Wat Aru
舟を下りて石段を登るとすぐ、ワット・アルンの入口です。
三島由紀夫の「暁の寺」(豊饒の海・第3巻)の主題として知られた寺院
で、タイの10バーツ硬貨の裏面デザインとして使われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/9e/ed6ce12f1ff9d7b4b53026d668670c80.jpg)
アユタヤ王朝崩壊のあと、しばらく領主の乱立時代が続きました。
次にタイを統一したのはアユタヤ官吏出身のタクシンです。
アユタヤを奪還したタクシンは都を今のトンブリーに置き王となりました。
当時はオリーブの茂る原野に近かったそうです(ガイドの話)。
しかし武勇を誇った王が死ぬと、僅か15年でこの王朝は滅亡します。
ワット・アルンはタクシン王が第一王寺(守護寺)として創建したものですが、
今の形に整備されたのは、次のチャクリー王朝ラマ3世の時代です。
この新しい銅像は、その後一度焼けた本堂を再建したラマ5世(だと思います)、
頭の上に留まっているのは生きたトリです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e2/5360958f8fcf9757dd54c8b55928fd47.jpg)
日本の観光地でもよく見かける、顔の部分に穴を空けた記念撮影用ボード。
下に「40バーツ」の小さい札があります。
料金を集めるオッサンはカモがかかると離れたところから飛んできます。
♀ペンは「地球の歩き方」で勉強してきたので、引っかかりませんでした。
(料金は10年で倍に値上がりしています)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/3c/129bba9713ca1b47186b7c6388c3f316.jpg)
この貸衣装ももちろん有料です。アンコールワットで一緒に撮したモデル
の衣装に似ていると思いましたが、仏像などから分かる通り、どちらも
ヒンドゥーの影響を受けているからでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/0f/7eb8a793a9f8e5e4182443721d73c747.jpg)
中央の仏塔の高さは79m、周囲を四つの小塔とモントップ(四角い建物の上に
尖塔が立っている仏堂)が取り巻いています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/0a/f90e95fc739269b73a2074d0f926a9d4.jpg)
塔への入口を守る守護神。これは何故か中国風の顔つきです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/6f/3d4b1e28e67fea9614fae3e8d2b7977d.jpg)
次の段まで登りました。左側に急勾配の階段を登る人が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/67/b52639dd3673223f4e28f5155935f41e.jpg)
モントップの横までもう少し登ってみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c1/eb840545e9dda015bdcf6e1743e79636.jpg)
近くで見ると塔は色とりどりの小さな陶器の破片が埋め込まれた図柄で覆われ、
基壇にはヒンドゥ神話の鬼やハヌマン、ガルーダの彫刻が並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c2/956c954b762753a6a1ac7b7684575aca.jpg)
ここから主塔への階段はかなり急勾配です。膝を痛めている変愚院を気遣った
♀ペンは「暑いからここで止めとこう」と言ってくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/15/f3bbf398af9f9cdaf99623b8f5908db3.jpg)
頂上近くに祀られているインドラ神。三つの頭をもつエラワン象に乗っています。
下から手を合わせてお別れし、また船で東岸のター・ティアンへ帰りました。
舟を下りて石段を登るとすぐ、ワット・アルンの入口です。
三島由紀夫の「暁の寺」(豊饒の海・第3巻)の主題として知られた寺院
で、タイの10バーツ硬貨の裏面デザインとして使われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/9e/ed6ce12f1ff9d7b4b53026d668670c80.jpg)
アユタヤ王朝崩壊のあと、しばらく領主の乱立時代が続きました。
次にタイを統一したのはアユタヤ官吏出身のタクシンです。
アユタヤを奪還したタクシンは都を今のトンブリーに置き王となりました。
当時はオリーブの茂る原野に近かったそうです(ガイドの話)。
しかし武勇を誇った王が死ぬと、僅か15年でこの王朝は滅亡します。
ワット・アルンはタクシン王が第一王寺(守護寺)として創建したものですが、
今の形に整備されたのは、次のチャクリー王朝ラマ3世の時代です。
この新しい銅像は、その後一度焼けた本堂を再建したラマ5世(だと思います)、
頭の上に留まっているのは生きたトリです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e2/5360958f8fcf9757dd54c8b55928fd47.jpg)
日本の観光地でもよく見かける、顔の部分に穴を空けた記念撮影用ボード。
下に「40バーツ」の小さい札があります。
料金を集めるオッサンはカモがかかると離れたところから飛んできます。
♀ペンは「地球の歩き方」で勉強してきたので、引っかかりませんでした。
(料金は10年で倍に値上がりしています)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/3c/129bba9713ca1b47186b7c6388c3f316.jpg)
この貸衣装ももちろん有料です。アンコールワットで一緒に撮したモデル
の衣装に似ていると思いましたが、仏像などから分かる通り、どちらも
ヒンドゥーの影響を受けているからでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/0f/7eb8a793a9f8e5e4182443721d73c747.jpg)
中央の仏塔の高さは79m、周囲を四つの小塔とモントップ(四角い建物の上に
尖塔が立っている仏堂)が取り巻いています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/0a/f90e95fc739269b73a2074d0f926a9d4.jpg)
塔への入口を守る守護神。これは何故か中国風の顔つきです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/6f/3d4b1e28e67fea9614fae3e8d2b7977d.jpg)
次の段まで登りました。左側に急勾配の階段を登る人が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/67/b52639dd3673223f4e28f5155935f41e.jpg)
モントップの横までもう少し登ってみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c1/eb840545e9dda015bdcf6e1743e79636.jpg)
近くで見ると塔は色とりどりの小さな陶器の破片が埋め込まれた図柄で覆われ、
基壇にはヒンドゥ神話の鬼やハヌマン、ガルーダの彫刻が並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c2/956c954b762753a6a1ac7b7684575aca.jpg)
ここから主塔への階段はかなり急勾配です。膝を痛めている変愚院を気遣った
♀ペンは「暑いからここで止めとこう」と言ってくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/15/f3bbf398af9f9cdaf99623b8f5908db3.jpg)
頂上近くに祀られているインドラ神。三つの頭をもつエラワン象に乗っています。
下から手を合わせてお別れし、また船で東岸のター・ティアンへ帰りました。