ナタリー・デセイのコンサートから帰って、なんだか急にしばらくぶりで
胸が苦しくなって、体を休めました。4月はコンサートや展覧会が重なってしまい
ちょっとセーブしないといけないのですが、用心しながら無理しないで過ごしていかないと。
その翌日は休暇を取ってもう終わってしまうヨーヨー・マのドキュメンタリーを見て
家で型染めの図案最終を写して、翌日は型染めの工房へ。土曜日はヨガの後で星岡の日本料理。
日曜はさすがヨガは止めて、食品の買い出しの後は夕方からFelicissimiでプーリア料理の講習会。
プーリアから一時帰国している内山さんの家庭料理とプーリアの紹介です。日本では手に入りにくい
カジュアルなプーリアのスプマンテやワイン、デザートワインやアーモンドのお菓子などで
とてもいい気分になって、帰ってからすぐ寝てしまいました。
昨日の午後新宿御苑に寄ってからFelicissimiに行こうかと思ったけれど、家のなかのことを
あれこれしてから時間ぎりぎりで出かけました。その代り今日なんとか雨も降らなかったので仕事の後で
お弁当を買って、新宿御苑の最後の桜を見に行きました。混み具合もそれほどでなく
目に焼き付くような春の風景でした。
今日は15日の星岡に行った時に通った以前住んでいた場所をさまよったことを中心に。
中央線の阿佐ヶ谷と西武新宿線の鷺宮からもアプローチできる場所に星岡はあります。
ヨガの後だったので、西武新宿線を使って初めて行ってみました。
数年前に娘とも行ってみた場所ですが、住んでいた賃貸マンションはちょっと高級感ある
低層の分譲マンションになっていて、運転のペーパードライバー講習で出入りした
駐車場はたくさんの建売住宅になっていて、近くにあった広場は住宅公団の
ちょっと高めの集合住宅が建ったけれど、その近くにまたマンションか何かの工事が
進められていました。少し広々していたところがなんだかごちゃごちゃして
息詰まる感じ。
帰りもその近辺を歩いてみました。突然最初に鷺宮で住んでいたマンションが目の前に
現れました。場所もなんだかはっきりと覚えていなかったのね。もう1本向こうの道かと
思っていたので、いきなりの出現に驚ろきました。3階建ての3階に住んでいた。主人が会社を突然辞めて、
家を手放す運命に。より保育園に近い賃貸のマンションに引っ越したのだけど、
主人もついてきました。ベビーカーで保育園に通った日々。主人の精神的にも不安定な日々が
よみがえってきて、ちょっと苦しくなりました。
この神社の前に耳鼻科があって、保育園の帰りに良く通った。
聖路加の小児科で担当の細谷亮太先生がとてもおもしろい先生だったのだけど
医師としても名医で鼻が詰まりやすいこういう子どもは中耳炎になりやすいので
見てもらいなさい言われて耳鼻科に行って、中耳炎がわかりその後もずっと
鼻と耳のことで通ったところ。病院は無くなって空き地になっていた。
そのころ通った病院はどこも年取った女医さんばかりでした。
その隣にお寺があったのだけれど節分とかに子どもと行ったりしたところです。
お正月に境内を散歩したり・・
今の家の近くの野球場そばの桜。
時空を超えた散歩をしてぐったり疲れました。
ヨーヨー・マのシルクロードアンサンブルを聴いていたら、ボーカルに何か聞き覚えがあり
アントニオ・ガディスを見に行った時の音楽を連想したり、アンドレア・ボッチェリと
デュエットしたファドのミュージシャンかと思い、久々にボッチェリのCDを聴いてみた。
ボッチェリは仕事で苦しかったときに朝5時に起きて毎朝仕事に行く前に聴いていた曲。
半年くらい聞き続けたか・・あまり聞きすぎて聴きたくなくなったくらい。
久しぶりに聴いたらとてもよかった。なぜかイタリアの街の石畳を感じる。
Con Te Partirò
いきなり同僚がアメリカに短期留学したので、担当替えで国際会議を担当になり、
とても苦しい時期だった。
国際会議は2~3年準備をしてから開催となるけれど、開催半年くらい前で
原稿が飛び交いもう直前の感じ。セッションの構成やプログラムの作成などから
当日の配置などハードルの高い事務が続いて、おまけに科研費まで取っていたので
経理手続きも大変だった。
娘が書けるようになった字で、七夕の短冊に「お母さんのお仕事がうまくいきますように」
と書いてくれ泣けた。
他にもナショプロが取れてしまった研究費の5年に亘るプロジェクトも最も大変だった仕事の
ひとつ。特に科技庁による(のちは文科省)による監査が今まで経験したことのない
厳しさで本当にびっくり。組織としての妥当性も問われるので、監査前は特に大変で
なかなか家に帰れなくて、家に電話をしても子供の泣き声しか聞こえなくて
せつない時もあった。
研究者として一緒に科技庁と戦った企業の研究者も忘れ難い人で、その後癌になって
一時学会で復帰して拍手で迎えられたけれど転移して亡くなられた。自分が癌だなんて
信じられないと言っていたけれど。そのころ奥さまが司法試験を目指していて
子どもの当番で家から同じく子供のことで家にいた私と電話でのやり取りもしたことがあった。
亡くなられてから学会で論文賞を取られて、司法試験をパスした奥様とお嬢さんに
早大理工学部キャンパスでの授賞式でお会いした。
思い出深い育児休業後の仕事です。
アンドレア・ボッチェリにはCon Te Partirò のほかにも勇気づけられた曲がたくさんあります。
Andrea Bocelli, Céline Dion - The Prayer
Andrea Bocelli - Cantico
Andrea Bocelli & Gerardina Trovato - Vivere
Andrea Bocelli: O mare e tu
ファドのDulce Pontes とのデュエット。 ヨーヨー・マのドキュメンタリーでなぜか
Dulce Pontesを思い出しました。スペインやポルトガルの心から振り絞るような歌声。
胸が苦しくなって、体を休めました。4月はコンサートや展覧会が重なってしまい
ちょっとセーブしないといけないのですが、用心しながら無理しないで過ごしていかないと。
その翌日は休暇を取ってもう終わってしまうヨーヨー・マのドキュメンタリーを見て
家で型染めの図案最終を写して、翌日は型染めの工房へ。土曜日はヨガの後で星岡の日本料理。
日曜はさすがヨガは止めて、食品の買い出しの後は夕方からFelicissimiでプーリア料理の講習会。
プーリアから一時帰国している内山さんの家庭料理とプーリアの紹介です。日本では手に入りにくい
カジュアルなプーリアのスプマンテやワイン、デザートワインやアーモンドのお菓子などで
とてもいい気分になって、帰ってからすぐ寝てしまいました。
昨日の午後新宿御苑に寄ってからFelicissimiに行こうかと思ったけれど、家のなかのことを
あれこれしてから時間ぎりぎりで出かけました。その代り今日なんとか雨も降らなかったので仕事の後で
お弁当を買って、新宿御苑の最後の桜を見に行きました。混み具合もそれほどでなく
目に焼き付くような春の風景でした。
今日は15日の星岡に行った時に通った以前住んでいた場所をさまよったことを中心に。
中央線の阿佐ヶ谷と西武新宿線の鷺宮からもアプローチできる場所に星岡はあります。
ヨガの後だったので、西武新宿線を使って初めて行ってみました。
数年前に娘とも行ってみた場所ですが、住んでいた賃貸マンションはちょっと高級感ある
低層の分譲マンションになっていて、運転のペーパードライバー講習で出入りした
駐車場はたくさんの建売住宅になっていて、近くにあった広場は住宅公団の
ちょっと高めの集合住宅が建ったけれど、その近くにまたマンションか何かの工事が
進められていました。少し広々していたところがなんだかごちゃごちゃして
息詰まる感じ。
帰りもその近辺を歩いてみました。突然最初に鷺宮で住んでいたマンションが目の前に
現れました。場所もなんだかはっきりと覚えていなかったのね。もう1本向こうの道かと
思っていたので、いきなりの出現に驚ろきました。3階建ての3階に住んでいた。主人が会社を突然辞めて、
家を手放す運命に。より保育園に近い賃貸のマンションに引っ越したのだけど、
主人もついてきました。ベビーカーで保育園に通った日々。主人の精神的にも不安定な日々が
よみがえってきて、ちょっと苦しくなりました。
この神社の前に耳鼻科があって、保育園の帰りに良く通った。
聖路加の小児科で担当の細谷亮太先生がとてもおもしろい先生だったのだけど
医師としても名医で鼻が詰まりやすいこういう子どもは中耳炎になりやすいので
見てもらいなさい言われて耳鼻科に行って、中耳炎がわかりその後もずっと
鼻と耳のことで通ったところ。病院は無くなって空き地になっていた。
そのころ通った病院はどこも年取った女医さんばかりでした。
その隣にお寺があったのだけれど節分とかに子どもと行ったりしたところです。
お正月に境内を散歩したり・・
今の家の近くの野球場そばの桜。
時空を超えた散歩をしてぐったり疲れました。
ヨーヨー・マのシルクロードアンサンブルを聴いていたら、ボーカルに何か聞き覚えがあり
アントニオ・ガディスを見に行った時の音楽を連想したり、アンドレア・ボッチェリと
デュエットしたファドのミュージシャンかと思い、久々にボッチェリのCDを聴いてみた。
ボッチェリは仕事で苦しかったときに朝5時に起きて毎朝仕事に行く前に聴いていた曲。
半年くらい聞き続けたか・・あまり聞きすぎて聴きたくなくなったくらい。
久しぶりに聴いたらとてもよかった。なぜかイタリアの街の石畳を感じる。
Con Te Partirò
いきなり同僚がアメリカに短期留学したので、担当替えで国際会議を担当になり、
とても苦しい時期だった。
国際会議は2~3年準備をしてから開催となるけれど、開催半年くらい前で
原稿が飛び交いもう直前の感じ。セッションの構成やプログラムの作成などから
当日の配置などハードルの高い事務が続いて、おまけに科研費まで取っていたので
経理手続きも大変だった。
娘が書けるようになった字で、七夕の短冊に「お母さんのお仕事がうまくいきますように」
と書いてくれ泣けた。
他にもナショプロが取れてしまった研究費の5年に亘るプロジェクトも最も大変だった仕事の
ひとつ。特に科技庁による(のちは文科省)による監査が今まで経験したことのない
厳しさで本当にびっくり。組織としての妥当性も問われるので、監査前は特に大変で
なかなか家に帰れなくて、家に電話をしても子供の泣き声しか聞こえなくて
せつない時もあった。
研究者として一緒に科技庁と戦った企業の研究者も忘れ難い人で、その後癌になって
一時学会で復帰して拍手で迎えられたけれど転移して亡くなられた。自分が癌だなんて
信じられないと言っていたけれど。そのころ奥さまが司法試験を目指していて
子どもの当番で家から同じく子供のことで家にいた私と電話でのやり取りもしたことがあった。
亡くなられてから学会で論文賞を取られて、司法試験をパスした奥様とお嬢さんに
早大理工学部キャンパスでの授賞式でお会いした。
思い出深い育児休業後の仕事です。
アンドレア・ボッチェリにはCon Te Partirò のほかにも勇気づけられた曲がたくさんあります。
Andrea Bocelli, Céline Dion - The Prayer
Andrea Bocelli - Cantico
Andrea Bocelli & Gerardina Trovato - Vivere
Andrea Bocelli: O mare e tu
ファドのDulce Pontes とのデュエット。 ヨーヨー・マのドキュメンタリーでなぜか
Dulce Pontesを思い出しました。スペインやポルトガルの心から振り絞るような歌声。
大学を卒業してからは想像もつかない人生。
心配事なしに出かけられる自由を得てもう4年。
自分の健康管理は二の次だったけど
丈夫だったのだね。さすが主人が亡くなった後は
最悪の状態だったけど。
週末のファビオ・ルイージが楽しみです。
この今の時間を大切にしたいですね。