で、彼の場合は良性だったようです。

   1月23日に手術を受けて、1週間ぐらいで退院することができました。再発の可能性は低く、「早期で見つかって良かった」というのが正直な実感です。

病院が苦手な人や忙しい人なども、ぜひぜひ検査を受けてください ‼︎   あなたの体にも、静かにガンが忍び寄っているかも。なにしろ国民の半分がガンにかかる、といわれている時代ですから。

    静かに燃えて

   2度目の大手術の前に、なんとしても立ちたいステージがありました。1月19日の日本のうたごえ祭典での、シンガーソングライターの仲間たちとの演奏です。

   ここでは右肺の3分の1を失う前に、思い切り3ステージで歌うことができました。今はだいぶ体力も声量も戻ってきて、手術前の80 %ぐらいかなと感じています。

   5月にはアウシュビッツを中心とした「てっと行く平和・音楽・交流の中欧8日間ツアー」(ただいま参加者募集中)があります。6月23日には、本日であの被害から8年を迎えた、岩手県陸前高田市のシンガポールホールでの支援コンサートへの出演。そして8月には、ベトナムでの枯れ葉剤被害者支援コンサート。これらに向けて、リハビリの日々です。

   まだまだ歌で役に立ちたいと、静かに燃えています。また一緒に歌いましょう。

 

次は坂本龍一さんです。

 

(全文です)

坂本龍一さん

『ガンになって考えたこと』

痛みに涙、坂本龍一の治療 がんの究極の原因に気づいた

生きていれば、困難が重なる時があるのかもしれません。

自分ががんになるなんて、1万分の1も疑っていなかったんです。若い頃は徹夜続きでも平気で、「才能は体力」と公言していたし、40代からは健康オタクと言えるほど気を使っていました。

がんとともに

2014年6月、62歳のとき、のどに違和感を覚え、受診すると中咽頭(いんとう)がんだと診断されました。ステージはⅡとⅢの間。「まさか」でした。生まれて初めて死を意識しました。「がん」という言葉は重かった。

そもそも、近代医学が発展したのはここ100年くらいですよね。昔なら、このまま死を迎えていたかもしれない。それも自然なあり方なのかもしれないけれど、僕は「生きたい」と思いました。あらゆる選択肢を検討し、統計に基づいた生存率が明らかになっている標準治療に命を託すことにしました。

仕事を考えて治療を遅らせようか、いや、治療と同時並行でもいいのではないか――。さまざまな考えが浮かびました。でも、主治医から「生きていないと仕事もできないよ」と忠告され、冷静になりました。治るまで無期限で休むと決め、がんを公表しました。

そして治療が始まりました。7週間の放射線治療では、口からのど全体が口内炎になったような痛みが襲ってきました。つばを飲む、食べる、飲む。その度に痛くて涙が出ました。痛みは日を追うごとに強くなり、治療の折り返しまで来た時、耐えきれなくなりました。大泣きして、主治医に「やめさせてくれ」と訴えました。

治療中は、音楽なしの生活でした。聴く気にも、つくる気にもなれなかった。そんな経験は、あの9・11同時多発テロ以来、人生で2度目のことです。読書をする気力もなく、ただ、映画をひたすら見る毎日でしたね。

自分を苦しめるこの「がん」とは何者なのか。手当たり次第に本やネットで勉強しました。健康な細胞ががん細胞になる原因は無数にある。日々取り込む化学物質、ストレス、DNAの単純な複写ミス、被曝(ひばく)……。そして、免疫機能が日々がんの芽を摘んでくれている。でも、がん細胞は、免疫システムをだます巧妙さも備えているやっかいな相手。まるで知性を持っているみたい。

結局、原因は無数なんです。これら様々な原因を経験した期間が長いほど、がんに罹患(りかん)する確率は高まる。つまり、がんの究極の原因は「生きていること」なのです。このがんが消えても、別のがんにかかるかもしれない。それは受け入れざるを得ないのだと、1年間かけてそう思うようになりました。

家族から「死んでもいいから、やりなさい」

治療を始めて7カ月が過ぎたころ、米アカデミー賞を受賞したメキシコ人のアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督から映画音楽の依頼を受けました。尊敬する監督からの依頼でしたが、心身が万全ではない中で、「大作を受けたら再発してしまうのではないか」と悩みました。罹患前にお約束していた山田洋次監督の「母と暮(くら)せば」の音楽制作と同時並行にもなる……。若く元気な時でさえ長編映画を2本同時につくったことはなかったのです。

でも、こんな話は一生に1度あるかないかの光栄なこと。そんな僕の迷いを見抜いていたのか、家族から「死んでもいいから、やりなさい」と言われました。その言葉に背中を押され、引き受けました。

やってみると大変でしたね。病気になる前は、1日12~16時間平気で音楽を作っていたのに、治療後はどんなに頑張っても8時間しかもたない。どんどん作業は遅れました。精神的に追い詰められ、人生で初めて友人にSOSを出しました。ドイツからLAに飛んできてくれた友人に制作を手伝ってもらったおかげで乗り切ることができました。助けを得ながらも、仕事をやり遂げることができたのは結果的に回復を早めたようで、良かったと思います。

本来あるべき姿に戻っているだけ

病気になる前の12年、宮城県名取市の農業高校で津波をかぶり、調律しないままのピアノと出会ったのです。一昨年8年ぶりにつくったアルバム「async」にその音を入れて、「ZURE」という曲を作りました。

この「津波ピアノ」の音は、病を経て、僕にはより心地よく感じられるようになりました。人間は調律していないピアノの音を「狂った」と言うけれど、本来あるべき姿に戻っているだけ。狂うどころか、自然な音なんですよ。

人間というのは、愚かなもので、自分の意識、つまり脳だけが過剰に肥大している。自分がコントロールできている部分なんて、僕は5%くらいじゃないかと思っている。後は言ってみれば、DNAが受け継いでいる生命システムが働いてくれている。自分の意識だけが自分の生を決めているなんて、錯覚に過ぎない。その錯覚を前提にしている社会は危ういですね。

人類は文明をつくりあげ、すばらしいと思っている。でも、自然からみれば、ちょっとしたくしゃみのような揺れで、簡単に文明は壊されてしまうことを3・11の災害で教えられた。自然の巨大さ。ぼくらは手のひらの中で生かされているだけ。その教訓を僕は絶対に忘れたくない。

こうしたことは、以前から観念的に考えてはいたのですが、がんになり、自分の体の中で起きた異変を通して、自分の生は自然の中の一部なのだと実感しました。人間も動物も生まれた時から、みな死に向かって歩いているんだと、それは当たり前で、あらがいようのない摂理だと、現実的に捉えるようになりました。

がんを経て、残り時間を意識するようになりました。僕にできることは音楽しかない。技術さえあれば誰でもできる音楽をつくってもしょうがないから、自分ができる音楽を作りたい。CDが何枚売れるとか、そういうことは一切考えなくなりました。

治療から丸4年がたち、作りたい音楽は日々変わっています。今作りたいのは、「時間にしばられない音楽」。音楽も仕事も人生も始まりがあり、終わりがある。そこから解き放たれた音楽を志向しています。モデルはないので、色々と想像しているところ。「永遠性」にあこがれるのと似ているのかな。

健康なのは、その人が偉いからじゃない

がんを公表したら、「実は僕も」「私も」と告白されることが多くなりました。僕自身は、がんになったことで差別や偏見を受けたことはないのですが、でも、意外と隠している人が多いのだと気づきました。

健康だから強くて尊い? 病気になるのは弱くて価値が低くなる? そんな偏見や差別は、無知としかいいようがない。つぶすべきです。僕たちは自分たちの免疫システムに依存して生きているだけ。健康なのは、その人が偉いからじゃないのです。

不思議なもので、僕はがんを経験した方に、家族か親戚のような親近感を持つようになっていました。身近な人ががんにかかったと聞くと、「この本読んだら」と送ったりしてしまいます。もう人ごとではないから、放っておけないのです。

がんは難しい病気です。でも、ともに向き合っていきましょう。(聞き手・山内深紗子)

https://youtu.be/NSeGbbnhK3g

〈さかもと・りゅういち〉 1952年、東京生まれ。78年に音楽ユニットYMOを結成。83年公開の「戦場のメリークリスマス」の音楽で英国アカデミー賞を受賞。88年映画「ラストエンペラー」で日本人初の米アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞。90年からニューヨークに拠点を移す。2014年に中咽頭がんを公表。15年に山田洋次監督の「母と暮せば」、アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の「レヴェナント:蘇えりし者」の音楽を担当。17年に8年ぶりのオリジナルアルバム「async」をリリース。(朝日新聞1月29日)