ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

エジプト紀行(11)

2006-11-13 18:44:57 | 旅日記
ながながとご覧頂いたエジプト旅行記も最終日になりました。

カイロ

車窓から見た新しいカイロ市街。
ナイル川に観光船が浮かび、カイロタワーが聳えます。
この辺りは大阪でいえば中之島界隈の感じで、朝っぱらから仲の良い
若い恋人達の姿も見られました。


「エジプト考古学博物館」はそんな中心街にあります。
一歩足を踏み入れると、そこは古代エジプトの世界。エジプト各地から
出土した貴重なコレクションはその数、なんと12万点!!
午前中、たっぷり時間をかけて見学できましたが、それでも100もある
部屋のごく一部を早足で見ただけ…。じっくり見れば何ヶ月もかかる
そうです。
たくさんの展示品の中では、何十年前か日本で展示されたときにちらり
と見た「ツタンカーメンの黄金のマスク」をじっくり見ることが出来た
のが印象的でした。黄金の玉座や立像なども素晴らしいものでした。
また古代エジプトの日用品や埴輪のような副葬物は当時の生活をしのば
せる興味深いものでした。残念ながら、館内撮影禁止で写真はありません。


午後はオールドカイロ、つまり旧市街へ。カイロ発祥の土地で、原始
キリスト教の流れを汲むコプト派の教会があります。


その一つ。聖ジョージ修道院。地下道を潜ってずっと奥にある教会
を見学しました。


いよいよエジプトともお別れ。空港へ向かう途中で、美しいモスク
が見えてきました。ガーマ(モスク)・ムハンムド・アリです。
エジプト独立の功労者ムハンムド・アリがイスタンブールのガーマ
を真似て1857年に作ったものです。次に機会があれば、ゆっくり見たい
ところです。


カイロ空港です。私たちの乗る飛行機の向こうに夕陽が沈みます。これ
からまた長い空の旅で日本へ帰ります。


「さらばじゃ!」

なぜかエジプトの土産物屋では、この言葉と「ヤマモトヤマ」が
流行っていました。誰が教えたのでしょう???
エジプト日記はこれで終わりですが、まだ面白い写真が残って
いるので落ち穂拾いは続きます…ではひとまず「サラバジャ」

エジプト紀行(10)

2006-11-12 12:02:45 | 旅日記
ダフシュール
10月28日午後は、まずダフシュールへ。
ここには砂漠の真ん中に、二つのピラミッドがあります。


「赤のピラミッド」
断面が二等辺三角形をしている真正ピラミッドとしては最古
とされています。後に作られたピラミッドより傾斜はなだらかです。
写真の中央部、人が大勢いるところから内部に入りました。
やはり急勾配の狭い道が玄室に続いていますが、朝のカフラー王
のピラミッドで経験済みなので、楽に下れました。


「屈折ピラミッド」
高さ105mのちょうど真ん中あたりで傾斜角度が変わっているので、
この名で呼ばれます。理由はいろんな説があるようです。

サッカーラ

「階段ピラミッド」
ピラミッドの周囲の建築物もよく残っているので「ピラミッドコンプレックス」
と呼ばれます。
中心になるこのジォセル王のピラミッドは日干し煉瓦を階段状に積み上げた
もので、後のピラミッドの原型となったものです。六重になっていて高さは
約60mあります。

メンフィス

「ラメセス2世の巨像」
メンフィスはエジプト古王国時代に首都として栄えたところですが、
今は小さな集落が点在するだけ。その一つミト・ラヒーナの遺跡が
保存されています。
建物の中にあるラメセス2世像。足の部分は失われていますが
全長は15mあり、二階から全体を見下ろすようになっています。


前の広場にあるアラバスター製のスフィンクス。ギザのものと違って
端正な顔を残しています。後ろにずらりと並ぶのは土産物屋です。

エジプト紀行(9)

2006-11-11 20:45:05 | 旅日記
乗駱駝体験

三つのピラミッドを展望できる場所近くで、ラクダに乗りました。
乗って写真を撮るのが2ドル、近くを少し歩くと5ドルです。


まず♀ペンが挑戦しました。「ちっとも怖くないよ」。


しかし、立ち上がるときと下りるときは急勾配なのでヤクやゾウに
乗る時よりは緊張して、おっかなびっくりです。


意地の悪いラクダは振り向いて臭い唾を吹き掛けるそうですが、
此奴は温和しくて良かった。

スフィンクス

次にカフラー王の参道にあるスフィンクスを見に行きました。
顔はカフラー王、身体はライオンに似せたと言われています。
石灰岩製で全長57m、高さ20m。思ったより大きいものです。
鼻は削られヒゲはイギリスに取られて、気の毒です。なぞなぞ
は出してくれませんでした。


アラブの若い美女たちと記念撮影。ここでは珍しいことですが、
頼まれてシャッターを押してあげたからでしょうか、私のカメラ
にも快く納まってくれました。

エジプト紀行(8)

2006-11-11 15:46:59 | 旅日記
10月28日。目が覚めるとナツメヤシの林から日が昇って来る頃
でした。カイロの手前、ギザで列車をおりて早速ピラミッドを見に
行きました。

ギザの三大ピラミッド

いわゆる三大ピラミッドは、北西側から見るとこんな感じで並んで
います。左からクフ王のピラミッド、真ん中がカフラー王のピラミッド、
右に少し離れてメンカウラー王のピラミッドです。
(実際はクフ王のものが最大で、メンカウラー王のはぐっと小さいの
ですが、ここからの視度でこのように見えました。)


「クフ王のピラミッド」
もっとも大きなピラミッドで、世界七不思議に数えられたものです。
頂上部が失われて現在の高さは137mですが、もとは146mありました。
頂上には元の高さを示す鉄棒が立っています。


№2の「カフラー王のピラミッド」
高さ143m。元は全体を覆っていた化粧岩が上の方と下部に残って
いて、エジプト一美しいピラミッドといわれています。しかし、
化粧岩の取れた部分は雑な積み方をしていることが分かります。

長い列に並んでで内部に入ってみました。狭く低い急な坂道を身体
をかがめて下ります。電灯が切れて真っ暗な箇所もあり、息苦しい程
でした。最後に広い玄室にでると石棺があり、白人がふざけてミイラ
の真似をして仲間を脅かしていました。


「メンカウラー王のピラミッド」
三つのピラミッドで一番小さいものですが、65.5mの高さがあります。


メンカウラー王ピラミッドの向こうは、もうリビア砂漠です。
遠くカイロ市街が霞んで見えます。

エジプト紀行(7)

2006-11-10 15:57:55 | 旅日記
ナイル特急

10月27日、夕方のアスワン駅です。今夜はナイル特急の一等寝台
車でカイロに向かいます。


列車の到着まで時間があるので、駅前のスーク(市場)を冷やかし
て歩き、お土産を買いました。


到着した列車に乗り込みます。


コンパートメントの前で。廊下の片側に客室が並んでいます。
左側のカーテンが掛かっているところは広い窓。
中は上下二段のベッドに洗面台(ただし、水の出はあまりよくない)
となかなか機能的に出来ています。もちろんエアコン完備です。


夕食はルームサービスです。
左上から時計回りにパン、堅めのタヒーナ(パンに付けて食べる。
チーズとマヨネーズの合いの子みたいな感じ)、甘辛く味付けした
カバーブとライス、白身魚のフライとフライドポテト、デザートの
ケーキとブドウ。…なかなかの豪華版でおいしい。
水代わりのビールは地ビール?で「ルクソール」という銘柄。
2ドルと安いのがうれしい。

エジプト紀行(6)

2006-11-10 09:04:47 | 旅日記
10月27日(金)晴れ。とにかく雨は降らないので毎日がカンカン照り。


9時半発で再びアスワンへ。コンベイの隊列を組むのでバスが集結
するのを待っているところです。


砂漠の真ん中で、ラクダを満載したトラックに追い抜かれました。

アスワン

1970年に完成した高さ11、全長3600mの巨大なアスワンハイダムは
ナイル川を堰き止めて琵琶湖の7.5倍のナセル湖とした、近代技術
による大治水事業です。


ダム湖を見下ろす小綺麗なレストランでシシケパブの昼食。
毎日、昼も夜もビールを飲んでいますが、缶でも小瓶でも同じ
ような値段で19~25£E(400~525円)。
イスラムの国ですから、アルコール類の値段は結構高いです。


午後は岩の亀裂が原因で切り出しが中止となった長さ41.75m
の切りかけのオベリスクに行きました。
これを見ると古代の石切技術の方法がよく分かります。また
どのようにして巨大な石材を運んだのかの説明もあるました。


エジプト紀行(5)

2006-11-09 16:41:54 | 旅日記
10月26日。
今朝はホテルでゆっくり寛いでいて、10時半を過ぎての出発です。
ゲリラ対策のため同じ方向に行くバスは、TOULISM POLICE の護衛
付きでコンベイ(隊列)を組んで走ります。


アスワンダムを過ぎると、270km離れたアブ・シンベルまで、ずっと
砂漠の中の一直線の道。単調な景色ですが、一面の砂原の中に
円錐形や富士山形など様々な形の砂山が点在していたりします。
トイレをする場所もなく、3時間ぶっ通しで走り続けます。


一時間程走ると行く手に大きな湖と、いくつかの島が見えます。
これは砂漠の蜃気楼です。

13時半、アブ・シンベルに着き、ホテルに荷物を降ろし昼食。
午後は世界遺産・アブ・シンベル神殿の観光に行きました。
この神殿はアスワンハイダムを建設するとき水没する運命だった
ものを、ユネスコが世界に救済を呼びかけて移転したものです。
1964年から4年間かかって、いくつものブロックに切り分けて
元の位置から60m上に運びあげました。


もともとは約3300年前にラムセス2世が建設した大小二つの岩窟
神殿で、大神殿の前には王自身の4体の巨像が鎮座しています。
像の高さは20mもある巨大なもので、何十年もかかって作られた
ので、左から右に王の顔が加齢とともに変化しています。それに
してもこの男の自己顕示欲の強さには驚かされます。


こちらは小神殿。ラムセス2世像4体と王妃ネフェルトリア像2体。
足元には彼らの子供達の像が置いてあります。


大神殿には入場禁止ですが、こちらは入れます。ただしカメラ持ち
込みは禁止。ところが出てくると扉の前にいるオッサンが「このカギ
持って写真撮ってみなはれ」と勧めます。内部の様子も写ります。
もちろん、お得意のバクシーシ(喜捨)が狙いです。
同じようなことは旅行中に他でも何度かありました。かなり、いい
加減というか融通のきく国です。


いったん帰って、夕方から再びアブ・シンベル神殿へ「音と光の
ショー」を見に行きました。

神殿の岩に映し出される歴史絵巻は幻想的、神秘的で、しかも美しく
迫力がありました。空には細い三日月と降るような星が輝き、とても
ロマンティックな夜でした。

エジプト紀行(4)

2006-11-07 08:51:20 | 旅日記
ハヤブサの神とワニの神

エジプト旅行のレポートを続けます。
10月25日。8時、専用バスでナイル川に沿って南下、アスワンへ。
ガイドのモハメッド・アリ!!は「お早う」は「鯖腹減~る」、
「今日は」は「皿まで喰う」、「お元気ですか」は「罪悪?」などと
日本語で記したカードを出して、アラビア語を教えます。


115km走ったエドフで「隼の神」を祀るホルス神殿を見学。
紀元前237年に建築が始まった神殿は、ほぼ完全な形で残っていて、
外壁のレリーフが美しいところです。


神殿入口のホルス神像。これはハヤブサの姿ですが、頭部だけが
トリで首から下は人体の立像でも描かれます。


天空の神でエジプト最古の神々の一つ。
エジプト航空のロゴマークはこの神をデザインしたものです。

次に更に70㎞走ってコム・オンボ(金goldの町の意)へ。


ナイルの神である「ワニの神」を祀るコム・オンボ神殿はプトレマイオス
朝時代に建造された珍しい二重構造の神殿です。昔、ギリシャで見た
アクロポリスの神殿を思い出させます。


ワニの神、ソベク。ナイル川の神であり、力の象徴だったのでしょう。


これがご神体? ワニのミイラです。


ルクソールから南へ200㎞離れたアスワンは、かっての古い都です。
今はナイル川クルージングの豪華客船やファルーカと呼ばれる白い帆
のヨットが行き交う観光の拠点になっています。

蛇崩(ダグエ)山から笠捨山へ(11.04)

2006-11-05 18:05:02 | 山日記
6時30分、上葛川を出発。吊り橋を渡って山腹の植林帯を急登する
こと1時間、標高差400m程を登って尾根に出ました。


雲海の上に熊野の山々が浮かんでいます。


さらに斜面をトラバースした後、分かり難い道を急登して熊谷ノ頭
に着き、ここから約1キロの尾根道を緩やかに二つのピークを越して
蛇崩山頂(1172m)に立ちました。


朝の出発から3時間経っていました。しかしブナとカラマツの黄葉に
コミネカエデの赤い色が混じる美しい林に囲まれた山頂は、期待に
違わない、奈良の秘境と言ってよい程素晴らしいところでした。


熊谷ノ頭に帰り、正面の木の間越しに見えるの笠捨山を目指します。
二つのピークを越し、最後は胸を突くような急登に息を弾ませて
双耳峰の東峰に着きました。


ここは電波反射板が立つ広い頂で素晴らしい展望が拡がっています。
孔雀岳、釈迦ヶ岳、行仙岳…と奥駈道が通る山々がずらりと居並んで
出迎えてくれました。


笠捨山山頂(1352m)で会旗を囲んで記念撮影(写真:中島隆氏)。
遠路徳島から参加の3名を含め支部会員12、一般参加7の19名。
去年5月、ここに着いたのは激しい雨が降りしきる中でしたが、今日はこの青空。
みんなの顔も晴れやかです。

想い出の奥駈道を葛川辻まで辿り、そこから下山にかかります。


急な下りではないのですが、このような桟道、崩れた沢のトラバース
などを何度となく繰り返し、15時前にバスの待つ上葛川に下りました。

温泉地(とうせんじ)温泉で汗を流し、ドライバーさんの好意で酒屋の
前で停車して貰いました。冷たいビールが心地よく乾いた身体に染み
こんで行きました。天気にも、展望にも、紅葉にも…そして何よりも
素晴らしい仲間達に恵まれた、楽しい二日間の山行でした。