
ヨーヨーマのドヴォルザーク、指揮はマゼール、ベルリンフィル
大学3年の時に毎日の英字新聞でアルバイトをしていた頃
初めて行ったコンサートがロストロポーヴィッチのドヴォルザークのチェロコンツェルト。
たくさんの学生アルバイトがいて、そこで知り合った人もこの曲が好きだと
言っていた。ナベサダのジャズを聴きに連れて行ってもらったり、課長が良く神保町あたりの
おいしいお店にランチに連れて行ってくれていた。女の子は結構、いい目に合っていた。
そういえば読響のコンサートにも行って、ドヴォルザークのチェロコンツェルトが好きだと
行った人はいびきをかいて寝ていたのを思い出しました。
その頃だったか、カラヤンも日本に来てチケットを手に入れるのが
ものすごく大変だったことを思い出しました。私はベートーヴェンの田園とか
だったけど、FMで中継してブいて他のブログラム、ブルックナーとかワグナーを聴いたように覚えています。
もう少し後だか初めて日本に来た時のポリーニ。素晴らしかったです。エッシェンバッハも素敵だった。
それからピアニストはミッシェル・べロフとか館野泉、井上直幸、アシュケナージ、ラドゥ・ルプーなど
聴きに行った。グレン・グールドやホロヴィッツはレコードで聴いて。
だいぶたってからだったかカール・ベームがウィーンフィルとやってきたとき、
カラヤン/ベルリンフィルより好きだな―と思いました。統制された音楽と自由な音楽の違いのように。
私が初めて自分のレコードとして叔父に買ってもらったのが
同じくドヴォルザークの「新世界」でした。
ヨーヨーマを聴きながら段ボールの手紙や日記の山を
片付けていたら、この前ふと思い出した中学校の時の
友人からの手紙が出てきました。きっと捨てちゃったんだろうな
実家が引っ越しの時にと思っていたので嬉しかったです。
彼が関西に引っ越してからもらった手紙に
修学旅行で行った高崎山のお猿さんと一緒に写った写真を同封して
「とってもかわいいでしょう。どっちがって、きまっているでしょう。?」
って書いてきていたの。
とってもお茶目な人だったのを思い出しています。
そう言えば中学校のクラス会は一度も開いたことがない。
どういうわけか1回だけ親しくしていた数名とだけ
あったことがありました。そのときすでに
結婚していたお猿さんと一緒に写真をとった友人は
女の子を抱えて参加。トントンもお嬢さんが歩きはじめたくらいの時か
お手製のワンピースを着て参加。
あれから30年くらいたっちゃった?
私も時間ができたので、クラス中の人と仲良かった
Aちゃんにでも話を持ちかけて第1回クラス会でも
開催したいな。
小学校のは永年幹事が毎年開いてくれて、高校は持ち回りで
3年に一度くらいだったかしらね。
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そういえば英文毎日で知り合った長期アルバイトのYさんは
その後日経新聞に就職して結婚して関西で暮らし
また東京に戻って生命保険会社で働いていました。
今はパーキンソン病で少し不自由な生活をしています。
自分から出かけることは難しそうなので
会いに行ってみようかしら。電話がかかってきたこともあったけど
その頃は家のことでそれどころではなかった。
若き日の海外旅行パックツアーで知り合ったTさんも
お母様の面倒を見ながら、自分自身も腰椎すべりとかで
動かすと痛みを伴うということで昨年会えなかったことを
思い出しました。
お茶を一緒に習っていた先生の妹さんも
毎年お電話をいただき、会いたいと話していました。
小学校の時の親友とか会おうと約束している人は
たくさんいるけれど、親の介護とか自身の病気で
思うままにならないそんな暮らし。
助け合いながら生きて行けたらと思う。
母とよく電話で話していたことなど
夏の盛りが過ぎる頃、しきりに思い出されます。