ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

ラインホルト・メスナー

2006-11-29 11:33:24 | 読書日記
ラインホルト・メスナーの名を存じでしょうか?


ナショナル・ジオグラフィック(日本語版)11月号に、25ページに
わたって「偉大なる登山家・メスナー」の記事が掲載されています。

1944年生まれの彼は現在62歳、エベレスト無酸素登頂を初め、エベ
レスト単独登頂など数々の記録を打ち立てた「超人」登山家です。


メスナーは1986年に標高8516mのローツェ登頂に成功して、世界に
ある8000峰の全ての山頂に立ちました。
これは翌87年、山岳雑誌「岳人」40周年記念出版と銘打って、ドイツ
語版と同時に発売された日本語版です。豊富なカラー写真で彼の足跡
を描いた豪華本(安月給の私には高かった!)です。

彼の初のヒマラヤ8000m峰は1970年のナンガパルバット。難コースから
の初登頂からでしたが、下山途中に弟のギュンターが遭難死、彼自身も
7本の足の指を失います。その8年後、単独で登頂に成功しますが、
この著書で彼は「最初の遠征では地獄を、二度目の遠征では天国を経験」
したと淡々と述べています。

一昼夜弟の姿を探し回った挙げ句、半死半生で別のルートを下った彼は、
すでに二人が死んだものと思って引き揚げる途中の隊長や隊員たちに再会
します。


この本(1992年発刊)では、隊長のヘルリヒコッファーは第二登の二人を
「山頂登頂の勝利者」と褒めそやし…ギュンターの追悼ミサには隊長も
登頂者のコーエンも顔を見せなかったこと、遠征の契約で個人的な報告書
を書くことが禁じられ、自分に対する中傷(弟を置き去りにしたというよう
な)にも反論できなかった…ことが控えめに語られています。

再び「ナショナル・ジオグラフィック」に戻ります。
2002年、別の弟と三たびナンガパルバットに登ったメスナーは、「30年前
の封印を解く決心」をします、ヘルリヒコッファーの伝記出版祝賀の会に
招かれて、祝辞の代わりに70年遠征隊メンバーを批判したりしたので、つい
には訴訟騒ぎにまで発展しているそうです。

去年(2005年)、氷河が溶けてギュンターの遺体が発見されました。
「ギュンターの死は彼自身の技術不足だ」といったヘルリヒコッファーに
対して「遠征隊の誰が一体、僕の弟以上の力を持っていたか」と言い切った
メスナー。ギュンターはこの兄をきっと頼もしく、誇らしく思いながら、
安らかに眠っていることでしょう。